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2014年2月 2日 (日)

DNA鑑定 その4

  見込み捜査
 ジハール逮捕に向けて捜査本部の方向性はしっかり固まった。しかし木川田はこの逮捕を「見込み捜査」だとして不満を持っていた。
 「科学捜査研究所の技官、平川治雄から密かに入手した情報では、どうやら現場から見つかった四本の陰毛の中に、第三者のものがあるらしい」
 平川とは有楽町三億円強奪事件以来の仲間である。事前情報を知った木川田が「詰めの捜査」が必要だとしているのは次のようなことだった。

 ∧ 定期券は三月十二日午前九時四十分ころ豊島区巣鴨の民家敷地内で発見された。この定期券は八日午前十一時二十五分に井の頭線西永福駅の入場の記録が最後だ。この日、景子さんはマゾッ娘宅配便の仕事はないまま終わり、円山町界隈の仕事関係者で常連客と渋谷のラブホテル「プリンス」を利用した。防犯カメラによると午後十時十六分に別れている。
 その後八百屋の店主に客引きが目撃されており、さらに十時半ころにはサンドイッチマンが年齢二十七、八歳から三十歳前後の日本人と神泉駅の方向に道玄坂を歩いているのが目撃された。
 そして午後十一時半前後にまん福亭前の外国人風の男の目撃に繋がる。定期券が第三の人物に渡ったとすればそれは誰なのか。常連客は事情聴取を終えており、残りは三十歳前後の日本人と、殺害されたと見られる時間に会った外国人風の男=ジハールに絞られる。そしてDNA鑑定では本人、容疑線上のジハール以外の第三の人物が浮上した。だから詰めが必要なのだ ∨

 木川田は、ジハールが犯人ではないと言っているのではない。動機面の金銭的な問題ではむしろ「真っ黒」だ。
 「ジハールは一〇一号室のカギは、ある時期からかけていなかったのではないのか。それを景子は知っていて時々利用していた。とすると必ずしもカギを持っているジハールである必然性がない。この部分も詰めておかないと公判の維持が難しくなる」
 こう考えると木川田は寝られなくなっていた。それにしても前任時代にそりが合わなかった係長の小池貫造が警視に昇格し、第二強行犯捜査の管理官のポストに就いていることだ。あの時代の怨念が今度は、いつ、どんな形で現れるのかビクビクしながら仕事をしてきた。
 それでも所轄時代には前捜査一課長の寺島大吉に励まされて警部補の昇任試験に受かり、ようやく捜査一課に戻ってこれた。寺島は参事官になっていた。そし個人プレーを嫌い「和」を大切にする新捜査一課長を迎えての捜査本部事件だった。
 不幸中の幸いだったのは、小池がこの事件担当管理官にならなかった事だ。俺も三十歳代は怖い物なしで仕事に夢中になったが五十になると…そんな思い出にひたり眠りについたのは午前一時を過ぎていた。
 そして翌日、例によって滝田に「野暮用」を理由にして木川田は被害者の定期券が捨てられていた現場に立っていた。
 豊島区巣鴨五丁目ー右手斜め前方約一・一㌔先にJR大塚駅が、左手斜め前方約一・一㌔先にJR巣鴨駅があり、ここは三角定規の頂点にあたる場所だ。
 交通の便では大塚や巣鴨よりは近くの白山通りの地下を走る都営三田線の西巣鴨三丁目駅が近く、都電荒川線では新庚申塚が便利である。捨てられていた場所に木川田は納得がいかない。
 「それにしてもなんでこの場所なのか?しかもわざとらしく民家の敷地内に…」
 被害者の自宅の杉並区永福から直線距離にして約十㌔以上も離れており、勤めている千代田区幸町からも十㌔は離れている。まるで方向違いのこの場所に、被害者が何かの用事があり訪れた際に落としたのだろうか? 
 木川田はこれまで、捜査本部や滝田にも内緒で時々、この定期通りの渡瀬景子さんの通勤コースを何度も行き来してみた。
 景子さんは井の頭線の西永福駅から渋谷に向かい、渋谷で地下鉄銀座線に乗り替え地下鉄新橋駅で降りて千代田区内幸町の会社に歩いて通っている。帰りの多くの日は渋谷区円山町界隈で客をあさり、主に路上で男性を相手にし井の頭線の終電車に神泉駅から乗車していた。どうみても売春行為で巣鴨まで来ていたとは思えないし、これまで何度も、聞き込みをしてもそんな情報は得られなかった。
 ところがその定期券入れにはもう一枚の定期券が入っていた。名義人は男性の名で経路は埼玉県の大宮から都内の虎ノ門駅であり、その経路にもこの場所は関係がなさそうだ。その男性の人定も進めてきた。
 定期券を発行したJRで調べた結果、その男性は埼玉県与野市在住のサラリーマンであることを突き止めた。
 「貴方は定期券を落とした事ありますか?」
 「ありますよ。それは前に高井戸署の方に全てを話してありますが、平成八年十一月十七日に所要で西五反田に行った際なんですが、三十万円の現金が入った財布ごと置き引き被害に遭ったんです」
 西五反田といえば被害者が勤めるマゾッ娘のあるところで偶然か?奇妙にも一致したのである。
 「西五反田は仕事の関係ですか?」
 「西五反田に投資用のマンションを持っていまして、それを見に行った際、携帯電話をかけようとしたのですが、近くが騒音でうるさかったので、近くの本屋さんの前でジャケットを脱いで静かなところで電話を終え、戻った二、三分の隙に内ポケットから財布を抜かれたようなんです」
 これで、二枚目の定期券所有者の関係も消えた。景子さん名義の定期券は、平成九年三月一日に発行された六か月の定期で金額は約七万円だ。
 滝田はこんな意見を言ったことがあった。
 「誰かが景子さんから定期券を奪い、その定期券を払い戻そうとした。ところが本人確認でひっかかり払い戻せずに捨てたとは考えられませんか?」
 木川田が答えた。
 「景子さんの定期券には景子さん以外の指紋はいくつかあった。しかし、ジハールの指紋がなかった…直接殺人には関係ないにしても傍証を固める上でも三十歳前後の日本人の詰めが必要なんだよな」
 「景子さんの顧客メモには巣鴨方面の人物も数人いたそうですね。それを詰めたんですかね」
 「係長は詰めたが事件には関係なかったと言っている。問題はその数人の中に十時半過ぎに目撃された二十七、八歳から三十歳の日本人がいるかどうかの確認だけでもしておく必要があるんだよな…」

  捜査から外される
 事件発生から間もなく二か月になろうとしていた。ジハール実行犯の確証を得た捜査本部は、最終的な詰めの捜査検討会を開いた。上席には捜査一課長の平山、それに渋谷署長の近藤俊一ら幹部と東京地検の担当検事が座っている。
 被害者の手帳やメモ関係者の追跡捜査報告のあと、科学捜査研究所のDNA型鑑定結果が報告された。
 「一〇一号室の被害者の右肩付近と絨毯から発見された陰毛四本の鑑定結果を報告します。四本のうち二本はABO型血液鑑定でB型。二本はO型でした。渡瀬景子の血液方がO型でジハールがB型でそれぞれ一致しています。これをミトコンドリアDNA型鑑定を行った結果、O型二本のうち一本が渡瀬、B型二本のうち一本がジハールと一致しました。残り一本づつは第三者のものと推測され、これまでのところ該当者はいません」
 検事を顔を上げて一つひとつ頷いている。平山は時々近藤と顔を見合わせ確認しているようだ。さらに報告が続いた。
 「但し、コンドームに残されていた精液のDNA型鑑定ではジハールと一致。また、ショルダーバックの取っ手が千切れていた部分の付着物も血液型鑑定でジハールと一致したことなどから、資料的には二人が性交後にトラブルになりバックの奪い合いの後で殺害に及んだとの推定は成り立ちます」
 最後にジハールに関係する金銭問題とカギの捜査報告が木川田から行われた。木川田はジハールが金銭的に困窮状態にあり動機面では「黒」としながら、その報告の後で次のような追加意見を述べた。
 「このように動機面では真っ黒ですが、だからと言ってジハールに決めるのは如何なものかと思います。これじゃ見込み捜査ではないですか。ジハールがあの部屋にカギをかけずに顔見知りでもある被害者が自由に使っていた場合はどうなりますか?」
 強烈なヤジが飛んだ。
 「ここは報告会だぞ。お前の意見を聞く場じゃない」
 木川田は続けた。
 「俺はどうしても巣鴨の民家に捨てられていた被害者の定期券の謎を解いておく必要があると思います。今、科捜研の報告を聞いていると二本づつあるO型とB型の陰毛のうち、それぞれ一本は被害者と被疑者とDNA型が一致したが、残りの各一本は第三者の物と考えられるというではないですか」
 木川田の演説調の捜査批判に捜査員席からさらに強いヤジが飛んだ。
 「そんなにやりたけりゃ勝手に解けよ」
 ヤジを無視して木川田は続けた。
 「すばり言いますが例えばジハールと被害者の目撃の前に道玄坂道路脇の花壇のところにいた黒いジャンパー姿の二十七、八歳から三十歳前後の日本人の人定もとれていません。定期券の謎と合わせ、遺留物に第三者の可能性がある以上、これらを詰めておく必要がある。この人物を詰めておけば最後にジハールが残れば否認されても怖くない」
 この木川田の報告で会場は騒然となった。上席では課長の平山と検事が密談を始めた。その平山の表情が暗い。
 「何を言ってるんだ。そんなのは捜査本部長が判断することだ。お前みたいなチンピラが言うことじゃないだろう」
 「そうだ!報告はもっとあるんだから、引っ込めよ」
 木川田がヤジを飛ばした捜査員席を見ながら反論した。
 「自分は意見を言ってるだけですよ」
 木川田の声は無視された。デスク主任の今村が手で×印のサインを送り「議論は止めろ」と言っているようだ。ヤジはさらに強烈になった。
 「千切れたショルダーバックの取っ手の付着物がジハールと一致するんだろう。コンドームの精液も一致しているし…それで十分じゃないのか」
 「害者は何人もとセックスしてるんだ。古い陰毛だってあるだろう」
 「前のアパート住人の毛かも知れんぞ」
 「そうだ、そうだ、もっと現実として受け止めろ!」
 「そんな捜査員はこの事件から外せ!」
 「ぞうだ!外せ、外せ」
 検討会は収拾がつかなくなってしまった。上席では平山が係長の石川を呼んで顔で「言え」というサインを送った。石川が立ち上がった。
 「ちょっと待ってくれ。これはモクちゃん、いや、木川田主任のひとつの意見なんだよ。意見は聞いてやろうじゃないか。他に意見がある人はいないか。いないのならこれで終わるぞ」
 こうして最終検討会は騒然とした中で終わってしまった。なぜか?検事の顔の表情も明るかった。
 ところが数日後、ジハールの逮捕と同時に木川田が管理官の加藤に呼ばれた。加藤は捜査一課大部屋の管理官席にいた。その隣に小池貫造も座っている。木川田が部屋に入るとチラッと横目で見た。相変わらず表情は冴えない。
 加藤管理官席前に木川田が立った。
 「木川田主任な、あの先日の会議でのあの発言はないだろう。我々に個人的に意見を述べてほしかった。組織捜査だからああなると統制がとれなくなるんだよ。君には悪いがこの捜査から外れてもらうよ。我々はこれからジハールを調べながら裏付け捜査を徹底する。捜査本部への出勤は必要ない。大部屋にいるか自宅で待機するかは君の自由だ。以上」
 木川田の顔が熱くなった。頭に血が上ったのだろう。小池は椅子に反っくり返っている。加藤の声が聞こえているはずだ。
 「組織捜査だからと言って都合の悪いものは蓋をしろと言うんですか。私は奴が犯人ではないと批判したのではありません。あれを詰めておかないと公判維持が難しいのではという意見を述べただけです」
 「そんなことを君に言われなくても分かっている。しかし、捜査員同士でもめてどうなる?」
 隣の席の小池は今度は立ち上がったが席を離れようとしない。木川田はもっと声を大きく怒鳴るように言った。
 「あの会議は検討会っていうじゃないんですか。自由にモノも言えない会議ってあっていいんですかね。いくら上意下達の社会と言ってもですよ。間違いがあっても誰も意見を言えない…天下の警視庁がこれでいいんですかねぇ。こんなのプロの集団でもなんでもないよ。ただの御用集団じゃねぇのか」
 こう捨てゼリフを残して木川田は大部屋を後にした。参事官の寺島に怒鳴り込みたかったが、その時は辞表を手にしていかなければならないとあきらめた。(つづく)

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