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2015年3月22日 (日)

ドキュメンタリー建国義勇軍 その3

 一斉斉逮捕
 これに対して内尾は「多くの法律家は、ひとつの事件単位で考えるべきであり、ひとつの事件を九九㌫以上の有罪の心証が必要だと主張している」と一時は、難色を示した。
 しかし、そこには二人の阿吽の呼吸があり、最後に内尾は「共犯理論でいくなら東京事件の三人だけでなく、警察官の記録のある大阪事件の『立ち小便の男』と、複数の防犯ビデオが存在する広島事件と合わせて六人の逮捕が望ましい」と主張した。
 これには伊藤も了承し二人の結論は「逮捕状請求は東京、大阪、広島の三事件で六人とし、実行犯は特定できていないものの、Xデーを十二月十九日にする」ことで一致した。
 逮捕令状請求者は次の通り。
 村井一郎(五四)は東京、大阪、広島事件に関与▽中林隆一(三二)は東京事件に関与▽服部達也(四〇)は東京事件、大阪事件、広島事件に関与▽野口満雄(五二)は東京事件、大阪事件に関与▽麻生孝一(三八)は広島事件に関与▽早水春夫(四六)=仮名=は三事件に参加していないが村井使用のけん銃と弾丸の入ったアタッシェケースを保管。以上六人は建造物損壊、銃砲刀剣類所持等取締法違反容疑で、さらに全国九十一カ所を同容疑で家宅捜索令状の請求となった。
 ところが請求を受けた東京簡易裁判所は、誰が実行犯かの特定もできず直接証拠もなく、共謀の事実も掴めない状況での逮捕令状の請求に渋った。
 しかし捜査本部は計画、下見、ビデオからの運転担当や犯行声明の声紋から役割を分担していることは確実で、刑法六十条の共犯理論を元にして事件を組み立てれば立件が可能とねばり強く説得。審査に丸一日の時間を要したもののようやく発布を得たのだった。
 こうして十二月十九日、合同捜査本部の協定警察職員は伊藤の指揮のもと全国九十一カ所の家宅捜索を実施。
 村井を岐阜市西川手の自宅で午前八時五十五分逮捕したほか、中林は神奈川県横浜市の自宅で、服部は兵庫県姫路市の自宅、野口は神奈川県横浜市の事務所、麻生は岐阜県鳥羽市の駐車場、早水は岐阜県鳥羽市の自宅でそれぞれ午前八時四十五分から十時の間に逮捕。身柄を東京に移し、分散留置とした。
 さらに捜査本部は同日、九十一カ所の家宅捜索を行い、二十九人の任意取り調べを行った。
 
  不審車ナンバー端緒 通話記録、容疑者に迫る 建国義勇軍事件 朝日新聞19日東京夕刊 
  「建国義勇軍」などを名乗って10都道府県で繰り返された一連の事件で、捜査当局が強制捜査に踏み切った。
 23件のうちアーレフなど3件を強制捜査の対象にしたのは、目撃者の証言や防犯カメラの映像で、現場から走り去る不審車両の存在を確認できたからだ。断片的なナンバーから、警視庁と大阪府警、広島県警が3台の所有者を割り出す作業を始めた。警視庁は6月に車の所有者を突き止めた。
 「征伐隊」事件の6人逮捕 広島県教組など銃撃 銃刀法違反容疑 大阪府警など 読売新聞19日大阪夕刊
◆「刀剣友の会」会長ら
「国賊征伐隊」や「建国義勇軍」を名乗るグループによる北朝鮮関連施設への銃撃など計二十三件の事件を捜査していた警視庁と大阪府警などの捜査本部は、今年六月の広島県教職員組合銃撃事件など三件に、岐阜県岐南町の日本刀愛好会「刀剣友の会」の関係者が関与したと断定、十九日午前、同会会長ら六人を銃刀法違反(発射罪)などの疑いで逮捕、関係先約九十か所の捜索を始めた。捜査本部は、北朝鮮批判が高まる中、右翼思想を持つ同会会長らが行動をエスカレートさせたとみて、田中●・外務審議官宅への不審物設置など他の事件への関与も追及する。
 「建国義勇軍」6人逮捕 「総連」「朝銀」も銃弾線条痕一致 産経新聞20日東京朝刊 ■オウムと広島県教組銃撃容疑
 「建国義勇軍」や「征伐隊」を名乗った一連の事件で、警視庁公安部は十九日、今年五月から六月に、オウム真理教の東京、大阪両道場や広島県教組に拳銃を撃ち込んだ銃刀法違反などの疑いで、日本刀愛好団体「刀剣友の会(日本人の会)」会長で刀剣販売会社会長、●●容疑者(五四)=岐阜市=ら六人を逮捕、十四都府県の関係先約九十カ所を捜索した。

 主犯の村井など逮捕した六人の役割は次の通り。
 主犯の村井一郎(五四)は東京、大阪、広島事件でそれぞれ役割分担を指示したほか犯行に使用したけん銃を準備。東京、大阪は自ら実行役となり発砲した。
 中林隆一(三二)は東京事件で車を運転し野口と現場の下見をして村井を案内した。
 服部達也(四〇)は大阪事件で下見をして当日は実行犯の村井を現場に車で案内、見張りをしている。広島事件では自ら車を運転して実行。犯行翌日中国新聞に電話で犯行声明。東京事件では犯行翌日に朝日と毎日新聞に犯行声明の電話をかけた。
 野口三雄(五二)は東京事件では中林とともに下見をしたほか実行時は見張り役を担当した。大阪事件でも見張り役をしている。
 麻生孝一(三八)は広島事件で車を運転、現場で見張りをしている。
 早水春夫(四六)は三事件に参加していないが、村井が使用または準備したけん銃と弾丸の入ったアタッシェケースの保管役だった。
 さらに捜査本部は翌二十日に第二次逮捕を行い、逮捕状を得た六人の身柄を確保する予定だった。ところが逮捕直前、刀剣友の会理事(五四)が入水自殺したため五人の身柄を確保。ひとりを指名手配した。
 逮捕された被疑者と係わった事件名は次の通り。
 鹿島栄二(四八)=仮名=はオウム真理教西荻施設に対する銃撃。伊東均一郎(五二)=仮名=と山崎葉一(五五)=仮名=は朝銀中部信用組合名古屋支部銃撃。土畑公平(四一)=仮名=は朝鮮総連と新潟県本部に対する銃撃。田村誠二(五〇)=仮名=は審議官宅に対する不審物設置容疑。
 広島県教組銃撃事件で指名手配されていた木川文雄(三五)=仮名=は二十二日新橋駅前交番の前で捕まっている。
 一方、十九日の九十一カ所にのぼる家宅捜索で多くの証拠品を押収できると思っていた捜査本部に衝撃が走った。けん銃一丁も発見できなかったのである。報告を聞いた副本部長の公安部参事官が決心した。
 再度、刀剣友の会事務所や関係者、特に村井のけん銃保管役と見込んでいた速見の自宅などの家宅捜索を実施することとし、捜索の指揮官には荻窪署の生活安全課長を下命した。
 その結果、刀剣友の会事務所でけん銃一丁と速見が預かっていた村井のアタッシェケースを押収したのである。
 逮捕はこれだけでは終わらず被疑者を突き上げた結果、村井にけん銃を譲渡した容疑で会社員の黒崎光男(四五)=仮名=を神奈川県藤沢市の自宅で十二月二十八日に逮捕。捜索で古式銃など十八丁を押収した。鑑定の結果五丁は銃としての機能を有していた。

 公安の調べは〝情〟で落とせ
 こうして一連の事件で計十三人が逮捕され十二月二十六日からはそれまでの九都府県警による合同捜査本部に新たに北海道警、神奈川県警、福井県警、山形県警の四道県警が加えられ十三都道府県警、捜査員六百三十四人の所帯となった。起訴までの延べ捜査員は一万五千七百四十六人だった。
 捜査本部の拡大や容疑者の身柄の確保により、捜査員の増員、押収した証拠品の分析などもあって、これまでの警視庁の共同捜査本部を設置していた荻窪署では手狭になった。
 このため公安部は、東京・大田区の環状7号線沿いにあった公安機動捜査隊の入居する建物に移転することを決め、年末直前に移転した。
 主犯の村井の取り調べを担当することになったのは、警視庁で警備・公安一筋三十四年のベテラン警部、結城真三郎(仮名)、五十六歳。昭和四十五年に都内の大学を卒業して警視庁警察官を拝命。本冨士署を振り出しに第九機動隊、極左の中核派や黒ヘルなどを担当する公安部公安一課などを経て平成二年から右翼が専門の公安三課を担当している〝警備・公安のエキスパート〟だ。
 結城は捜査本部に組み入れられた時から調べを担当することが決まっていた。容疑線上に主犯格の村井が浮上した段階から村井の身辺捜査を続けてきた。村井は幼少のころから自衛隊の前身である保安隊に入っていた父親の転勤で秋田、宮城、宮崎、岐阜県などを転々としており、情報収集に時間を要した。
 調べ官・結城の心情は「被疑者の人権を尊重する」「嘘はつかない」「要求は聞いてやる」「けじめをつける」ことであると同時に、徹底的に生い立ちを重視する。極左や右翼の被疑者のほとんどが黙秘することが多く、どうしても一般論から入らなければならない。生い立ちには、それぞれの人間の原点があるから人間関係が作りやすいのである。
 要求を聞くといっても決して甘やかすことではない。取調の技術のひとつとして、受け入れられる範囲の要求を聞いてやることだ。その際、結城は調べ官補佐を上手に活用することだという。結城は調べ官補佐の力が大事だと常日頃から力説しているひとりだ。
 さらに結城には、差別問題や人間の命の尊さについては決して妥協を許さないという〝自説〟を持っている。
 結城のこうした「取調の哲学」は、公安事件被疑者の取調のお手本として後々語り継がれている。
 結城は村井を調べるにあたって、あるリストを作成している。それには村井本人の性格、趣味、嗜好、思想・信条、特技から居住歴、渡航歴まで八項目にもなる。結城はこの中から村井に接する場合に最も注意しなければならない事として三点あげている。
 ひとつは「右翼」という団体に所属はしていないが、バリバリの右翼的思想の持ち主であり、議論してはいけない。
 事前情報によると年上の話や先輩の意見には反発するタイプであり、命令調の口調は厳禁である。その上で、村井が書いた機関紙等を読む限り、反共産党でありながら反自民党でもある。反北朝鮮、反ロシアでもありながら反米でもあるというように、とらえどころのないように見えるが、極めて自尊心が強い愛国者であることだけは確かなようだ。
 同時に、平成十一年十一月には日本赤十字社岐阜県支部に五百二万四千三百十一円の寄付をしたとして平成十二年三月十九日に紺授褒賞を受賞するなど著名人である。
 自分の進むべき方向を決め真剣に革命を志している者が途中下車はしない。彼らは組織を捨てても思想は捨てないというプライドを持っている。だったらその思想の部分をじっくり聞き出すことだ。特に今回の事件はその部分にあり、具体的な実行行為はそれからじっくり責めれば良い。決して評価を下すような個々の事件の内容を聞き出そうと焦ってはならない。被疑者を監察しながら臨機応変に対応することだ。
 村井の調べで大事な事は、会話にはある程度の理解を示してやることだ。
 こうして調べ官・結城は、村井が留置されている牛込署に向かったのは十二月十九日の午後、午前中に逮捕して最初の調べだ。
 結城「きょうから君と話ができることになった公安三課の結城です」
 取調の開始にあたり所定の口上を述べた後、結城は一気に調べに入ろうとした。
 しかし、村井はこの段階から「何で逮捕されたのか分からない。自分には関係のないことだ」と言ったきり口を噤んでしまった。時間だけが過ぎていった。
 しかし結城にとっては想定内である。だんまりを続けるなら入る材料はいくつもある。妻と結婚式をあげたホテル・オークラの話や村井と民主党のN議員との憂国対談から入るのも良い。あるいは村井自身の尖閣列島上陸の出版記念会の話で自慢話を聞くのもいいだろう。
 村井がだんまりを続ける間に、結城はいくつかの話題でジャブを入れてみた。やはり父親の話題からなら入りやすいことが分かった。その時の表情に変化があることを調べ官補佐がしっかりと見ていたのだ。
 結城「ところで君は一郎と書いてあるが長男なのか?」
 村井「いや本当は次男なんです」
 結城「ほう…なにかあったのかな。良かったら聞かせてくれないか」
 補佐の見方の通りやはり、村井が乗ってきた。調べ開始から二時間近くは過ぎていた。
 村井「秋田県の本庄市で兄が生まれたのですが間もなく死亡したので両親はその悲しみを早く忘れ去ろうと、後に生まれた私に一郎と名付けたようです」
 結城「そうか…そういう悲しいことがあったのか…」
 一呼吸おいて結城は続けた。村井は、すつかり雑談に乗り切っている。
 結城「素晴らしい御両親じゃないか…君は特に父親を愛してるんだって?」
 結城のこの言葉を聞いた村井は一瞬、顔を強張らせた。「どこまで調べてるんだろう」と思ったのだろう。しかし、そう時間を置かずに口を開いた。
 村井「私は父が大好きです。もう亡くなったんですが…今でも脳裏に浮かぶのは父がゼロ戦に乗り、敵機のグラマンと猛烈な空中戦を演じて見事撃墜したという自慢話をしている時の父の姿なんです。父は私の心の中では英雄で、荒鷲と言うか、それが私の持つ父のイメージなんです。今でも心の中には生きているんです」
 結城が聞き込みの中で得た村井はまさにイメージ通りであった。結城は涙声になった。
 結城「そんなに愛したお父さんだもの…亡くなった時は、さぞ悲しかっただろうな」
 村井「父は秋田で私と弟を産み、仙台で亡くなりました。なんと言っても父はアメリカと戦った指揮官の一人なんです。だから戦争に負けて凄く傷ついていましたから…」
 ここまで言った村井だったが、なぜかこの後が続かない。結城は待つことにした。三分、いや五分は続いただろうか、ようやく口を開いた。
 「あれは…お葬式の後の会食の時でした。本来なら長男の私が挨拶しなければならないのですが、親族はなぜか弟にやらせたんです。仙台は左翼思想の強い土地柄なので右がかった私が挨拶をすると困ると判断したんでしょう。しかし会場には父の戦友もいるんですよ。私は頭にきたので弟の話が終わった後、勝手に話し始めました。そしてこう言いました。『日本は悪かったから戦争に負けたのではない。弱かったから負けたんです。戦争から生き残って帰った父の子供のひとりとして、戦争に負けた無念を石にかじりついてでも晴らそうと決意している者もいるということを覚えておいて頂きたい』とね」
 さらに村井は続けた。
 「だってね、刑事さん。私にとって父親は英雄なんですよ。戦争で亡くなられた沢山の人の死を犬死にや無駄死にとさせないためにも、何時の日か必ず父の思いを果たしてやりたいんです」
 それは〝復讐〟を意味するのか…だとすれば、警察官として相づちはうてないが、別の意味で結城は頷いた。そしてなだめた。
 結城「解った、解った。その通りだなぁ…それが父に対するというよりはお国のために戦った戦友に対する礼儀でもあるんだよなぁ。その精神が刀剣友の会と言うか日本人の会の設立目的になったという訳か…」
 村井「えっ、どうしてそれを…」
 結城「だってさ、日本レジンのホームページに書いてあったじゃないか」
 村井「解っていただけましたか。あれが自分の主張ですよ」
 こう説明した後、村井はさらに満足そうな表情で次のような話を始めた。
 自分は社会党の浅沼稲次郎を刺殺した山口二也を崇拝しており、機関紙「刀剣・ナイフ情報」にも「一発の銃声は百万人の動員に勝る」と掲載して会員に主義主張を知らしめていたという。そして村井は最後にこう言った。
 「でも自分は一人の命も殺めていないですから…」
 山口二也の名が出てしまった。
  ◇  ◇  ◇
 大変危険な思想の持ち主である事を改めて知らされ、結城の心の臓が凍った。結城が嫌うのは命の尊さを無視する奴だ。それなのに…しかし、村井が最後に言った言葉で、結城は村井の人間性を知ることができたと思った。
 こうして初日の調べは終わった。なんとなく事件の入り口が見えてきたとホッとする結城であったが、同時に村井は最初から雄弁になっており、これまで経験した右翼や過激派とは若干、違うような気がしてならなかった。得た結論は「あくまでも平常心で調べること」だった
 結城が村井から二度目に事情を聞いたのは勾留手続きなどが終わった十二月二十二日である。
 初日の調べの中で結城が気になった言動がある。それは父親の葬儀の挨拶で使った言葉だ。
 「戦争で負けた無念を石にかじりついても晴らす」
 村井は調べでも「何時の日か必ず父の思いを果たしてやりたい」…これらが今回の一連の事件の動機と言えるのだろうか。
 しかし山口の名を出したり、一方で「自分は一人の命も殺めていない」の言動。なるほど「反共産党でありながら反自民党でもある。反北朝鮮、反ロシアでもありながら反米でもある」の性格がそのまま現れているのだと結城は納得した。
 結城「君が誰よりも父親を尊敬していることは十分、分かった。そして戦争に負けた無念を晴らす決意も分かった。それでだ、自分で具体的にはどうしようと思っていたのか…」
 村井「大学時代、学園紛争と左翼全盛の世相を目の当たりにして『これでいいのか』といった思いが段々強くなっていった。社会人になってからも日本固有の領土である北方領土、竹島、尖閣諸島など外交問題にも疑問を持ち、『このままで日本は大丈夫なのか』という思いが強くなり自らも態度で示そうと尖閣諸島南小島に上陸したのです」
 結城「なるほど。現代社会に対する不満を君はまず上陸という行動で表現したわけか…。それで今回の君たちの行動は?」
 村井「昨年からニュースを見ていれば分かるでしょう。北朝鮮の日本人拉致問題と帰国した拉致被害者五人の家族を巡る北の態度…勝手な事ばっかり言いやがって…」
 村井の演説が始まった。結城は補佐の顔を見た。補佐は「これで大丈夫だ」と自信に満ちて微笑んでいるように見えた。
 「それにですよ北に多額の金を送金している朝鮮総連…頭に来るじゃないですか。だから私は北朝鮮を擁護する社民党に対して何らかの形で鉄槌を加えなければならないと思い、まず福井の総連に毛布に灯油をかけて放火を試みたんです。そして東京の総連と社民党に実弾を送ったんですよ」
 村井は自らの〝演説〟であっさり認めてしまった。まだ二日目だと言うのに…福井の事件とは?と思っていると補佐がメモをすーっと渡してきた。
 結城「確認したいのだが、福井の事件とは昨年十月二十三日の件だね」
 村井はコックリと頷いた。結城は続けた。
 「夜の十時ころ福井市日之出の在日朝鮮人総連合会福井県本部の敷地内の花壇にタオルか何かに灯油をかけて燃やした放火事件だな。これも君たちの犯行だったのか…しかも最初の事件か?」
 村井「そう、これが始まりだった。タオルじゃないよ毛布だよ毛布」
 結城「分かった。毛布だな…君ひとりでやったのか?現場にはどうやって行った?」
 村井「最初からどこにしようかと迷ったが、とりあえず麻生君と行った福井の総連を選んだ」
 結城「火を付けたのは君か?マスコミに電話をしたのも君か?」
 村井「持って行った灯油を毛布にかけて火を付けたのだが、窓から女に見られたように気がしたのでそれ以上はしなかった。電話をかけたのは麻生君だ」
 結城「君の命令か?どこに電話した?」
 村井「産経と中日だったか地元新聞だったかな…俺がかけたんじゃないから忘れたよ。麻生君に聞いて下さいよ」
 村井の言う麻生とは、刀剣友の会会長秘書をしている麻生孝一のことである。
  ◇   ◇   ◇
 結城「なんでマスコミに毎回毎回犯行声明を出したんだ」
 村井「大々的に報道されることによって良識ある国民に、北朝鮮の極悪非道な実態と弱腰政府の対応を認識させる必要があったからです」
 結城「それで弾丸の送付や爆弾の設置などエスカレートした訳だな。じゃ議員らに対する弾丸の送付の目的は?」
 一連の事件の流れで標的を組織から個人に変えた重要な部分である。
 村井「売国奴の国会議員が許せないのもあるが、対象を変えればマスコミに対するアピール度が大きいくなるだろうと思いました」
 結城「ところで建国義勇軍と名乗ったのは君が命名したのか?」
 村井「これは教育勅語を踏まえて自分が考えたものです」
 公安で右翼を担当しているなら教育勅語ぐらいは知っている。しかし知っていても相手に言わせることである。
 結城「申し訳ない…俺、難しい話は知らないのでその勅語の部分を詳しく教えてくれないか」
 村井「教育勅語に『一旦緩急あるときは義勇公に奉じる』という一節があるんだよ。これは国難が発生した時には奉公の精神を持って国の建て直しに身をささげなければならいという意味なんだ」
 なるほど、村井は北朝鮮に同胞である日本人が拉致されたりしたのは「国難」と受け止めていたのかと結城は思った。こうしたことから村井は「義勇」という言葉を使い、何とか我が国を立て直したいという一念から建国義勇軍と命名したのは理解できたのである。
 結城「朝鮮総連や社民党は分かった。じゃ日教組は、どう解釈すればいいんだ」
 村井「国内にも問題があるんだよ。日教組のように教育現場の思想を堕落させている国賊もあることから、そのような国賊に攻撃を加えるときには建国義勇軍国賊征伐隊という名で犯行声明を出そうと考えた」
 結城「それが広島県教祖に対するけん銃発砲事件に繋がるわけか…」
 村井「そうです」
 結城「君が撃ったのか?…君ひとりで?」
 村井「いゃ、あの時は服部君が撃った。現場には車二台で行った。あらかじめ木川君が下見をしており、服部君と麻生君の運転する車で行ったが現場はすぐ分かった。自分と麻生君が見張りをして、服部君に撃たせた。犯行声明は田村君が出した」
 結城「この時、初めてけん銃を使ったのか?なんでけん銃なんだ」
 村井は一段と声を大きくしてこう言った。
 村井「先に言ったでしょう。弾丸の送付と合わせ、けん銃発砲もマスコミが大きく報道するよう期待してやったことなんです」
 村井は正当性を主張し始めた。「テメエの都合の良いことだけ声を大きくしやがって…」。村井の話を聞いていると結城にはストレスが残るばかりだ。しかし、これも耐えなければならない。公安の調べ官として平常心、平常心…    
 ◇   ◇   ◇
 夕方近くになっていた。結城は改めて聞いた。
 結城「けん銃を使ったのは広島が初めてか?」
 村井「広島が初めてではないです。最初にけん銃を使ったのは東京のオウム。次が大阪のオウム…だから広島は三番目です」
 結城「ほう…個々の事件の詳細は後でゆっくり聞くが、なんでオウムなんだ?それも服部が撃ったのか?」
 村井「これは、野口さんが言い出したんです。自分もオウムは許せないと思いましたよ。それで刀剣まつりに木更津に行くのでその時にやろうと野口さんや中林君らに下見をさせて、当日は中林君に運転をさせて現地に行き、私が撃ちました」
 そして年が明けた一月一日の検事調べで、村井はオウム襲撃の詳細を次のように述べている。
 村井「オウム攻撃は捜査の目を反らす目的もあった。平成十五年五月に入った前後、野口さんから『会長、どうしてもオウムだけは許せない。狙うわけにはいきませんか』と言われた。私は、それまで福井総連、総連中央本部、社民党、名古屋朝銀と北朝鮮関連施設だけを対象にしてきたことから、捜査の目を眩ますためには、オウムを狙うのもひとつの手だと考えました」
 こうして村井は、警察、検察の調べで三事件を素直に認めてしまった。建国義勇軍が対象としたのは、拉致問題を起こした北朝鮮とその北朝鮮に送金している朝鮮総連及びその施設。そして日本の若年層に対して「反日思想」を植え付けている日本教職員組合。人殺しをして税金を使って裁判が行われているオウムもターゲットにし、さらに北朝鮮寄りの態度、コメントをしている国会議員、外務省職員へと拡大していったのだという。
 事件全体の概略が見え、年があけた一月に入り、村井に対する取調は、いよいよ事件の核心に入っていった。
 ◇   ◇   ◇
 結城「ところで建国義勇軍だが、最初の福井の放火事件は団体名は使っていない。ところが社民党や総連に銃弾を送付した事件では朝鮮征伐隊、東京と大阪のオウム関連施設の事件では赤報隊と国賊征伐隊。建国義勇軍と名乗ったのは十五年六月の広島県教祖銃撃事件からだが、これはどうしてか。本当に建国義勇軍は設立しているのか?」
 村井「マスコミにどうしたらインパクトを与えられるかで進歩していった。大阪のオウムの時にはまだ設立していなかった。結成したのは十五年の四月だから…」
 結城「どんなメンバーで誰が言い出しっペなんだ」
 村井「グアムに行った連中ですよ」
 ここまで言って村井は黙ってしまった。沈黙は暫く続いた。そして再び口を開いた。
 村井「今年四月に野口さんや服部、中林…それに…鹿島君かな…何人かでけん銃の射撃訓練することになりグアムに行った。そこで私が提案して正式に同意を得て設立したものでそれ以降は義勇軍を名乗っているはずです」
 結城「グアムでけん銃が撃てるのか?」
 村井「私は平成十二年四月に行っているから…確か、USAガンクラブとか言ったな。そこで訓練したんだ」
 これでグアムに捜査員を派遣して得ていた情報が活かされた。結城は起訴に自信をもった瞬間でもあった。
 結城「そうすると国内で実弾を送ったり発砲したのは、グアムから持って来たやつを使ったのか?」
 村井「けん銃の調達はたしか…幾つかあって…最初は私が一丁持っていた。次に野口さんに頼んで神奈川に住む会社員で黒崎光男とかいう男から38口径を手に入れたはずだ。それとその後、坂井とかいう男から十一月に38口径と44口径を入手した。グアムからは38口径の弾を四十発ぐらい持ち帰ったと思う」
 この後、村井は各事件の役割分担などについて詳細な供述を始めた。それによると今回摘発した二十四事件のほぼ全てで犯行を指揮。中には個々具体的に役割分担の行動まで指導していた。さらに東京や大阪のオウム施設に対する発砲事件や福井の放火、名古屋の朝銀に対する発砲事件は全て村井が自ら実行していた。
 その他、S議員やK議員、M議員に対する実弾送付事件では、自らライフル銃の実弾を集めるなどの準備をしていたのであった。
つづく

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