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2015年3月22日 (日)

ドキュメンタリー 建国義勇軍 その1

 公安の捜査手法とは
   北朝鮮御用聞き政党社民党及び党首土井たか子へーとする一通の封書が東京都千代田区永田町の社会民主党本部に届いたのは平成十四年十一月九日午後一時十八分ころだった。封書の中には次のような脅迫文に弾丸が一個添えられていた。
 「社民党を即刻解党せよ。似非日本人たる諸君には拉致された家族・親族の悲しみ叫びは解るまい。引き続き「領主様」への忠誠を謳い、人心を惑わすならば身辺に重々気をつけることをお勧めする。月明かりの夜ばかりではない。朝鮮征伐隊」
 この日の午前十時十五分ごろ、読売新聞東京本社に「北朝鮮に憤慨を感じているひとり」と名乗る男から電話がかかった。男は「土井たか子さんと総連に35マグナム弾を送った」言い、電話はすぐ切れた。
 男が読売新聞に通報したもう一方の在日朝鮮人総連合会中央本部に封書が届いたのは午後一時十五分ごろだった。
 「貴様等には、即刻領主様のおはします北朝に帰ることをお勧めする。残念ながら領主様を懐かしむ教育や、蛇頭よろしく領主様の小遣いの為の地下送金組織を組む勝手放題に、何時までも日本国民は沈黙している訳ではないことを、よくよく自覚すべし(中略)夜道はくれぐれも気をつけよ(後略)」
 社民党に届いた脅迫文には「朝鮮征伐隊」と書かれていたが、朝鮮総連にはその文字は見当たらなかったが、やはり弾丸が一個入っていた。
 届けを受けた警視庁麹町警察署が調べたところ、両方に出された封書は前日の十一月八日消印の速達で深川郵便局から投函されていた。また弾丸は口径0・357インチ・マグナム型回転弾倉式けん銃用の実弾であることが判明した。
 十月には北朝鮮に拉致された五人が一時帰国したが、拉致被害者の他の八人は死亡したなどとする北朝鮮の対応に日本政府が疑問を呈するなど国民的にも大きな問題になりつつあった。
 こうした背景に朝鮮征伐隊などは既成右翼に存在しない団体でもあったことから警視庁は、悪質ないやがらせとして銃刀法違反容疑で捜査を開始した。
 年が明けて平成十五年一月十四日午後十一時二分から同四十五分の間に、朝日新聞大阪本社や同東京本社、中日新聞名古屋本社、日経新聞大阪本社など六社に、朝鮮征伐隊を名乗る男から犯行声明ともとれる電話が立て続けに入った。
 「十時三十分ころ名古屋駅前の朝銀に銃弾を撃ち込んだ。血税を注ぎ込んでいることへの抗議だ。これからも続けるならもっとやる。朝鮮征伐隊はこれまでもいろいろやっている」
 電話を受けた朝日新聞名古屋本社は愛知県警に連絡。警察はこの電話で事件を端緒した。
 要請を受けた愛知県警中村署員が名古屋市中村区の朝銀中部信用組合名古屋支店に駆けつけ捜索した結果、一階北側の窓ガラスが銃撃によって割られているのを確認した。十五日午前零時十分ごろだった。
 これらの事件が後に、一都一道一府八県で発砲事件や脅迫事件、爆発物類似設置事件など二十四事件を引き起こしたあの歴史的な建国義勇軍事件のプロローグになるとは日本警察の誰もが予想していなかった。
 そして警視庁管内でオウム真理教団の建物に対する銃撃事件が発生した。それは事件史上極めて希な規模の十三都道府県警察による合同捜査本部設置の引き金となる事件だった。

 オウム東京道場を銃撃
 東京・新宿三丁目を起点に大菩薩峠を越えて山梨県の甲府市へと続き、江戸時代から庶民の旅客が往来した青梅街道ーその街道沿いに平成四年に完成した地上七階建ての荻窪警察署がある。玄関前にセキセイインコが入った「ピーポーハウス」がある珍しい警察署だ。「犯人をトリ逃がさない」という願いが込められているという。
 東京二十三区の西端に位置する杉並区。その区の最西端を管轄しており、きょう三十日は早朝から五階にある講堂で特別捜査本部の会場づくりが署員総出で行われていた。通信機器を設置する警視庁本部の装備課員の間を縫うようになぜか?鋭い目つきで強張った表情の刑事が慌ただしく出入りしている。
 捜査本部は、前日の平成十五年五月二十九日夜、杉並区西荻北三丁目にあるオウム真理教の道場が銃撃されたことから設置されようとしているのだ。
 銃撃情報は三十日午前零時五十分ごろ朝日新聞東京本社の記者から荻窪署に寄せられたもので、「二十九日夜、赤報隊と名乗る男から犯行声明と見られる電話があったが、警察署でけん銃の発射音を確認しているか」という問い合わせの電話だった。
 記者によると朝日に寄せられた電話は次のような内容だった。
 「赤報隊の生き残りや。十時四十三分に杉並区のアレフに一発撃ち込んだ。お前ら大嫌いや、皆殺しにしてやるで…国賊征伐隊や…覚えておけ」
 銃撃したとされる建物はオウム真理教団がマンションの一室を借り上げて杉並道場として利用しているもので、この年の二月から「アーレフ」に名称が変更されている。
 同マンションはJR・西荻窪駅の北口を出て駅前通りの商店街を西に約二百㍍行った交差点を右に入り、さらに約五十㍍先のT字路を今度は戻る様に右に入り数十㍍先の右側にある。同日夜、荻窪署員が現場を検証したが異常は発見されなかった。警視庁内には「いたずら」の見方も存在した。
 犯行声明ともとれる電話は二十九日夜は朝日新聞の大阪本社にもかけられており、翌三十日には毎日新聞東京本社、中日新聞東京本社と同名古屋本社など計六件かけられ、うち四件は関西訛りの男の声だった。
 銃撃したとされる現場周辺は、大正から昭和にかけては東京近郊の別荘地として知られ、与謝野晶子や棟方志功など多くの文化人が住んでいた高級住宅地。
 現在は、東京女子大や名門都立校などが集積する文教地区で昼は多くの学生たちで賑わう。駅前北口の大通りである伏見通り商店街から一歩、路地裏に入るとそこは住宅の密集地と一変する。特に夜は人通りは少なく静かになる。
 その静かな住宅地で、しかもオウムの建物に向けてけん銃が発砲された事を重視した荻窪署は改めて早朝から現場検証を実施した。
 その結果、マンション一階の正面玄関出入り口のドアに弾痕があるのを発見。さらにドアから約二㍍離れた位置にあるプランターの中から弾丸と見られる鉛弾を発見したことから捜査本部の設置となった。
 警視庁公安部が事件発生の報告を受けたのは三十日になってからだった。今回狙われたのはオウム教団だが、犯行声明で「赤報隊」や「国賊征伐隊」を名乗っていることから出動を決めた。
 特にこれまでの事件では「刑事と公安の確執で事件が未解決になった」などという悪評価を受けたこともあり、公安部参事官の意向が強く働き、早期の出動となった。
 こうして警視庁は公安部と刑事部の両部から公安三課と公安機動捜査隊、刑事部からは捜査一課と現場鑑識が臨場。警視庁公安部長を本部長とする共同捜査本部が設置された。
 特に、赤報隊は昭和六十二年五月に兵庫県西宮市にある朝日新聞阪神支局が銃を持った男に襲われ小尻和博記者(当時二十九歳)が射殺された未解決事件では共同通信に「赤報隊」を名乗る男が犯行声明を出していることもあり、公安部に緊張が走り、それが捜査本部出入りの刑事の表情に現れている。
 この事件の端緒は新聞社を経由しており、発生から時間が経過してから警察官が臨場していることもあり、初動捜査の遅れというハンディを背負ってのスタートとなった。
 このため公安部は、目撃者も含めて余りにも基礎資料が少ないことから不審車両の特定が捜査の行方を左右すると判断。発生時間の特定も含め、刑事部並の徹底した地取り捜査を実施するとともに、情報通信課を始め、ビデオの解析から民間企業の専門家まで科学捜査の活用に力点が置かれた。
 その結果、道場にいる信者の一人が「午後十一時ころパーンという音が聞こえたが悪戯の爆竹かと思った」と証言。
 さらに犯行当日、信者と現場周辺の通行人が不審な車両を目撃していることを突き止めた。それによると、不審車両は不完全ながらも横浜ナンバーの白色の国産大型乗用車で後部座席がスモークになっていたことが判明したのである。こうした目撃情報などから犯行時間は午後十時四十分前後と推定された。
 特に犯行当日の午後六時から翌日の午前六時までの通過車両について、白い大型乗用車で横浜ナンバーの全ての車両割り出しのため周辺に設置されている防犯カメラとNシステムの分析などに捜査員二人を専従させることとした。
 さらに犯行現場に行くには伏見通りの一方通行を通過している可能性が高いことから、北口交番内に設置されている防犯カメラのビデオの解析が進められた。
 
 今度は大阪市のオウムが狙われる
 防犯カメラの分析を進めた結果、事件発生直前に目撃情報と一致する白い大型乗用車が三、四回交番前を通過している映像があった。交番と現場は直線距離にして百㍍ぐらいの位置関係にあり、有力情報に繋がる可能性が高いとして、映像を鮮明にするため警察情報通信研究センターに依頼した。
 しかし、交番設置のビデオカメラはワイドだったため映像の鮮明化には限度があった。ようやく自動車の型が分かる程度だが専門家が分析すれば車種が特定できる可能性のある画像を得たのである。
 この写真を民間自動車販売会社に持ち込み、車種の特定を依頼した結果、幸運にも車種が特定できた。それはニッサングロリアだった。
 こうして捜査本部の捜査は順調に進んでいる最中の六月十三日午後九時十分ごろ、今度は大阪市西成区にある五階建てのビル四階に入居しているオウム真理教大阪支部にけん銃が撃ち込まれた。
 午後九時三十七分ころの「けん銃を撃ったような音が三発聞こえた」という一一〇番通報で大阪府警西成署員が調べたところ、支部道場西側四階の窓ガラス三枚が割れて、天井一カ所に弾痕を発見。床から銃弾一発が発見された。
 事件後の同十時過ぎ、同市北区の朝日新聞大阪本社に「国賊征伐隊」を名乗る男の声で電話がかかった。
 男は「社会部さんか、要件だけ言うからちゃんと聞け。今日午後九時一分、西成区のオウムの五階建てビルの四階に向けてチャカ三発撃ち込んだ。俺の名前は国賊征伐隊や。今までもいろいろやってきているから分かるな。お前のところも気いつけや」と話し、すぐ切れた。中年風の男の声だった。
 同じ内容の犯行声明は同日中に中日新聞東京本社にもかけらけており、二件とも関西訛りの声だった。
 さらにその十四日後の六月二十七日午後九時三十五分ごろには、広島市東区光町にある「エコード広島」三階の広島県教職員組合書記局にけん銃が撃ち込まれる事件があった。
 午後九時三十六分の一一〇番で「石が投げ込まれ窓ガラスが割れた」の通報があり、広島署員が調べたところ、事務所三階西側の窓ガラスにけん銃二発が発射され、一発は窓ガラスに直系一・五㌢の穴を開けて天井に当たっており、もう一発は窓のアルミサッシにめり込んでいた。当時、書記局次長と執行委員の二人がいたがケガはなかった。
 事件の約一時間後の午後十時二十分ごろ朝日新聞大阪本社警備防災センターに電話がかけられ「広島の日教組に九時三十五分銃弾を撃ち込んだ」と話し出した。警備員はこの電話を社会部に転送したところ、男は「午後九時三十五分に広島の日教組に銃弾二発を撃ち込んだ。我々は建国義勇団別働隊国賊征伐隊だ。全国の日教組を殲滅する」と告げて切れた。
 これはテープに録音されたもので、さらに翌日には二人の男から中国新聞社に犯行声明の電話がかけられている。

 警察庁が担当者会議
 この大阪と広島の事件報告を受けた警察庁が動いたー全国で発生する公安事件を含めた警備局所管の事件は、全て警察庁への報告が義務付けられている。報告を受けた警備局審議官や担当課長が、各県で発生している事件に共通性が出るなど捜査上、必要と判断した場合は総合的な調整に乗り出すことになっている。
 公安部の仕事は極左集団や右翼団体などの監視を続け、さらに協力者などの特別な関係者を抱えるなどして常に動向を把握しており、事件発生と同時に捜査対象の範囲が絞られる。このため当該警察本部の内情を知らない他県警が勝手に越境捜査を行い、全ての関係をぶち壊してしまうという弊害を無くするのが調整だ。
 しかし、捜査協力の要請はしたいものの、相手に手の内が知られて困るミッションもある。こうした場合は公安部の〝裏組織〟が動くことになる。このように公安部の仕事は、全てが警察庁を頂点としたピラミット型になっており、特殊な関係者を含むミッション以外は個人プレーはできない。
 そうした意味で刑事部や生活安全部などの事件捜査との大きな違いは捜査会議などは開かない。情報は捜査員ー係長ー課長ー捜査指揮官ー警察庁の流れで挙げられていく。但し、幾つかの警察本部が協定を結び合同捜査本部が設置された場合の捜査指揮はその時の捜査本部長だ。
 かつて昭和の時代までは警視庁公安部の力が強く管轄権を越えて過激派の拠点を監視をするなど極秘に越境捜査を実行していたが、捜査力の均等化もあって平成に入ってからは改められた。
 五月に東京で発生したオウム施設の銃撃事件では、犯行声明の電話で「赤報隊の生き残り」を名乗ると同時に「国賊征伐隊」とも騙っている。国賊征伐隊は右翼にも左翼にも団体名は確認されていないが、赤報隊の名が出ていることもあり警視庁は公安部主体の捜査本部を設置していた。
 ところが東京のオウム施設銃撃以外の大阪のオウム施設銃撃や広島市の教職員組合に対する銃撃でも国賊征伐隊を名乗り、さらに以前の平成十四年十一月に発生した朝鮮総連中央本部と社会民主党への銃弾郵送事件では「国賊」と「朝鮮」の違いはあるものの「征伐隊」を名乗っている。しかも何れも犯行後にマスコミに電話をかけている点を重視し、警察庁が調整に乗り出すことを決定した。
 警察庁が調整を開始すれば、警視庁の捜査本部にも他県発生の事件内容や捜査情報は入るし、必要な場合はお互いに情報交換も可能となる。
 警察庁が調整に乗り出す方針を固めた直後の平成十五年七月二十九日午後十時五十五分ごろ、朝日新聞東京本社に建国義勇軍と名乗る男から一本の電話が入った。
 「我々は建国義勇軍です。新潟、朝鮮総連、銃弾を一発撃ち込みました。朝鮮、朝銀に爆弾を仕掛けました。九時過ぎです。我々は建国義勇軍です。朝鮮人を日本から駆逐するまで、これが続きます」
 電話を受けた社会部のT記者は警視庁公安部公安三課に通報。三課員が新潟警察本部の総合当直に通報した。同時多発である。
 通報を受けた新潟県警は二十九日午後十一時五十分ごろ新潟市竜が島にある在日朝鮮人総連合会新潟県本部を捜索した結果、事務所脇のシャッターに銃撃痕を発見した。
 さらに新潟市花園の朝銀は、現在はハナ信用組合新潟支店になっており、同支店を調べた結果、同店の通用門付近に紙袋に入った不審物件を発見した。
 新潟東署によると発見した紙袋は縦四〇㌢、横三〇㌢、奥行き一〇㌢で、中に象印製ステンレスボトル、カセットガスにキッチンタイマーがコードで接続されていた。
 このため同署は同支店から五〇㍍四方を立ち入り禁止にし、周辺の百六十三世帯の住民を避難させて紙袋を凍結処理して回収した。避難が解除されたのは三十日午前四時十五分だった。
 結局、不審物は爆発物の類似品と判明。新潟県警は両事件を器物損壊と銃刀法違反、爆発物類似物件設置脅迫事件として捜査することにした。

つづく

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