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2014年5月 5日 (月)

小説・薬物捜査官 その2

リンク: police story 別室.
小説・薬物捜査官 その2
 通信傍受
 
「やぁしばらくでした」
 鬼頭が捜査本部のある城西署に出勤したのは約一年半ぶりだった。捜査本部と言っても特別捜査本部とは違い、下町署と城西署、生活安全特捜隊員の一部を集めた二十人体勢で、キャップには特命捜査官の笹森が充てられた。
 鬼頭は、城西署生活安全課保安係五人で暴力団・篠原組東京支部を担当していた。そして今回は、同じメンバーで朝陽商事をも担当する。
 「朝陽商事は貿易のほかに古物商のようなこともしており、最近は金融関係にも手を出しているようだ」
 保安の係長が鬼頭に言った。
 「車は何台持っているかだが、最低でも帳の車のナンバーでNシステム監視をやろうじゃぁーないか」
 「携帯にあった固定電話の通信傍受はできないだろうか」
 城西署生安課長が発言した。
 「携帯に残っていた番号は、マスコミに報道されてから番号を変えている。番号が変更された現状では、令状(通信傍受捜査令状)は簡単にはおりんだろう」と鬼頭。
 「まず、傍受の令状を目指した捜査に重点を置きますか」
 かつて刑事部捜査一課に在籍した当時、江東区木場の不動産賃貸業者に対する連続強盗・殺人事件で通信傍受を実施した経験のある佐藤が発言した。
 佐藤は現在、鬼頭の後輩でやはり特命捜査官の警部補だ。
 「七、八年前になりますが、江東警察管内で不動産業者が殺された強盗殺人事件がありました」
 佐藤は当時、捜査一課の強行班七係に在籍していた。
 「四十九歳の経営者宅に複数の男が押し入り、二百五十万円入りの金庫が強奪され、現場で経営者が惨殺死体で発見された事件かね」
 生安課長が切り返した。
 「ところが、事件の十日前に社長が経営する会社内で、というよりは不動産屋の店舗なんですが強盗未遂事件が発生していたんです」
 佐藤は続けた。
 「この事件で中国人を含む複数の男が浮上したんですが、どうも、不動産屋の中に手引きした者がいるのではないかという疑問が出た」
 佐藤によるとその時、江東署捜査本部は強盗殺人事件直後に、未遂事件で浮上している複数の男達の通信の傍受を申請したというのだ。現在の通信傍受法が成立する前の話しである。
 「忌まわしい事件だった。しかし現在のような厳格な法律がないため、当時は令状は比較的容易におりたんだよなぁー。当時は盗聴行為呼ばわりされ、公にはしていないが、役にたったもんだよ」
 つまり傍受対象事件の前に発生した未遂事件で、容疑線上に浮かんだ四人の男の携帯電話と、手引きした男のデスク席の固定電話が傍受の対象とされた。
 その結果、強盗殺人事件後に次のような通信記録が得られた。
 男A「何で、あのときは今回のようにいかなかったんだよ」
 男B「そうなんだよ。だいたい金庫の位置も違うんだよな。Cの野郎がボケてんだよ」
 男B「いや、それよりも今回は金がすくなかったな。えっ」
 男A「これじゃぁーCの分け前を少なくしないと…」
 つまり強盗殺人事件と未遂事件では、金庫の位置が違っていたこと。殺害事件では金庫内の現金が予想以上に少なかったこと。手引き者の取り分が少ないことなどの通話記録が得られたのだ。こうした記録を元に四人は未遂事件と強盗殺人事件の容疑で一網打尽にされた。通信傍受が功を奏した事件だった。
 佐藤は、説明を続けた。
 「あの当時と違って、今の傍受は極めて難しい。簡単に令状が降りないのですよ」
 「どういう事ですか?」
 生安課長が聞き返したのに対して、鬼頭が答えた。
 「薬物捜査では、平成元年のコロンビア人らによるコカイン密輸入事件、翌年のフィリピンからの大麻密輸入事件、オーストラリアへのヘロイン密輸事件などで通信傍受は大きな効力を発揮しているが、通信傍受法ができてから令状そのものが降りない……」
 「容疑をしっかり固めることは勿論だが、問題は、通信傍受が最後の捜査手段であることを立証しなければならないのです」
 一呼吸おいて佐藤が続けた。
 「しかも、令状請求書に書かれる事項は警視総監に報告して事前決済が必要なんです」 「そうすると簡単に別件請求はできないのか……」
 生安課長は、警務と交通畑が長いため、傍受法の手続きなどは知らなかった。
 「そればかりか、いざ傍受の令状が出たとしてもスポット傍受と言って、のべつまくなしは聞けないんです。数分聞いて数分中断する。この繰り返しなんです」
 「さらに、さらにだよ。傍受期間は十日間と決められ、第三者の立ち会いが必要なんだ。勿論立会人は消防官など公的な人間だがね」
 「実施すれば記録の保存が義務づけられて裁判官に提出することから、会話の中に狙った容疑内容が含まれなかった場合でも日数が限定されているため傍受は何の意味もなくなります」
 捜査には使いかっての悪い法律に現場からは不満の声が多く出ている。
 「それに今回は、マスコミに出てしまい相手は携帯番号を変えてしまっている。いや、持っていないかもしれないとなれば……」
 鬼頭はマスコミを恨んだ。
 「それじぁー別件を捜しますか……」
 鬼頭の苛立ちをみてとった生安課長が言った。
 「だめです。それでは令状は降りませんし、後に国会に報告されます」
 佐藤は即座に否定した。そんな甘いものではないのだと言いたかった。
 物事は時代の流れとともに進化する。犯罪組織は国境を越えてグローバル化が進み、通信手段は十年前には想像すらつかなかったほど進化した。携帯一本で中国や韓国といつでもどこでも会話ができる。
 特に今回の事件で驚いたのは、出入国の制限が厳しい北朝鮮に、プリペイド式の携帯が渡っていたことだった。それが発見された。こんな時代なのに、取り締まる側の〝武器〟となるはずの捜査手段「通信傍受」が、時代に逆行していることに鬼頭は改めて憤りを感じた。
 「盗聴と言われようと何と言われようと、犯罪捜査に役にたてばいい。それがプライバシー、プライバシーと言って人の命どころか国家も救えなくなっている」
 「通信傍受は難しい、囮(おとり)捜査もだめだ。司法取引もだめだ。警察官でありながらけん銃もおいそれと使えないでは、手足がないのとおなじだよ」
 鬼頭にとってさらに気がかりなのは、組織犯罪対策部なる新たな構想があることだ。警察庁が、FBI(米連邦捜査局)方式の導入を検討した際に、同時に浮上した案だ。特命捜査という専門捜査部門は残るのだろうか。
 「幹部ばかり増やして俺たちは誰に従えばいいんだ。ひとつの課に警部補や警部ばかりが多すぎる」
 第一線の警察官の間にはこんな不満が鬱積(うっせき)していた。
 朝陽商事に対しては「あらゆる法令を適用した捜査」とする警視庁方針が示された。それを受けて生安部は、生活経済課員をも投入し外為法違反を視野に貿易面の収支調査も開始した。暴力団の繋がりが出れば刑事部の投入もあり得るとされた。
 事務所周辺には捜査員が配置され、朝に出されるゴミのチェックの指示も出された。外交員と見られる社員には尾行がついた。
 出入りする不審な人物に対する職務質問は徹底された。社長車両をはじめ数台の車がNシステムに登録され最大限の活用が下命された。

 それは幸せを伝える手紙だった
    ×      ×       ×       ×
 昨夜の張り込みで、鬼頭が新橋の分室に出勤したのは午前十時を過ぎていた。五日ぶりの出勤で、警視庁本部からの通達や内部連絡文書などが溜まっていた。
 人事異動の内示書類の下に隠れていた一通の封書が鬼頭の目にとまった。表書きにはパソコンで印刷された住所・氏名が書かれていた。宛先が警視庁本部になっていたほか所属名もなかったことから、開封を一瞬、ためらった。恐る恐る裏返した。
 国分寺に住む村橋知宏と岩瀬邦子の両名が書かれていた。邦子は知らないが、村橋知宏については鮮明に記憶している。封書を空けると結婚式への招待ハガキと手書きの手紙が入っていた。
 拝啓 突然の手紙で失礼します。鬼頭刑事さんにあの事件でお世話になってから十五年が過ぎました。現在は国分寺市内にマンションを購入し、真面目に働いております。
 この度、私たちは結婚することに成りました… あの時、鬼頭刑事さんにお会いしなければ私の人生はありませんでした…
 このところの仕事の忙しさで忘れかけていた村橋からの手紙だ。
 それは悲惨な事件だった。
 覚せい剤を使用していた村橋が十六歳から十八歳にかけて、両親に暴行を加え続け、最後は両親を包丁でメッタ刺にして重傷を負わせた事件だ。
 多摩地区に住んでいた村橋が、ある朝、「朝食の支度が遅い」と因縁をつけて台所から包丁を持ち出し母親の腹など数カ所を刺した。止めに入った父にも襲いかかり、腹や大腿部などを刺した後、二人を放置して高校に登校した。
 村橋は大量の返り血を浴びていたが、三十分もかかる自転車通学で学生服に付着した血痕は乾き、一見、何事もなかったように教室に入り、授業に臨もうとしていた。
 しかし、隣りの席の生徒が村橋のワイシャツの袖口が血液で真っ赤に染まっているのに気づき、異様な臭いがしたことから職員室に駆け込んで先生に報告。担任が事情を聞くため教室に向かおうとした時、職員室の電話のベルが鳴った。
 奥多摩警察署の駐在からの連絡で職員室は大騒ぎになった。和宏の父親が腹などを刺されたが、自宅に電話がなかったことから道路を腹這いになりながら、三百㍍離れた隣家に駆け込み、一一〇番通報した。
 自宅では、台所で母親が全身血だらけで倒れ、意識が殆どない状態だった。二人は、隣家の杉田さんの小型トラックに乗せられ病院に収容され一命をとりとめた。
 奥多摩署では村橋和宏を学校から同行して事情を聞いたところ、犯行を認めたという。
 供述調書などによると和宏は一人息子だった。父親は青梅市の建築会社で働いていたがバスでの通勤のため一週間のうち帰ってくるのは二、三日。一週間も帰らない時もあった。
 夏休みも間近な七月中旬、当時、中学生だった和宏が帰宅すると、玄関はカギがかけられ雨戸は閉められていた。いつも自宅では母親が内職をしているはずだった。裏木戸から入ろうとすると、母親が衣服と髪の毛を乱して寝室から飛び出してきた。
 後を追うように、いつもは内職の材料を運ぶ男がハダカ同然で追いかけるように出てきた。男は和宏とぶつかりそうになり、慌てて居間にあった衣服を身につけ逃げるように出て行った。中学生になった和宏には、何があったか想像がついた。
 その夜、和宏は自宅で母親をなじった。なじるだけではなかった。初めて暴力を振るった。大人と言っても自宅で白昼からの淫らな行為を許せなかった。
 殴られた母は「許してほしい」と何度も嘆願したが、和宏は許せなかった。余りにも不潔に感じたからだ。和宏は自宅を自転車で飛び出した。夢中でペダルを漕いだ。気が付いたときには中央線の車内だった。
 渋谷の道玄坂にいた数人から声を掛けられた和宏は、すぐ意気投合した。中学生とはいえ身長が一六〇㌢近くもったあったことから高校生以上に見えたのだろう。そしてその夜、初めて覚せい剤を経験した。
 こんな供述を得た奥多摩署は、当時、本部生安少年課に連絡。渋谷周辺に存在する「覚せい剤遊びの不良少年団」の調査を実施。保安課が渋谷東署と合同で捜査に着手。当時同課員だった鬼頭は、渋谷周辺覚せい剤密売事件の捜査の一員に抜擢された。
 村橋少年と出会ったのはその時だった。奥多摩署で調べを受けている村橋から、覚せい剤仲間の割り出しの協力を得るため、どうしても情報が必要だった。
 何度も通ううちに、こんな可愛い男の子が覚せい剤に手を出すとは思えなかった。あまりにも素直な子供だった。村橋は鬼頭に蕩々(とうとう)と話した。
 「覚せい剤を使用するとき、アルミホイルに乗せて下からライターであぶり、煙を吸いました。三、四回繰り返しているうちに、嫌なことはすっかり忘れました。急に元気も出てきました」
 以来、村橋は、気持ちの良さから脱却できずにズルズルと渋谷に通うようになったという。父親の勤める建築関係は好況で手当が多く、母親は自宅で内職しており、中学生時代から不自由のない生活を送っていた。
 しかし、覚せい剤に手を出してからは小遣いが足りなくなり、母親の引出からへそくりを盗んだこともあったという。既に、奥多摩署の調べ官に話していたことだが、なぜか村橋は鬼頭を見ると何度も繰り返すように喋った。
 「罪を憎んで人を憎まず」を、犯罪捜査の哲学とする鬼頭は、村橋少年に興味を持った。幸い、奥多摩署少年係りには同期の係長がいた。更正を約束したのは最後の調べだった。
 「しっかり反省し少年院からは一日も早く出るように。それがお父さんお母さんに対する最大の謝罪だ。そして一日も早く真人間になってほしい。就職で困ったら何時でも連絡するように…」
 こう諭された村橋は、「おじさん…」と泣きながら鬼頭の手をとり、すがりつくような目で見つめてきた。その目は、覚せい剤少年とは思えないほど綺麗だった。
 鬼頭は、少年係長に「村橋少年の件をよろしく」と言って署を去ったのが村橋との最後だった。事件捜査は順調に進み、八人の密売人のイラン人を逮捕。突き上げ捜査で蒲田に住む暴力団を摘発した。
 何年か過ぎたころ突然、村橋から手紙が届いた。係長に聞いて手紙を書いたという。少年院を出て自宅に帰った村橋は同じ地区にある製材所で働いており、父母の面倒を見ていると書かれていた。
 母親はすっかり元気を取り戻し、父とは老後を語り合うまでになったという。鬼頭はこんな手紙を受け取ったが、特命捜査官でもあり、係長に「宜しく」と伝えてもらうよう依頼しただけでそのままになっていた。
□   □   □
 覚せい剤などの薬物は、「使用しているうちはやめられない」という〝依存性〟があり、次第に〝乱用〟に陥り、やがては〝幻覚〟が現れ、さらには〝妄想〟に伴い自分で自分を傷つけたり、他人に襲いかかるように危険性を増していく。
 それだけに悲惨な事件が多い。昭和五十七年二月には、大阪市西成区の住宅で、四十七歳の無職男が、妻との夫婦喧嘩がきっかけで妻を刺し殺したあげく、止めようとした十一歳の息子も殺害する事件が発生した。覚せい剤の常習者だった。
 血をみて錯乱状態になった男は、隣の建設作業員の部屋に押し入り、作業員夫妻をもメッタ刺しにした。悲鳴を聞いて駆けつけた周辺の人たちを次々に襲い、結局四人が殺害され、三人が重軽傷を負うという事件に発展している。
 この事件当時は六百㌔代で推移していた国内での覚せい剤押収量も翌々年に急増、千六百㌔代の押収量になった。その後も増え続け、平成元年には一時は千㌔を割ったものの六年ごろからさらに増加の傾向を示し、十一年には二トンに迫る覚せい剤が押収されている。背景には、平成十年に明らかになった北朝鮮産の覚せい剤の流入が挙げられる。
 村橋からの手紙を読んだ鬼頭は、結婚式での幸せそうな二人を想像した。
 「鬼頭君」
 風間から呼ばれて鬼頭は我に返った。
 「下町署の本部からの情報だが、篠原組の見張りをしていた捜査員の家族が組員に嫌がらせ行為を受けたらしいな。どうしてだね」
 「あの連中は警察官が事務所前を通るだけでピリピリしている。ましてや自動車で張り込むとナンバーを読み取り、陸運局で所有者を調べる。それが刑事だったりすると家族などへの嫌がらせを平気で行う。だから、張り込みはレンタカーなどが良いのですが、前から言っているのですが我が社は理解しようとしない」
 「警察を脅す?。そんなことあるのかよ。別件で取ってしまぇねーのか、えっ」
 風間の卓上の電話が鳴った。大阪府警からの電話だった。受話器を置いた風間が鬼頭と伊藤光太郎、榊原甚一の両警部補を机に呼んだ。
 「大阪府警からの連絡で携帯に記録があった丸暴(暴力団員)の一人に通信傍受の令状が降りたらしい。名前は篠原組幹部の後藤田作之助という男だ。これらの情報連絡担当は榊原君にやってもらいたい。伊藤君は調整役のキャップを頼む」
 「理事官、理事官=お電話です」
 分室唯一の女性警察官・小宮山礼子警部補が風間に言った。
 特命捜査官室には二十の机があり、各デスクにはパソコンが配置されている。テレビのニュースを見ていた風間は小宮山の声にようやく気づいた。
 電話は本部の薬対課長からだった。
 「今、多摩川署の佐山署長から連絡が入って調布市内の多摩川沿いにある山本物産の倉庫の人の動きがおかしいというんだ。署長は生安出身で俺の同期だ」
 「ほう。それが、どうして薬なんですか?」
 「そこの駐在が日誌をつけていて、だいぶ前に新聞で見たイラン人密売組織の実態のニュースがどうも心にひっかかると言うんだ」
 「ああ、去年夏に東京タイムスの記事かな」
 「数日前の夜、駐在さんが多摩川沿いでイラン人を職質(職務質問)したらしい」
 「うんうん。それで薬が出た!」
 「山本物産は有機農産物や海産物などの輸出業者。その倉庫が多摩川沿いにある。だが、何か月かに一度の割合で早朝に不審なベンツが来るそうだ」
 「それと、覚せい剤を持ったイラン人、輸出業者……なるほど。不釣り合いだらけだから、面白いわけだ」
 「署の保安で(捜査を)やろうとしたが余裕があるなら、ご教示をいただければと」
 「いま、所轄の生安は大変だからなぁ。けん銃月間だのなんだのかんだのと言って…。分かりました課長。鬼頭を出します」
 「なんとかぁーなるだろう♪ー」
 風間は受話器を置いた後の素っ頓狂な声で植木等の歌を唱ったのには室内にいた職員全員が驚いた。
 風間は、今回の一件を鬼頭に頼むことにした。多摩川署管内のその場所は、警備・公安でも興味を引きつける地域だったからだ。
 数日後、鬼頭は多摩川署を訪れた。佐山署長室に入ると生安課長と杉山が待っていた。
 「鬼頭君よ>」
 「杉山さん!」
 「どこに、いるんだよお前は……」
 「杉山さんこそ、なんでここにいるんですか」
 二人は署長室で抱き合いながら再会を祝福し合った。
 あれは昭和四十五年の出来事だった。六〇年安保闘争の全盛期。日米安保反対をスローガンに掲げた全学連によるデモは解散地の日比谷公園に到着後に必ず、荒れた。
 杉山は当時、淀橋西署員だったが、緊急時に招集・編成される特別機動隊隊員でもあり、連日部隊にいた。十月のある日、東京・紀尾井町の清水谷公園を出発したデモは、日比谷の解散地点に到着したのが夕方の五時を過ぎていた。
 部隊規制を解いた直後に学生達は日比谷通りをカルチェラタン化。現場は火焔瓶と沿道の敷石が飛び交い、これに機動隊はガス銃と放水車で応戦した。
 一進一退の攻防は未明まで続いたが、火炎瓶を背中に受けた杉山が火だるまで放水車の前で倒れ込んだ。
 放水を直接かけると水圧が強く人間ひとりをはじき飛ばしてしまい、逆に怪我をさせる。このため放水車は杉山から数㍍離れた地点に水圧の焦点を決めて放水した。杉山の背中の火は瞬く間に消えた。
 「大丈夫ですか」
 道路で警戒していた一人の制服警官が駆け寄った。
 「私が連れて行きます。パトカーを呼んで下さい」
 この男が鬼頭だった。千代田警察署の地域課にいた鬼頭はデモコースの交通整理などでかり出されていた。
 鬼頭の手で杉山は飯田橋の警察病院に収容された。右背中の三分の一が焼けただれている重傷だった。
 病院を二カ月で退院した杉山は、八丈島中警察署の警務課勤務を希望した。約三年間で背中の皮膚が固まったころ、東京都八丈島出張所の庶務課にいた美土里さんと結婚。自分の希望もあって島の南側で、八丈小島を臨む高台にある八丈島南地区駐在所に配置された。
 鬼頭が杉山と会ったのは、警察病院に収容した時以来だった。
 「そうすると、今回のイラン人の覚せい剤所持事案のお手柄は杉山さんですか」
 「手柄というか偶然でな」
 「格闘なさって捕まえたと聞いていますが、背中の傷は大丈夫でしたか」
 「やっぱりだめでな。一部が破れて血が出たよ」
 「しかし、奴さん達が磁石を使って隠ぺいする手法を良く知っていましたね」
 鬼頭は格闘で捕まえたことよりも、薬物捜査員の間でしか知られていないイラン人独特の〝捜査逃れ緊急手段〟を見抜いた杉山の感を褒めた。
 席は会議室に移された。そこには生安と刑事、地域から集められた捜査員に、本部薬物対策課の捜査員約十五人が待っていた。
 最初に杉山から現場となる倉庫付近の状況が説明された。
 これを受けて鬼頭が捜査方針の意見を述べようとした。
 「今回の事件でイラン人を逮捕していますが、私はイラン人は単なる密売人と見ています。問題は倉庫の件ですが…」
 そこまで言ったとき、薬物対策課の主任が鬼頭の言葉を遮った。
 「実は、横浜税関からの一部情報がありまして、五日前に同住所地宛てのコンテナが一便、中国から横浜港に届いたそうです」
 「タイミングが良すぎはしないか」
 署長がニンマリとして言った。そして鬼頭が続けた。
 「主任、どうだろう。コントロールドデリバリーしかないような気がするが」
 「係長、私もそう思います。署長さんはどうですか」
 「専門家の皆さんがそうおっしゃるのですから、お任せします」
 コントロールドデリバリーは俗に言う「泳がせ捜査」である。覚せい剤の密輸入だけで物のみを押収するのではなく、その場から覚せい剤を持ち出し、どこに持ち込むのか。覚せい剤の最終行き先を割り出し、流れを掴んでから組織もろとも捕まえるというのだ。
 最近の傾向として中国から荷出しされたコンテナを日本国内での最初の受け取り人は、何故か中国人の荷主なのだ。だから、そこで慌てて捕まえても意味がないことから、税関、厚生省麻薬取締官も最近は同様手段を使っている。
 コンテナの荷受け人は、東京都新宿区大久保四丁目××番地、淋公平。管轄する淀橋西署で確認した結果、西新宿で焼き肉店を経営する在日中国人と分かった。
 コンテナが多摩川べりの倉庫に配達されたのは、それから数日後の金曜日だった。同時に同倉庫は監視体勢にはいった。尾行班の割当てまで細かく決められた。

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