« 防諜その4 | トップページ | 防諜その2 »

2014年1月29日 (水)

防諜その3

  追いつめる
      10
 内閣府を出た影虎は途中でお世話になる文房具店の富田屋の夫婦に土産を買うことにした。選んだのはスイーツの「日南チーズロール」。イチゴの粒が入っており、甘さは控えめでお年寄りなら食べられる。戸越駅を降りて弁当屋で弁当を二個買った。明日朝の分もである。
 影虎が戸越の文具店についた時は夕方の四時を回っていた。二〇三室の電気が付いたのは午後七時過ぎ。タイミング的に見て「SUNAHARA」ことナマンガニの部屋に間違いない。ところが今度は五分ほどで、電気が消えた。外出である。
 影虎は尾行するため一階に降りて靴を履いて店の中からエントランスを凝視した。
 服装は同じである。道路の反対側を例の眼鏡で補足しながら歩いた。男は戸越銀座の入り口にあるインド料理店「マハラジャ」に入った。
 影虎が店内に入るとナマンガニは四人がけのテーブル席にいた。近づきたいのだが一人で四人席は無理だ。とりあえずきょうは相手を確認するだけで良いと判断。最も近いカウンターに座った。
 影虎がおしぼりで手を拭きながら耳を澄ます。ナマンガニは片言の日本語で注文した。
 「え~ボクは…このスリーのセットね。飲む物はジントニックでいいや。あとでもう一人来るからセットは二人分、いいね」
 客が少なく静かなためか意外にはっきり聞こえた。流暢な日本語である。
 影虎もメニューを見た。男が注文したのは「マハラジャトリオセット」というものでインドカレー、チキンビリヤーニ、チーズナンの三点セットだ。
 「ここにある本格インドカレーってもの凄く辛いのかね」
 影虎の質問に答えたのはカウンター内にいた女性だ。
 「いえ、ルーは濃厚ですが野菜をベースにしたうまみのあるカレーです。初めての人でも食べられますよ」
 影虎は本格インドカレーと日本のビールをジョッキで頼んだ。十分ぐらい待つと百七十㌢前後の小柄なグレーのスーツ姿の男がやって来た。髪は短く五分刈りでサングラスをかけている。
 「待たせて済まん…上からの連絡が遅れてしまって…」
 良く聞いていると韓国か中国人の様な訛りがある。その男は用心深く店内を見回してからサングラスを外した。ナマンガニに何かの資料を渡して説明しているが、どういうわけかこの部分だけは顔を近づけて声をひそめている。相当秘密の話のようだ。
 二人は一時間半近くで席を立ってレジに向かった。影虎も残りのビールを飲み干して、二人の後で精算した。影虎はスーツ姿の男を尾行しようかと迷ったが、きょう初めてなので、やはりナマンガニの行動を把握しなければならない。
 SUNAHARAことナマンガニは男と二人で蒲田駅一番線から東京方面の電車に乗り、大井町駅でナマンガニだけが降りた。パークサイドの二〇三号室に電灯が再び灯ったのは午後九時半を過ぎていた。
 翌日も同じ時間にナマンガニは出発して製作所に着いた。あとは帰宅時間の夕方まで時間がある。
 「そうだ、不動産屋に行ってパークサイド二〇三号室の契約者氏名や連絡電話番号などを確認しよう」と思い、マンションに向かった。
 パークサイドに着いた影虎は管理人室を捜すが見当たらない。困っていると買い物に行くのか子供連れの主婦らしい女性が出できた。
 「おそれいりますが、このマンションに入居するのにはどこに行けばいいんですかねえ」
 主婦は怪訝そうに聞き返してきた。
 「大井町駅前にある三ツ橋不動産に行けばいいと思いますが、今は空き室はございませんのよ」
 「分かりました。ありがとうございました」
 丁寧にお礼を言って大井町駅に着いた影虎。西口の交番に駆け込み三ツ橋不動産を聞いた。若い女性警察官が対応してくれた。初々しいさに上野駅東口交番時代の若かりし巡査時代を思い出した。
 不動産屋がオープンするのは午前十時。大井町駅前をぶらぶらして開店と同時に訪れた。
 影虎は、警察手帳を示して、戸越五丁目にあるセンチュリー・パークサイドの二〇三号室の契約者について調べたい旨を伝えた。カウンターにいた女性は「少々、待って下さい」と言って店舗の一番奥の机にいた中年の男性の所に行って話している。
 男性がやって来て、影虎は商談用の部屋に通された。店長のようだ。改めて警察手帳を示した影虎に店長が言った。
 「二〇三号室ですか…しかし、プライバシーの件がありましてお教えすることは控えさせていただきたいのですが…」
 影虎は頭に来た。こっちは公安捜査だ!そう叫びたかった。
 「これは警察の捜査ですよ。なんだったら捜査関係事項照会を出しましょうか…そうなると強制的ですよ」
 それでも黙っている。影虎の声が大きくなった。
 「これはですね、刑事訴訟法第一九七条二項で必要な事項の報告を求めることができるんですよ。しかもこれは拒否できないんです。そして守秘義務にも抵触しないんです」
 店長は暫く考えて
 「どんなところを知りたいのですか?」
 「契約者の氏名と連絡方法です。マンションに行くとメールボックスには外国人なのにローマ字でSUNAHARAと書いてある。御社に出した契約書に虚偽の記載があるかも知れない。御社も困るのでは?」
 虚偽記載と聞いて店長はムッとした。
 「うちは身元確認はしつかりしているつもりですが…お待ち下さいい」
 店長が椅子から立ち上がり事務室から契約書の綴りを持って来た。
 「二〇三号室ですね。お名前はなんて言うんですか」
 「本名はジャマン・ナマンガニ。一九七五年生まれのアルジェリア系フランス人の男です」
 店長は綴りをめくり、申込書一枚を取り出した。影虎に示した。
 「入居者は日本人ですよ。一九七五年の生まれはその通りですが、名前が砂原雄一になっています。そう言えば、帰化したのだと説明していました。これが身元確認の運転免許証のコピーです」
 影虎が契約書に添付されている運転免許証のコピーを見た。番号が8から始まり5で終わっている十二桁の数字に注目した。偽造を見破るポイントは実物の場合は複数あるがコピーの場合でも並んでいる数字を見れば一目瞭然だ。まさにそれは偽造免許証だった。
 影虎は偽造免許証だと分かっても表情を変えなかった。いたずらに不安を与えたくなかった。
 免許証に書かれた名前は砂原雄一。申し込み時の住所が東京都渋谷区円山町××になっている。連絡番号は携帯で090・337×・×4××。影虎は住所、携帯番号と免許証番号をメモして資料を店長に返した。指紋の採取は令状が必要なので着手時にすることとした。
 「ありがとうございました。助かりました」
 「何か問題ある方でしょうか?そうなると、うちも困りますので…」
 「今、確認しましたから大丈夫ですよ。心配しないで下さい」
 影虎は丁寧にお礼を言って、念のため東京都渋谷区円山町×××の住所を確認することにした。
 大井町で京浜東北線に乗り、品川で山の手線に乗り換え、渋谷で京王井の頭線に乗り替え神泉に降り立った時は正午近かった。
 駅を降りた影虎は道玄坂方向に歩き交番で確認した。応対に出た巡査部長は地図を出してきた。
 「円山町××ですね…ここは…ラブホテルの住所ですが…」
 巡査部長は影虎を不審な目で見ているのが分かった。影虎は警察手帳を出して身分を明かした。巡査部長は申し訳なさそうに敬礼をした。これで免許証が偽造であることが裏付けられた。
 ナマンガニの修業時間まで約五時間もある。
 「時間があるな。警視庁に行って味噌付け麺の大盛りでも喰うか…久しく食べていないものなあ」
 本部勤務の時は毎日、味噌付け麺の大盛りを食べており影虎の大好物だ。
 
 ナマンガニの職場の西蒲田と戸越五丁目の自宅を見張ってから四日が経過した。影虎は文房具店の二階にいた。きょうは休日のはずだ。
 「遠出でもされたらやばいな」
 そんな思いで昨日、買った唐揚げ弁当で朝食をとっていると、ジーパンにポロシャツというラフな姿でエントランスを出るナマンガニが見えた。昨日、製作所から持って帰ったのと同じ包装の箱様の物を持っている。相当、重そうだ。影虎は弁当をそのままにして尾行することにした。
 ナマンガニが入ったのは戸越公園駅の東側にある宅配便の店舗だった。持っていた箱の発送の手続きを済ませて、元来た道を帰って行った。
 影虎は即、確認しようとしたが、それでは怪しまれる危険性がある。かと言って警察手帳では三ツ橋不動産の二の舞になる。三十分近くの間を置いて店に入った。幸いにしてその間の顧客はいなかった。
 「すみません。先ほど三十分ぐらい前にうちの社員がお願いした荷物の送り先の住所が間違っているのではないかと思って確認に来ました。なにしろ、外国人ですので…」
 店員は外国人と聞いて驚いている。
 「え~っ 名前は日本人でしたよ…」
 「スナハラですよね」
 「その通りですが…お待ち下さいい」
 店員は預かった荷物を持ってきて影虎に渡した。そこには新潟市末広町の梁仙物産 橋本正次朗宛てと書かれている。電話番号は025・28×・7××3。中味は精密機械となっており重さは五㌔ぐらいはある。
 確認を終えた影虎はパークサイドに戻り、食べかけて残した朝食を食べ終えた。そして翌日、ナマンガニの国内における相関図をつくるため新潟市に向かうこととした。橋本正次朗を調べるためだ。
 
      □    □
 翌朝、自宅で出張の支度をしていると国木田から電話が入った。
 「調べることになっていたあれについて分かったことがあるが、このまま電話で報告しておくがいいかね?」
 「いや、頼みたいこともあるので伺います」
 影虎がNSCの国木田の部屋を訪れたのは午前九時過ぎだった。話をした後、新潟市に行くことにしていた。
 影虎を迎えた国木田の顔色は冴えない。
 「朝霞駐屯地爆破事件で傍受された携帯を調べたが残念な結果だった」
 そしてこう説明した。
 「司令を出していると思われる携帯の090・88××・2××6と090・325×・7×××はヤミ携帯のようだ。全く分からない」
 影虎は国木田の冴えない顔の理由が分かった。そして疑問をぶっつけた。
 「レンタル携帯は携帯電話本人確認法で身元確認が厳しくなっているはずですよね」
 「その通りです。以前はプリペイド式の携帯があったが、犯罪に利用されるのでほとんどのメーカーでは止めている。そこで出てきたのがレンタル携帯電話。それでも犯罪は治まらないので本人確認法で厳しくした。ところが確認手段の運転免許証や健康保険証が偽造されている」
 運転免許証の偽造ではナマンガニのマンション入居の件がある。
 そして国木田は別の資料を取り出した。
 「一応、090・325×・7×××の通信記録を取り寄せた」
 国木田は資料を影虎に渡し、説明を始めた。
 「見ての通り通話は極めて少ない。エシュロンの記録にある朝霞の事件の日の午前七時二十分は埼玉県の狭山市。事件発生時の午前十時十九分には都内。都内と言っても練馬区だがね。事件発生後の同日午後三時八分には浦和市内だった」
 「午前十時十九分の電話は受けたのか架けたのかどちらですかね」
 「架けている、相手の番号は080・871×・××9×だ」
 「七時二十分の聖戦を実行せよと指示したと見られる090・88××・2××6はどこで出しているんですか?」
 「宮城県の仙台市周辺だ。その後は一切使われていない」
 「せめて090・325×・7×××の所有者が割れればいいのですが…それにしても今の日本で爆弾テロなんか簡単にできるのかな…」
 影虎のこの言葉を聞いた国木田は机から資料を取り出した。
 「これが二〇〇四年(平成十六年)に官邸の国際テロ対策推進本部が出した通達だが…」
 資料めくりながら説明を始めた。
 「テロ対策としては国内テロ集団の監視や爆発物の原料となる物質などは薬局で買えることから厚労省や経産省、農水省で流れをつかむなど管理を強化するよう通達している」
 さらに続けた。
 「それだけではない。経産省や財務省、あらゆる金融機関などに対しては口座開設者の身分の確認の徹底をはじめ、不審な金の流れがあると思われる取引は記録保存だけでなく届け出を義務化。不審な口座と分かった場合は監視や追跡の徹底を指示している。それをくぐり抜けているとすれば…相当の組織とも考えられる」
 「仰る通りですが…ところで私がお願いした二本の番号はどうですか?」
 「そうそう。090・875×・6×××と080・139×・×5××だったよね。双方ともシムカード利用のプリペイド式だった。これはかなり以前にメーカーは取りやめていることもあって全く分からなかった」
 「そうするとジョンソン情報は古い情報なのか…」
 影虎は心で呟いた。新潟に行く理由を説明して立ち上がろうとした。 「虎さん、ちょっといいかね」
 時計を見る影虎。十一時十分だ。
 「大丈夫ですが、十二時十二分の新幹線には乗りたいので…」
 「分かりました。虎さんがこれから行く新潟の件だが、偽造免許証のナマンガニを公文書偽造で引くつもりはあるのかね」
 「いや、ありません。組織の解明が必要なので泳がせるつもりです。まだ上にはご内密に…」
 影虎の捜査手法を詳しく聞いた国木田は納得した。
 「さすがは公安のプロ、ゼロの捜査員だ…」
 
    □     □
 影虎は予定通り十二時十二分東京発の新潟行きに間にあった。到着は十四時十二分だ。今年は十一月に入って急に寒くなり、下旬だと言うのに最高気温が十度前後という日もあったという。この日はさらに北よりの風が強くコートが必要な寒さだった。
 荷物送付先の梁仙物産は新潟市末広町にある。新潟港の近くだが鉄道はない。
 新潟駅からタクシーで新潟港に向かった。幸い乗ったタクシーが新潟港をテリトリーとしていると言う。影虎が運転手に聞いた。
 「運転手さん梁仙物産という会社を知っていますか?」
 「北の貿易商社でしょ」
 「北と言えば北朝鮮ですか?」
 「そう。あの会社は万景峰号が来ていたときはいつもいっぱい荷物を積み込んでいましたよ。今は…そこに行くんですか?」
 影虎は貿易業と聞いたので税関で調べたほうが良いと判断した。
 「じぁ梁仙物産を見てから税関までやってくれる」
 梁仙物産は新潟東港の近くにあった。東港と言えばアジア各国の貨物船が行き交う国際貿易港だ。モルタル仕上げの二階建ての建物の屋根に「貿易商社梁仙物産」の大きな看板があった。正面にある駐車場に乗用車数台が止まっている。
 その場所はCIAが逮捕したアレクスのアジトとなっていたマンションのある新潟市天明町から三㌔と離れていなかった。
 駐車場前にタクシーが止まろうとしたので影虎は言った。
 「もうここはいいですから税関に行って下さいい」
 運転手は怪訝な顔をしたが質問もせず中央埠頭にある新潟港湾合同庁舎前に止めた。
 東京税関新潟支署を訪れた影虎に支署長の竹内剛が応対した。
 影虎は名刺を渡しながら単刀直入に切り出した。
 「数日前に東京円山町の砂原雄一ことハデイ・ナマンガニが新潟市末広町の梁仙物産に小包を出しているのですが、梁仙物産はどんな会社なのかをお聞きしたい」
 「名刺を拝見すると警視庁の公安部となっていますが、ナマンガニはその方面の人物なのでしょうか?」
 「イスラム過激派のアルカイダのメンバーです」
 と言って影虎は竹内にアルカイダのテロリストとに対する捜査協力を要請した。
 アルカイダと聞いた竹内が顔面蒼白になった。声が出ない。
 「そう驚かないで下さいよ。まだ海の物とも山の物とも分かりませんので…」
 我に返った竹内が口を開いた。
 「実は、平成十四(二〇〇二)年から十五(二〇〇三)年にかけて市内にアルカイダのメンバーが住んでいて、市内のパキスタン人と組んで北朝鮮に中古自動車や自転車を輸出していたことがありまして…」
 「確か…リオネルというテロリストでしたね。天明町にはCIAに逮捕されたアレクスのアジトがあるなど、ここはアルカイダが多いところだと言うことは我々も把握していますから…」
 リオネルとはフランス系イスラム人のリオネル・デモン。二〇〇一(平成十三)年に新潟県警が不審者として任意に事情を聞いたことがあった。当時は茨城県内で中古車販売をしていた男で、後に中古自転車の輸出の中心人物だったことが明らかになった。
 「さすがに公安の方ですね。この事件はドイツのミュンヘンで逮捕されて確認のためICPO(国際刑事警察機構)を通じて手配があって初めて知ったのですが、本庁には『どこに目を付けているんだ』と叱られました。署長が懲戒処分を受けたことがあるものですから…」
 「今回は大丈夫ですよ。最近入国した人物ですから…」
 「その言葉を聞いて安心しました」
 そして竹内は輸出担当者を呼んで指示した。
 「末広町の梁仙物産を知っているか?」
 「はい、北朝鮮総連系の貿易会社です」
 相当、情報をとれると影虎は思った。竹内が部下に指示した。
 「それに関する資料があれば全て出してほしい。現在はどんな物を輸出しているのかも含めてだ」
 これには職員が即座に答えた。
 「三月に一回の割合で使い古した自転車が中心ですが…」
 ところがその後、職員は口ごもった。竹内が代わって続けた。
 「いや、明智さんだから正直に話します。前回ですがベアリングを船積みしたのです。輸出先はインドとなっていたので追跡しました。それが北朝鮮だったのです。現在、捜査している最中です」
 影虎はベアリングと聞いて立件に自信を持った。ナマンガニが勤める西蒲田の高部製作所は精密機器を扱っているからだ。
 「ベアリングにも種類がありますが…輸出規制に入っている物ですか?」
 「仰る通り。輸出令別表の中で軸受けつまりベアリングの部分に関しては六項に『軸受けまたはその部品』とあります。航空機の主脚の昇降を行う空気圧の装備品の部品などに利用されることから、戦闘機などに転用される恐れがあるためチェックが必要な製品ですね」
 影虎は梁仙物産の現状の説明を求めた。竹内が答えた。
 「万景峰が寄港している当時は洋服の生地とか日本のメロンやワインなどの物産品でしたが、生地などは今は贅沢品として規制されているので使い古した自転車などが多く、これまで三千台は輸出しているでしょう」
 影虎は確認した。
 「自転車はいいとしてベアリングの外為法違反は?」
 「我々はそれを狙っていたのですが、入手先や背後関係が分からなくて困っていたのです。そこに明智さんが来られたわけです」
 影虎は納得した。そして逆質問した。
 「梁仙物産のトップの橋本正次朗は日本人なんですか?」
 「朝鮮総連の直営で橋本は物産の責任者で支店長になるのではないかと…確か在日で帰化したと聞いていますが…」
 「ここは大事なんですよ。アルカイダメンバーと繋がりが出てくるわけですから…日本人なのか朝鮮人なのか…」
 「そうですねえ…金正日総書記に物を送る人物ですから…あの国の関係者だと私どもは思っています」
 影虎は「思っているのでは困る」と言いたかった。確証がほしいのである。
 「そうするとアルジェリア系フランス人でアルカイダメンバーの砂原ことナマンガニと接点のある橋本正次朗は北朝鮮の人物で良いのですね」
 「梁仙物産の名簿などは無いでしょうか?」
 「ありますよ」と言って竹内が机からファイルを取り出した。影虎はその名簿をチェックした。
 影虎の頭にある名前は見当たらなかったが橋本のところに携帯番号が書いてある。
 「090・875×・6×××」
 「これは!」
 絶句する影虎。なんと今年一月にCIAが逮捕したアレクスの携帯に記録が残っていた番号だった。アレクスは新潟発行の外国人登録証を持っており、新潟で動いていたことが立証されている。
 ジョンソンによると、頻繁に会話をしており、しかもその内容は「TNT火薬」だというから詳細は分からないものの穏やかではない。橋本生次朗、梁仙物産との繋がりはナマンガニへと引き継がれていた。こうなると税関新潟支署のミッションは極めて重要になる。
 「やっぱり…アルカイダと北朝鮮は繋がっていたのか…」
 今度は影虎の呟きに竹内が驚いた。
 「今、なんと仰いました?」
 影虎は竹内の質問だったが、詳細を控えた。そしてこう言った。
 「いえ、独り言です…最後になりますが、着手はいつごろになるのですか?」
 「荷物の送り先の砂原という人物は今回、明智さんから情報をいただいて一歩、前進しましたが、新潟県警とも詰めてみたいと思っていますから…」
 こうして、影虎の新潟での仕事は終わった。この日は市内に泊まることにした。

   □     □
 一泊二日で帰宅したのは午後九時を回っていた。翌日の朝刊に影虎は大きなショックを感じた。購読している毎朝新聞が一面トップで報じている。見出しは黒べた凸版であることから特ダネとみられる。
 陸上自衛隊朝霞駐屯地爆破は「革命委員会」名乗る犯行
               本社に声明文届く
 埼玉県朝霞市の陸上自衛隊朝霞駐屯地で首相の車両を狙ったと思われる爆弾事件は、圧力鍋を使った爆弾だったことが埼玉県警捜査本部の調べで分かった。
 事件発生の日の午後、毎朝新聞社に「天誅を下した」とする犯行声明文が送られたもので、声明文ではさらなる犯行を予告していることから、県警は差出人の「革命委員会」の実態解明に乗り出すことになった。
 捜査本部は爆発現場から発見した五、六㌢から二十㌢四方、厚さ二㍉から五㍉の複数のアルミニューム破片を繋ぎ合わせた結果、四十㌢四方、深さ約二十㌢の圧力鍋と断定。販売元の特定に全力をあげている。
 さらに現場からは携帯電話の破片様の物が発見され、携帯電話を起爆装置にしたものとみられるという。
 この圧力鍋は一週間前に宮城県の航空自衛隊松島基地で発生した爆弾事件と酷似しているほか、いずれの事件でも長さ十五㌢の釘とボールベアリングを使用、爆発の威力を増していたことも判明。宮城の事件では犯行声明は出ていないが、埼玉県警は同一犯による連続爆弾事件として警察庁に協力を要請、遺留物からの捜査を進めることになった。
 
 この記事を見て影虎は驚いた。起爆装置が携帯とまで漏らしているのかと憤りを感じた。昨日、国木田でさえ言っていなかった。埼玉県警から漏れたのかも知れない。インテリジェンスの捜査は必要な部分を隠さなければならないからだ。
 そして影虎は、こう事件を分析した。
 陸上自衛隊観閲式には首相が出席し、そのスケジュールは公表されている。だから犯人側も訓練所の正門ゲートに首相車が到着する時間は掴んでいるはずだ。
 実際に到着したのは予定より一分ぐらい早い午前十時十八分。到着直後の十九分に爆発していることから、プッシュボタンを押す携帯の操作が遅れたのではないかと見られる。
 「と言ううことは犯人は首相車の到着が見える位置にいたことになる」
 但し、首相専用車は手留弾などに耐えられる車両に改良されており、犯人たちはその情報を持っているとは思えない…… 
 同紙は社会面で関連記事として釘とボールベアリング使用の爆弾事件現場の悲惨さを紹介。さらに近年の爆弾事件の内容を分析するとともに犯行声明文に書かれている革命委員会について公安関係者の見方を紹介しているが、影虎らが懸念していたイスラム過激派関係の記事は見当たらなかった。
 朝霞駐屯地の爆弾事件で首相を迎えるため整列していた一般市民三人が死亡するなど自衛隊員、報道関係者を含めて十六人の死傷者を出したこの事件。死傷者のほとんどが釘やボールベアリングを身体に受けている。なかでも死亡した三人は頭や胸、背中など全身に多い人で十本近くの釘が刺さるなどして即死状態だったと言う。
 同社に届いた犯行声明文は、A4の紙に大きな文字で「天誅を加えた。我々は既に次の行動を予定している。革命委員会」と書かれており、ワープロの文字との見方が強い。
 届いた封書は市販されているもので消印を見ると銀座周辺から投函したものとみられていると書かれている。
 影虎はこの記事を読んで思いついたことがある。
 「あれは二〇〇四年三月、スペインの首都マドリッドで三カ所の駅が同時に爆破される事件があった。あの事件は携帯電話が起爆として利用された。アルカイダが犯行声明を出している」
 携帯が起爆装置となる仕組みは、携帯を呼び出すとLEDが点灯する。これを利用して爆薬を爆破するのとバイブレーターを利用するのと二つあると聞いたことがあるのだ。いずれにしても情報官が言っていたように裏には相当の組織が存在するのだろうと思った。
 そんなことより影虎にはもっと大事な仕事が残っている。それは、新潟である程度の解明ができると期待していたアルカイダメンバーのハディ・ナマンガニと北朝鮮の相関図づくりだ。

    11
 宮城県警松島東署の捜査本部が、極秘に警察情報通信研究センターに鮮明化を依頼していた防犯ビデオの映像が三週間後に届いた。谷津課長が「不審者は写ってねえ」と頑なに秘密にしていた部分だ。
 鮮明化した結果、ナンバープレートは白地に文字色は緑、さらに緑で縁取りされていたことから四〇〇㏄以上の自動二輪車であることが判明。数字は0と1と7が僅かに判読できた。
 さらに、ナンバープレートの登録地を示す文字が「山」で始まる二文字であることも分かり、山梨県と山形県の二県に限定された。但し登録地の後のひらがな文字の判読はできなかった。
 柴田が谷津に言った。
 「山が頭に付く県は、その他に山口県もありますよ」
 「なぬ!山口だと?口なら単純だから0や1、7の様にわがっぺさ…複雑な字だからわがんねがったんだよ。二県でやっぺさ…」 
 谷津の判断でオートバイは「山梨× ××丨01」か「山梨× ××丨07」。「山形× ××丨01」か「山形× ××丨07」と絞り込まれたのだった。
 しかし、谷津はこのナンバーの部分を本部内では保秘扱いにして、山形と山梨県警には極秘で協力を要請。警察庁への報告も控えた。
 山梨ナンバーの登録台数は四十四万台。このうち登録地名が二文字で例えば「2 山梨× ××丨××」の様に山梨の文字の前の数字がないのは山梨市、甲州市、大月市や身延町、小菅村など十二市七町二村に限定されるため、下二桁の「01」「07」の様に番号が分かっていれば対象車は十台以下に限定される。
 一方、山形県は保有台数が山梨県より約十万台多い五十万台だが、やはり同様に米沢市、新庄市など十市十九町になり山梨県と同じような十台前後に限定される。この中から、黒色でハンドルに特徴のあるカワサキの「ステード400」を割り出せばよいのだ。

   □   □
 宮城県警からの要請で「山形× ××01」「山形× ××07」の所有者割り出しを進めていた山形県警は該当したオートバイは一台が青色、もう一台は赤色で黒の該当車はなかった。
 一方、山梨県警は「01」のオードバイは青色だったが「07」は黒でしかも、カワサキの「ステード400」と判明、宮城の手配と外見が一致した。所有者は山梨県甲斐市に住む商社員の月見里義一(四六)。勤め先は甲府市内のど真ん中にある株式会社・東洋物産の営業マンであることが分かった。
 割り出しに成功した山梨県警交通部は、宮城県警への報告の前に、東洋物産の会社は、過去に北朝鮮への密輸出が取りざたされたことがあることから警備部の公安情報を扱う警備一課に伝えられた。
 「何っ、月見里のオートバイが仙台に行っていた?しかも、あの松島基地爆破事件の時だって!」
 報告を受けた警備一課課長の今野康夫が驚いた。
 今野は七年前に警察庁入庁。昨年春から山梨県警警備第一課長に就任している。着任の時の引き継ぎで東洋物産の話は聞いていた。
 アメリカのCIAが逮捕したアレクスの日本国内での足取り捜査で新潟市の梁仙物産の関連会社として浮上した。
 贅沢物輸出規制の該当製品である生糸の肌着を不正輸出した際の担当が月見里だった。新潟県警が立件しようとしたが、時期が北朝鮮の制裁措置令が出される前だったことから見送られた。
 月見里は北朝鮮人で朴基永(パク・キョン)。今野は前任課長から引き継いだが、警備一課内でも知っている者は限られた。
 今回の松島基地爆破事件の詳細を知らない今野は国木田に電話でこの事実を伝えた。
 国木田は今野が警察庁警備課勤務の時に指導を受けた先輩である。事件の詳細を説明した国木田は、今野にこう指示した。
 「宮城県警はどこまで確証を持っているかいまいち見えてこない。オートバイの捜査は宮城に任せて、君のところは月見里なる人物の最近の接触者を追ってほしい。但しこの情報は完全秘匿すること」
 こうして東洋物産内の月見里の最近の行動確認は極秘扱いとして警備一課の係長を含め三人で追うことになった。 
 影虎が自宅を出ようとした時に右腰に振動を感じた。国木田からだった。
 「虎さん、大変だよ。宮城の事件でオートバイの男による犯行かと産日新聞が書いているんだよ」
 防犯ビデオに荷物を届けるオートバイが映っており、捜査一課長の谷津が特命班を組んでいることは一条から聞いていた。
 一方、国木田は山梨県警が所有者の月見里を割り出していた情報を得ていたが、極秘扱いとしたため、影虎にも知らせていなかった。影虎は怒りをぶちまける様に言った。
 「特命班を組んでいることは聞いたが…それが漏れるなんていったいどうなっているんですかねえ…」
 国木田が相槌をうつ。
 「漏れすぎだよな。埼玉も埼玉なら宮城も宮城だよ…これが事実なら、特命班の意味がなくなってしまうよなあ…」
 国木田はこれだけ言うと新聞を見るようにと言って電話を切った。影虎は毎朝新聞を購読してるいため駅の売店で産日新聞を買った。社会面のトップ記事だった。

 松島基地爆破事件で謎のオートバイ
 捜査本部 防犯カメラで確認
 大きな見出しが付いている。
 航空自衛隊松島基地が爆破された事件の宮城県警は、防犯カメラに写っていたオートバイの男が事件に関係しているとみて行方を追っていることがこのほど分かった。
 映像には爆発のあった五、六分前に仙台市の方向から基地の正門前に一台のオートバイが到着。犠牲となった小坂登喜雄隊員に三、四十㌢四方の箱を渡す光景が写っていた。
 オートバイにはフルフェースのヘルメットを着用した男が乗っており、手渡したオートバイはそのままUターンして元来た方向に帰って行った。
 このため捜査本部は映像に写っている黒っぽいオートバイの目撃者捜しなどの捜査を続けた結果、爆発現場から百㍍ほど離れた道路の路肩にオートバイを止めて、携帯を手にしている不審な男がいたことを突き止めた。
 捜査本部は…

 新聞を読んだ影虎は警視庁の公安部に出勤し、派遣されている一条の携帯に電話を架けた。
 「いっちやん明智。なんでこんなのが漏れるんだよ」
 「そうなんですよ。谷津課長が特命班を組むなどあれだけ隠密に動いていたんですが…」
 「この記事は正しいのか?」
 「概ねは合っていますが…」と言った一条が捜査経緯の説明を始めた。
 「Uターンした際にオートバイの後部のナンバープレートが写っていましたが、極めて不鮮明なんです…」
 「谷津課長は、だから写っていないと言ったのか…それで産日に書いてあるがオートバイを割り出したのか?」
 「映像を鮮明化した結果、カワサキのステード400の黒い色と分かったのです」
 「オートバイは宅配便じゃないのか?」
 「いや、オートバイの座席の後ろに黒のアラシートバックが付いており、ナンバープレートが白地だったことから運送屋ではないと判断したようです」
 一条の説明によると次のような流れになる。
 車種が特定されたことから捜査本部は、交差点通過車両の割り出しに入った。その結果、三陸自動車道のインターから国道247号線、さらに自衛隊正門までの三カ所にNシステムと監視カメラが取り付けられておりその解析を行った。
 ところがNシステムは、オートバイは後部にナンバープレートがあるため読み取れず、さらに監視カメラでもナンバーはとれなかった。
 運が良かったのは監視カメラには発生時間帯の前後一時間に通過したオートバイ一台だけの姿が写っており、ナンバープレートは見えないもののオートバイメーカーなどの話からカワサキのステード400と判明したと言うのだ。
 一条は「ここからが問題なんですよ」と前置きしてさらに続けた。
 「同帯調査に入って一週間後の金曜日でした。男からたれ込みがあって、乗用車で基地の前の通りを運河から帰って来た時、正門を通り越して五、六十㍍三陸自動車道寄りの道路の路肩にオートバイを止め、携帯をいじっている男がいたと言うのです。フルフェイスのヘルメットをかぶり携帯とは奇妙なので記憶していたと言い、爆発音はその数秒後に聞こえたそうです」
 「爆発まで時間が無いなあ…起爆装置に電話していたことも考えられないか?」
 「そうなんですよ。でも谷津課長は携帯で爆破させるなんてあり得ないと言っていましてね」
 「それで受け取った隊員はどうしたんだよ」
 「受け取った小坂隊員はその箱を警備員室内に持って入るところが室内用のカメラに写っていました。しかし、室内の片隅にお茶を入れたりする台所みたいなところが衝立で囲まれており、その部分は見えません。そのところに裏口があります」
 「爆発地点はどこと見ているの?」
 「建物の外で北東、つまり裏側の門柱のところに掃除道具などを入れる箱がありその部分ではないかと…」
 「とすると、新聞に書いてある内容はある程度、合っているというわけか…」
 「だから課長は特命班を組んで密かに追っていたのになんで…と頭を抱えていますよ」
 
     12
 十二月中旬になっていた。影虎はナマンガニの行動確認と言うよりは、マハラジャで会っていたあのサングラスの男の確認に重点を置いている。
 身長が百七十㌢前後で、小柄なグレーのスーツを着た髪は五分刈りの男だ。再び接触する時がチャンスとみた影虎はナマンガニが仕事を終えて製作所を出た六時二十分から尾行を続けている。
 松島東署の捜査本部にいる一条から連絡が入った翌日の張り込みでナマンガニが動いた。一度、自宅に帰るかと思いきや、マンションを通過して戸越銀座のマハラジャに直接向かったのだ。
 影虎は店にはすぐに入らずに外で様子を見ることにした。予想通り小柄で五分刈り頭のサングラスの男が店に入った。間違いなく、あの日見た男だ。
 影虎はこの男の後、暫くしてから店内に入った。入り口から確認すると、二人は前回と同じ席に座っているが、影虎が座ったあの席はアベックが座っているので空いていなかった。
 影虎はカウンターの中央付近に座った。その位置からは二人のボックス席は見えない。トイレに行く振りをして確認しようとしたが、姿を見られる危険が大なので控えた。
 「こうなれば、帰る時に尾行するしかないな」
 影虎は、きょうのターゲットをその男に絞っていた。何時でも出られるように警戒しながら前回と同じく本格インドカレーを注文した。
 なんと二人の密談は三十分で終わって、あの男がレジで会計を始めた。午後七時四分だった。
 店を出た二人は並んで歩いている。影虎は道の反対側を一定の距離を置いて追尾した。ナマンガニはマンションの前で男と別れた。男は東急大井町線の戸越公園駅から電車に乗ろうとしてホームで待っている。影虎は目立たないように車両一両分離れたところにあるホームのベンチに腰をかけて電車を待った。
 電車に乗る男、影虎は男が車内に入るのを確認してドアが閉まる直前に乗り込んだ。降りる時も相手が完全に降りてドアが閉まる直前に自分が電車を出るのが鉄則だ。降りる振りをして突然乗り込んだり、降りたりする極左連中の行動には何度も泣かされた経験からチヨダ時代に自然に身に付いた行動である。
 男は終点の大井町で降りて京浜東北線の東京方面行きに乗り込んだ。座席が空いているのに座らない。「動きがあるぞ」と直感した影虎。予想通り男は品川駅で突然、飛び降りた。テロリストなどの活動家が尾行を逃れるセオリーだ。危険を感じた影虎はドアが閉まるのを降りて待っていたので事なきを得た。
 突然、電車を降りたり、タクシーを利用する時は、目的地を過ぎてから降りて戻る丨捜査当局に追われる活動家の習性だ。
 男は駅の二階の自由通路を通り西口に出た。第一京浜の駅前信号を横断した男は真っ直ぐ高輪プリンスホテルの方に歩いている。夜なので人混みは少ない。ある程度の距離を置いても見失うことのない距離で尾行する影虎。
 男はプリンスホテル高輪を過ぎて突き当たりのT字路を左折。道路の右側を歩いている。周囲は人通りが全くなく尾行が難しい。影虎はやむなく二十㍍ほどの距離を置き、相手が脇道に入る時の場所が確認できる状態を保った。
 三百㍍は進んだろうかブルネイ大使館に行く二つ手前の道を右に曲がり、百㍍付近で男の姿が消えた。
 「右に曲がらなければ二つ先にブルネイ大使館に行く道があるはずだ」
 影虎はチヨダの当時に張り込んだことがあるので地理には詳しかった。男は間もなく右側にある建物に入ったのだ。
 何気なく通過する影虎。右目でマンション名を確認しようとしたが暗くて見えない。
 さらに入り口から四、五㍍離れた向かい側の路上に白のレクサスが一台、止まっている。中には男一人が乗っている。この男の正体が分からない限り、立ち止まることができなかった。ナンバーをさりげなく見ると品川500 な ××丨78だ。
 影虎はその横を通り、四、五十㍍先の電柱に隠れて車の動きを見ていた。二十分ぐらいしただろうかレクサスが動き出した。
 「それにしても…」と影虎。運転していた男は車から一歩も降りずにじ~としていて動き出した。まるで張り込みをしているように感じたのだ。
 車がいなくなったので影虎はマンションに向かった。マンション名を確認するためだ。しかし、道路に面している場所にはマンション名はなかった。この時間帯は入居者が帰宅する時間帯。うろついていると不審者と思われる危険性があるため、入居者への客を装って敷地内に入って行った。
 「あった」
 エントランス横の塀に「アーバンヒルズ高輪」と書かれたプレートを発見した。だがオートロックのため建物内には入れない。名前も分からないばかりか部屋番号も確認できない。影虎は引き揚げるしかなかった。
 翌日の朝、昨日歩いたプリンスホテルの角からマンションに向かい、マンションを通り過ぎたところで見張ることにした。品川駅に向かう場合、男の後方を追うことができるからだ。
 待って二時間になろうとした午前八時過ぎ、マンションを出た男がなんと、駅とは反対方向の影虎の待っている方に歩いてきたのである。影虎は慌てた。そのまま男の前を歩き、途中で路地に入って男が通過した後に追尾した。
 結局、男は地下鉄都営浅草線の高輪台駅から、浅草方面の電車に乗り、蔵前駅で降りた。
 蔵前駅の西側に出た男は近くにある八階建ての雑居ビルに入った。サングラスをかけたままである。エレベーターに乗ろうとしている。既に女性を含めて五、六人が乗っている。
 エレベーターを使った尾行は極めて難しい。狭いカゴに乗り込むのだからどうしても相手の目に入りやすい。
 「空いているエレベーターに乗らずに見送ったほうがかえって怪しまれる」
 そう判断した影虎。先に乗っている男に顔を会わせないように最後に後ろ向きで乗り込み、壁に向かって立った。
 乗り込む時、エレベーターにはその男とマスクをした背の高い男、それに四人の女性が乗っていた。三階で女性が降りた。
 男が降りたのは五階だった。続いてあのマスクを付けた大男が降りたので影虎はその後ろに続いた。男は大男と反対側の廊下の右手奥にある部屋に入って行った。
 その部屋は廊下のどん詰まりだ。確認のため近づくのは不自然だ。思案する影虎。よく見ると男の入った部屋の反対側がトイレになっている。
 影虎はトイレに入るふりをして男の入った部屋の前を通った。入り口の扉はスリガラスになっており、丹東交易東京支社と黒文字で書かれている。
 影虎の胸が高鳴った。
 「丹東と言えば北朝鮮と中国の国境付近にある都市だ。交易とは貿易会社…新潟の梁仙物産も北朝鮮の貿易会社だった。これで繋がった。しかも北朝鮮とアルカイダ…」
 しかし、問題は肝心なその男の名前が割れない。
 「せめて名前が分かればマンション契約書が見られるのに…」
 精神的に滅入りそうになる影虎…翌日もその次の日も男のマンションに張り付くがどうしてもチャンスがない。
 「明日は土曜日か…また朝から張ればいいさ…」
 
    □     □
 ところがその日の朝、とんでもないことが起こった。なんとあの男が車で出かけようとしている。マンション横の駐車場にエンジンをかけた車が置いてある。男は旅行カバンらしいものをトランクに積み込んでいる。その車はシルバーのトヨタのプリウスだ。車両ナンバーは品川500 て 23丨××。
 影虎はプリンスホテル方向を目指して走った。マンションの前は一方通行。突き当たりの道路もプリンスホテル方向からの一方通行。
 「ホテルの前の通りまで行けばタクシーが拾えるかも知れない」
 その通りまで三、四百㍍はある。間もなくホテル前の道路に出るところまで来た時、プリウスが影虎を追い抜いて行った。それでもまだあきらめない影虎。プリウスはプリンスホテル横の道をそのまま北上。どうやら都心に向かうようだ。
 ホテル横の信号が赤になった。プリウスが止まった。その時、影虎の右方向からタクシーが一台近づいて来るのが見えた。それは空車だ。息切れして飛び乗った影虎に運転手が言った。
 「どちらまで?」
 「どこに行くか分からないのですよ。今、信号が青になって走り出したあのシルバーのプリウス品川500 て 23丨××を追っかけて下さい」
 「どこに行くか分からない」と聞いてむかついている運転手。返事もしないし運転が荒くなった。やむを得ず影虎は運転手に警察手帳を示した。
 「あっ、はい。分かりました。大変なお仕事ですねえ…刑事さんどこに行くか分からないようでしたらメーター料金でなく貸し切り料金があります。その方がお得かと…」
 急に態度が変わった。
 「気遣ってくれてありがとう。それでお願いするわ…」
 プリウスはホテル横の赤信号を出て桜田門通り、そして山手通りから首都高速に入った。運転手が影虎に言った。
 「刑事さん、あの車、かなり遠出するんじゃないですかねえ」
 「そうだなあ…東名にでも乗るのかなあ…」
 二人の予感は的中した。用賀から東名に入ったのである。影虎は料金支払いにカードが使えることを確認したので、あとはタクシーの燃料が心配なだけだ。黙ってハンドルを握っていた運転手が突然、聞いてきた。相当、気になるらしい。
 「刑事さん、なにかの事件の犯人ですか?」
 影虎は答えに窮した。なんて言おうか…迷った影虎。
 「犯人ではないんだ。ただ、怪しい人物なので監視しているだけさ」
 東名は空いている。プリウスは静岡県内に入り、富士川を過ぎて新清水インターを降りて国道52号線に入った。山梨県の甲府、身延方面に向かっている。
 「甲府あたりに行くのかなあ」と言う影虎に運転手が答えた。
 「いや、その手前でしょう。この道路は富士川沿いに走っているのですが、川から山手にそれると同じ52号ですが、急に狭くなるんです。だから甲府に行くんでしたら中央高速を使うと思いますよ」
 運転手の勘は的中した。身延町で横道にそれた。そして着いたところは身延山の麓にある温泉旅館だった。運転手は旅館に入らずに旅館入り口の道を通り過ぎた。
 「ありがとう。ここで降ります。カード支払いでいいかな」
 「時間料金で中型車ですから四時間以内で二万九千七百円に高速料金をいただきます」
 影虎はJCBカードで支払い、運転手にはこの他に二千円の現金を渡した。
 「これで食事でもして帰って下さい」
 運転手は何度もお礼を言って引き揚げて行った。
 影虎がタクシーを降りた道路から建物までは三十㍍もあるかなり広い庭になっている。車道は舗装されているが周囲は芝生で、枝振りのいい松の木が点在する。
 歩いて行くと正面に木造平屋建ての古い建物が見えてきた。玄関の屋根が突き出して円形になっているのが印象的だ。建物自体は古いが、突き出ている部分が車寄せになっている。
 旅館名が「早雲館」。源泉掛け流しの宿となっており、身延でも老舗旅館のようだ。
 影虎は旅館に入り、玄関内にある催し物予定の掲示板を見た。
 「法華津先生御一行様 午前十一時から 三階 滝の間」
 催し物はこのほか大学の同窓会と民間企業の旧友会の三つが入っている。影虎は、あの男から想像するとどうしても同窓会や旧友会とは思えないのである。
 それにしても珍しい姓である。影虎は「ほうけず」と読んだ。
 周囲に誰もいないことを確認してカウンターに駆けより、一人でいた女将に聞いた。
 「あの法華津(ほうけず)の連中はもう到着しているのですか」
 女将と言ってもかなり若く三十代のようだ。おそらく若女将なのだろう。「ほうけず」と聞いて驚いている。
 「いらっしゃいませ。法華津(ほけつ)様の方ですか?先ほどお一人様が到着しておりますが…」
 影虎は顔に火照りを感じた。あ~恥ずかしい…
 「誰だろう…」
 「お待ち下さいい」
 若女将は予約表を見ているようだ。
 「新山さん、新山治さんと言う幹事の方です」
 偽名を使ってるかも知れない丨と影虎。
 「皆さんは今夜泊まるんですかねえ」
 関係者だと言い、先ほどから変な質問ばかりするものだと若女将は疑いの目をしている。
 「法華津様関係の方ではないのですか?皆さんはいつも御一泊なさりますけど…」
 「分かりました。では私も一泊しようと思うのですが、部屋は空いていますか?」
 「空いておりますが、御一行様とは違うのですか?」
 若女将は関係ない人に答えてしまったことを後悔しているようだ。影虎はとっさに思いついた言い訳をした。
 「はい違います。可能かどうか分かりませんがこれから入会しようと思っている者です。だから別室でお願いしたいのですが…」
 若女将は含み笑いをした。その含み笑いが何を意味するのか影虎は考えたが思いつかない。
 「部屋、ございますよ。お一人様でよろしいのでしょうか…」
 影虎は二〇五号室に案内された。建物は三階建てだが富士川の支流の傾斜地に建てられているため傾斜地の一番下が一階。玄関は三階になる。
 「やばいことになった」と影虎。人の名前を読み違いたり、荷物ひとつ持っていない旅行者なんて、どう見ても不自然なのである。
 まして身延の名だたる温泉旅館。飛び込みの客なんているわけはないだろうと思うと、あの若女将の含み笑いは、何かを見通しているのかも知れないと思うと影虎はゾッとした。
 それにしても通称だと思うが、新山治の名がこんなに早く割れるとは予想もしなかった影虎。自然に笑顔にならざるを得なかった。
 「それはいいとして…法華津とはどんな人物なのだろうか…」
 なんの集団かと合わせて新山との係わりを確認しなければならない。影虎は部屋が決まったことからメモ用紙を持ってロビーにあがり、車寄せが見えるソファーに座った。若女将が自分を気にしているのかチラチラ見ている。行動を確認しているようだ。

    □    □     
 影虎はこれから集まる人物を確認するため車寄せが見える場所としてロビーの窓際のソファーに座った。
 十四、五分程度過ぎた時、エレベーターから一人の男が降りてきた。それはまぎれもなく、あのサングラスの男、新山治だ。
 新山は旅館の玄関の車寄せに立っている。誰かが到着するのを待っているのだ。
 影虎の正面から濃紺のアルファロメオがこちらに向かっている。ガラス越しに見ていると顔が長くて顎がしゃくれ、あの有名なプロレスラーに似た男が乗っている。髪はオールバッグで口髭を生やし後部座席でふんぞり返っている。
 「ガラスが光って良く見えないがどこかで見たような人相だな」と影虎。
 新山が車に駆けより、一礼してからドアを開けた。身長が一八〇㌢以上はある大男だ。グレーのダブルの背広を着ている。
 良く、顔を見るとそれはまぎれもなく朝鮮総連の金哲秀だった。
 「では法華津とは何者か?」
 新山は金哲秀の前を歩きドアを開けてフロントからエレベーターに案内している。次ぎにドアから外に出る時がチャンスだと影虎。ガラスのドアは外側に開く観音開きになっている。
 影虎は先に外に出て待った。次ぎの客を迎えるため外に出る新山が開いたガラスドアに右足の膝をわざとぶつける。ケガをした振りをして新山を情報屋として取り込むためだ。
 新山がエレベーターから玄関ドアへ…ド~ンと鈍い音…
 「痛いっ…」
 影虎はしゃがみ込んでオーバーな演技をした。
 「ごめんなさい。大丈夫ですか…」
 カウンターでこの光景を見ていた若女将が飛んできた。
 「どうなさいました」
 「膝が…」
 影虎は足を引きずりながソファーに向かおうとした。支えて一緒にロビーまで行こうとする新山に影虎が優しくく行った。
 「ぶつかったのは自分が悪いのですから、どうかお仕事を続けて下さいい」
 「ごめんなさい…後ほど…お部屋にお伺いしますから…」
 「女将、後でこの人の部屋番号を教えて…」
 もう二台目の車が到着した。それは黒塗りのベンツ。降り立ったのは黒背広に一六〇㌢の小柄な男だ。唇の両端が下がっている。
 今度は黒のセンチュリー。白いパンタロンに白いジャケットと白づくめに真っ赤なセカンドバッグを持った女が降りた。年は四十歳前後の米倉涼子似の顔の女。
 影虎が顔を見た瞬間、その顔はどこかで見た覚えがあった。しかし、どうしても思い出せない。
 続いてタクシーが到着した。降りて来たのはあの北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)第一書記に似た独特のヘアスタイルの男だった。もみあげから後頭部をそり上げ頭のてっぺんの部分の髪だけが長くパーマをかけている。
 平壌の若者たちには「元帥スタイル」と呼ばれ人気があると言う。しかし、日本であの髪型にするには相当の勇気がいるようだ。
 おまけに来ている物がど派手である。白と黒の格子柄の背広にサスペンダー、金のネックレスをしている。影虎は男が降りた身延タクシーを見ると「無線503」と書かれている。
 次ぎに到着したのはご当地ナンバー世田谷を付けたクラウン。降り立ったのは大胆な牡丹柄の和服姿の中年の女性だった。和服が似合い顔は細身で角張った顔立ちをしている。
 こうして、歩いて来る者も含めて関係者と思われる者は十人以上になった。影虎はそれぞれの顔など特徴をメモした。
 時刻は間もなく正午。連中はこれから食事でもするのだろう。「と言うことは車の運転手も食事する」
 この隙に駐車場に止めてあるあのアルファロメオやベンツ、クラウン、センチュリーの車両ナンバーをチェックするチャンスなのだ。
 影虎は建物の右手にある駐車場に向かって足を引きずりながら歩いた。なんと今度はオートバイの音がしたので後ろを振り返った。黒いフルフェースのヘルメットに黒ジャンパーの男が近づいてくる。
 影虎が駐車場に入ろうとすると直前をそのオートバイが横切った。
 「危ない!」
 影虎は思わず叫んだ。オートバイを置いた男がヘルメットを取りながら近づいてきた。影虎を威嚇するように言った。
 「危ないだと…ここは駐車場だ。歩くところじゃねえんだよ」
 ヘルメットの男が大声をあげた。影虎が制服の時代なら鉄拳を見舞い、締め上げていたはずだ。だが今は身分を隠している。しかし、ただ、黙っていては精神衛生上良くない。
 「なんだとこの野郎。じゃなんで今、お前は歩いて来たんだよ」
 一触即発の状態にあったが影虎の剣幕を見た男は一歩引き下がった。
 「ごめんなさい」
 「分かればいいよ分かればな」
 影虎は敢えて笑顔をつくった。
 「凄いオートバイに乗っているね。高いんだろう?」
 影虎は褒めたつもりだが、何が気にくわなかったのか、男は睨みつけるようにして言った。
 「そんなことはおめえに関係ねえよ」
 殴ってやりたい衝動に駆られたがぐっと堪えた。
 男は丸顔だが眼が細くて鋭い。話す時に右の口元があがり気味になる。影虎は民自党の元首相を思い出した。顔が強烈な印象となって影虎の脳裏に焼き付いた。
 男が旅館の中に入るのを確認した影虎はナンバーの確認作業に入った。刑事の直感としてあの風貌に疑問を感じたオートバイ野郎の番号から始めた。山梨 か 8×丨07とある。
 続いて金哲秀が乗っているアルファロメオだ。品川375 や 35丨×3。ところがベンツが見当たらない。捜すと駐車場の一番奥に止めてあった。多摩431 さ 85丨××。その横にセンチュリーがありナンバーは世田谷465 と ×5丨4×だった。
 「参加しているのは明らかに日本人が多い。その中に北朝鮮人の金哲秀と丹東交易の新山、それに元帥スタイルのあの男は明らかに北の人物だろう…とすると日朝間の経済界の勉強会…金哲秀が法華津と名乗っているのだろうか…」
 影虎はそれしか思いあたらない。経済の勉強会なら、あのオートバイのチンピラ野郎はどう見ても不自然である丨考えながら歩いていると突然、思い出した。
 「そうだ、あの米倉涼子似の女は麻布にあるナイトクラブ『ハニーナイト六本木』のホステスだ」
 「ハニーナイト六本木」は、百人以上収容のダンスフロアがあり、都内で指折りの高級クラブ。客層は日本の政財界をはじめ外国人の要人などが多い。
 二〇〇一年(平成十三年)に北朝鮮の第二代目最高指導者の長男が成田空港から他人のパスポートを使って密入国した際、「ゼロ」に所属していた影虎が足取り捜査で客を装い通い続けたクラブだ。
 この時のホステスでユゥミンと名乗っており、韓国人独特の四角っぽい顔立ちで白髪交じりの男と同伴出勤することが多かった。
 「公安関係者の間であのクラブは総連関係の店だとも言われているのに、そのホステスがなんでこの会合に出ているのか?」
 影虎はこの会合の詳細を掴むためには、ユゥミンの存在の解明が重要になると判断。乗っていた世田谷465 と ×5丨4×を調べることにした。
 影虎が二〇五号室にいるとドアがノックされた。足を引きずりながらドアを開けるとあの新山が立っていた。
 「大丈夫ですか…もし、何でしたら病院に行きましょうか…膝頭って大事ですからねえ」
 「いやあこちらが悪いものですから…どうか会合の方を大事になさって下さい」
 新山は申し訳ありませんと言って名刺を差し出してきた。
 「名刺をお渡ししておきますので、何時でも連絡して下さい」
 名刺には新山治の名前の上に営業部長と書かれている。会社名と住所は影虎が尾行して確認したところに間違いはなかった。携帯番号は090・55××・×657だった。
 「私は明智と申します。人材派遣会社に行っているのですが現在は休職中で名刺は持ち合わせていませんが、どうか気になさらないで下さい」
 昼食後、法華津集団の会場となっている部屋「滝の間」の前を通りがかった影虎。通りがかったと言うよりは意識的に近づいたのだった。一階にはこの会議室と食堂しかないので人影は少ない。廊下の窓際にタバコの灰皿が置いてある。どうやら喫煙所のようだ。
 今はタバコを吸わない影虎。ロビーのタバコの自動販売機に走り、メビウスライトと売店からライターを買って来た。メビウスライトは影虎が若い時に吸っていたマイルドセブンライトだ。
 喫煙所に戻った影虎は一本のタバコに火を付けて燻らせる。こうして喫煙しているようにしていれば、新山と顔を合わせても不自然さはない。会議場から漏れる声に聞き耳をたてる。
 「…それでは先生の挨拶から始めたいと思います」
 そして聞こえて来たのはあの金哲秀の声だった。何やら日本の景気と世界情勢を話している。
 「あいつが会長?そうすると…あいつの人脈図を変えないといけないのかなあ…」
 金哲秀が先生となれば、会議名の主催者の法華津に間違いない。その先生に続いて女性が日本の経済情勢を話した後、今度は低音の男が政治情勢を話し出した。
 その時、一人の男が部屋を出てきてタバコを吸い出した。見たこともない男だ。「まずい」と思った影虎はタバコをもみ消して喫煙所から去った。
 滝の間の会議は夕方まで続いた。影虎は建物の一番下にある温泉に走った。茶色に濁り浴槽はプール並に広い。一面が総ガラス張りのため川の流れが見え、耳を澄ますと川のせせらぎが聞こえる。影虎にとって、しばし仕事を含めた日頃の喧噪を忘れるひとときとなった。
 翌日、影虎は集団の顔ぶれを確認するためロビーで待っていると最初にオートバイ野郎が新山と談笑しながら出てきた。オートバイ野郎は挨拶してそのまま帰って行った。新山がカウンターで精算を終えた後、影虎を見つけたようで近づいてきた。
 「昨日は失礼しました。大丈夫でしたか…きょうはこれから…」
 「ええ、ちょっとこの辺を観光して帰ります」
 「なんでしたら私の車でご一緒しましようか」
 「ええ、自分も車を持っていますから…治ったら電話しますので、その時にいっぱいやりましょうや」
 続いてエレベーターからは、なんとあの元帥スタイルの髪型で格子柄の背広を着た男が金哲秀と話ながら降りてきた。相当、親密なようだ。その光景が影虎の闘魂を刺激した。
 「ようし、この男の正体を絶対に割ってやる」
 二人の姿を見るとフロントにいた若女将が駆けより深々と頭を下げながら挨拶している。
 その後ろに白いパンタロンに白いジャケットの女と薔薇色の女もいる。総勢十二、三人程度だった。
 旅館の車寄せにはアルファロメオが止まっている。金哲秀が乗り込むと同時に元帥スタイル髪型の男まで乗り込んでしまった。
 「しまった。帰られては正体を調べることができない」
 影虎は全員を見送ってからカウンターにいる若女将に会計を頼んだ。影虎の顔を見るなり若女将が言った。
 「お膝…大丈夫でしたか…災難ねえ…でも、お友達ができたではないですか。入会できそうなの?」
 相変わらず含み笑いをしている。
 「う~ん…どうしようかと思って…会議は時々開かれるんですか?」
 「ええ、いつもひいきにしていただいておりますのよ。会議は毎月第三土曜日に開くようです」
 「あの背の大きなオールバックの口髭の人が法華津さんですよね。珍しい姓ですなあ」
 若女将は笑いながら説明してくれた。
 「なあんだ、あなた知らなかったの…法華津という姓は愛知県や大分県に多く昔からあるんですよ。でもね、先生の場合は別の本名があるそうよ」
 いやはや、若女将の博学に影虎は驚いた。と同時に、いったい金哲秀は幾つの名前を持っているんだろうと興味を持った。
 「さきほど帰る時、先生と一緒にいた格子柄の背広を着た方は秘書の方ですかね」
 次々に飛び出す影虎の質問に若女将は困っているようだ。
 「いや、前からいらっしゃっているお方ですけど…私は分かりませんのよ」
 「先生はかなり以前から利用しているのですか?」
 「そうですね…五、六年になるかしら…法華津さんはこの近くの顕勝院というお寺のご住職と長い間、お付き合いがあるようで当館を利用するようになりましたの…」
 若女将に感謝して会計を済ませてタクシーを呼んでもらった。身延タクシーである。新山に誘われた時、乗れば良かったのだが、焦ることない。タクシーに乗り込んで影虎が言った。
 「運転手さん、悪いが顕勝院というところは遠い?」
 「五分もかからんが…そこに行くのですか?」
 影虎は、若女将が言っていた金哲秀と顕勝院の住職の関係を調べるため寺を見ることにした。
 タクシーが顕勝院に着いた。ところが大勢の人で賑わっている。運転手が言った。
 「そう言えば顕勝院は今日、二代目ご住職の還暦の祝いだと言っていたな…」
 「それは忙しいことですね。ご住職の名前はなんと言うのですか?」
 「最澄(さいちょう)と言うんだ」
 「分かりました。忙しいようなので今回は会うのをやめました。このまま駅に向かって下さい」
 影虎は改めて出直すこととし、身延駅午前十一時三十五分発のふじかわ6号に乗った。静岡経由で東京に帰ることにした。
 
 東京駅で降りた影虎は、港区高輪四丁目の「アーバンヒルズ高輪」に入居している新山治の国籍を確認するため品川駅に向かった。友達になれそうな男だが…
 駅前の不動産屋に飛び込んだ影虎は、アーバンヒルズの入居斡旋をしているかを確認した。応対に出た中年の店員が答えた。
 「はい、我が社で扱っていましたがあの部屋は駅に近いことや安価なことから現在は空き部屋はありませんが…」
 影虎は警察手帳を示して言った。
 「ある団体の関係者を捜しているのですが、あのマンションに新山治さんという方が住んでいると思うのですが、身元確認をしているのかどうかを教えて下さい」
 例によってその店員が答えた。
 「それは…個人情報なので教えることはできません」
 「そうですか…四菱不動産と言えば大きい会社ですよね。もっと良識があるものだと思っていましたが、それではしかたがありませんな。令状持ってきますよ。場合によっては家宅捜索になりますから…」
 ちょっとオーバーなことを言ってしまったと影虎は反省した。いつもの「世の中に悪は必要ない」の精神が久しぶりに爆発した。声が大きくなったので店の奥にいた店長と見られる男が飛んできた。
 「お待ち下さい。警察の方ですね。私はこの店長をしておりますが、確認だけでしたら協力させていただきます」
 「話が分かればいいんですよ。自分たちは皆さんの幸せのために仕事をしているもんですからね」
 「さあ、こちらにどうぞ。ここでは客もありますので…」
 奥の衝立の裏に案内され、契約者の綴りを持ってきた。
 「お名前はもう一度お願いします」
 名前を聞いた店長。「な」行のインデックスをめくった。
 「ありました。この方ですね」
 身元を確認するための運転免許証のコピーが添付されていた。氏名には確かに新山治と書かれている。入居前の住所は新潟市東区小金台町×××。免許証は偽造ではなさそうだ。影虎は免許証番号と旧住所をメモして丁寧にお礼を述べて引き揚げた。

   13
 影虎が桜田門に出勤したのは翌日の朝、十時を過ぎていた。美登里ちゃんがあのお茶を出してくれた。いつものように明るい笑顔で振る舞っている。この女性はやはり殺伐とした中にあってオアシスのような存在なのである。
 お茶を飲んでいると携帯が震えた。国木田からだった。
 久しぶりにNSCを訪れた影虎に国木田はご機嫌のようだ。影虎が言い出した。
 「昨日まで身延に行っていましてね…」
 「忙しいのに悪かったね」
 国木田は内容を知りたいようだ。影虎はアルカイダのナマンガニと北朝鮮の繋がりを一通り説明。そして
 「CIAがボストンでアルカイダのアレクスを逮捕した事件、ご存じですよね」
 国木田は当然、知っていた。確認してから影虎が続ける。
 「CIAはアレクスが新潟発行の外国人登録書を持っているのを確認していて、かなり活動していたのではと見ているようです」
 「そんなに浸透しているとは知らなかった。ところで…梁仙物産の件だが、税関新潟支署の捜査状況を財務省の審議官から聞いています。県警と一緒にやりたいようでした」
 「税関はもっと梁仙物産の周辺捜査を徹底することですね。朝鮮総連が絡んでいるのだから中途半端な捜査だったらやらないほうがいいと思いますよ…」
 「虎さんはどんな組み立てをしているんだね」
 「CIAの見方と同じになりますが、アレクスの携帯には、かなりの通話記録があることや今回の梁仙物産とナマンガニの繋がりを見ると、アルカイダは新たに朝鮮総連との関係を構築するなどアレクスの時よりも組織的に拡大し、さらにより密接になっているのではないかと思うんですよ」
 「分かりました。でも、税関を指揮はできませんので…新潟県警との合同に期待するしかありませんな…」
 そして国木田が本題に入った 
 「警視庁の一条君から情報が寄せられた。オートバイのことは聞いているね。それと例のパチンコの玉の件だが、どうも宮城県警の捜査は難航しているようだ」
 憂鬱そうな表情で国木田はさらに続けた。
 「パチンコの玉には店のマークが入っており、パチンコ店を一軒一軒回って確認したそうだが該当はなかった」
 パチンコ玉は鋼玉製が多く、ひとつひとつの玉に刻印が打たれている。その刻印はロゴマークでも文字でも良い。文字の場合は十文字まで入れることができる。
 「ところがだ…埼玉県警の捜査本部から新たな情報が入った。パチンコ玉は買うのではなく貸すものだそうだ。店によって刻印が違い、パチンコを取り締まる風適法により規制されている」
 影虎は黙って聞いている。国木田は続ける。
 「埼玉県警では他に入手方法はないのかと調べたそうだ。そうしたらインターネットでパチンコ台と玉を売っているところがあることが分かったと言うんだよ」
 「それは個人でも買えるんですかねぇ」
 「パチンコ店が対象の社もあれば個人でも買えるところがあって値段まで書いてあるそうだ。個人でも買える店は、ビッグワンとか言う店でネット販売が中心だと言う。開いてみようか…」
 国木田は机の上にあるノートパソコンを立ち上げた。画面の検索覧に「パチンコの玉」と書いて検索をクリックした。
 最初に「池袋にオープン」などと店の紹介があってさらにスクロールすると「洗浄済み実機用パチンコ玉通販」の項目が現れた。ビッグワンだ。他を探すが「パチンコ店様への中古品」などはあるがどうやら個人が対象の店は、これだけのようだ。
 「ビッグワン」をクリックすると玉の写真付きの画面が現れた。数量ごとに値段が書かれている。
 五千個で一万五千六百八十円。二千個で六千八百三十円。千五百個で四千六百二十五円。千個で三千二百四十円。五百個で千四百六十円。影虎がため息をついた。
 「玉の通信販売か…」
 その店の電話番号を見ると「〇六・四八××・五×××」と書かれており、店は大阪のようだ。
 「パチンコ台も売っているので個人で楽しむための物だろうと思う。房木さんにアクセス先を調べてもらって、購入者の口座を割り出してもらおうか…」
 房木とは影虎と同じNSC所属のハイテク担当のヒューミントだ。警察官になる前は国内でも指折りのハッカーだった。
 「そうですね。フサちゃんなら朝飯前でしょう…」
 国木田が狙っているのは宮城県と埼玉県の爆破事件のパチンコ玉の購入者の特定だ。一か月前の九月ごろからの同社へのアクセス状況を調べて購入者をリストアップする。さらに口座の入金先を調べて購入者と口座名義人がクロスすればたどり着ける。
 「宮城の場合は玉の数は多くても百個から二百個。埼玉の基地爆破もおおよそ同じと見て良いでしょうな」
 影虎の見方に国木田は頷いている。そして
 「双方合わせてもせいぜい千個程度か…」
 「いや、情報官、次の犯行も考えるとすれば千個以上と見てよいのではないでしょうか」
 「そうだな…千個、千五百個、二千個、いや五千個の金額の入金がある口座を探そう。十円単位まで細かいので金額を見れば何を買ったか分かるはずだ」
 「これが分かれば、確信に迫れますね」
 国木田はさらに続けた。
 「それと…これはあくまでも参考なのだが…菊田君からの情報によると、革マルも中核も含めて極左集団には、事件前後を通して自衛隊爆破事件に関する動きが全く見えないと言う。だから別の組織を念頭に置かないといけないんだが…」
 「やはり…国際テロ集団ですかねえ…」
 事件に動きが出てきた。影虎は再び警視庁に戻った。

     □   □
 「北朝鮮と思われる会社に勤めていながら日本人名…顔や言葉のアクセントを聞く限り…違うんだよなあ」
 疑問を持てば中途半端では終わらない。とことん追及するのが影虎だ。北朝鮮となれば、取り込める可能性が高い。ヒューミントは人間関係の繋がりだからだ。
 ドアに膝頭をぶつけてから四日が過ぎて痛みもなくなった。今日はクリスマスイブである。影虎はその報告を兼ねて新山の携帯に架けた。
 「身延の時の明智ですが…」
 「明智さんあの時はどうも済みませんでした。その後、どうですか?」
 「お陰様で歩けるようになったので、今日はイブでもあり、その報告を兼ねてどうですか一杯やりませんか?全快祝いに…」
 「分かりました。私の方でお祝いさせていただきます」
 こうして翌日、明智は新山の指定する都営地下鉄「浅草」駅近くにある四川料理の「天津楼」に向かった。新山が用意したのは木彫の壁とテーブルにシャンデリアが輝くシックな個室だった。
 この店のお勧めは、四季折々の食材を利用した「ひと皿」料理だと言う。新山の薦めで影虎は、牛肉とハチノスの辛み和えを食べることにした。酒は老酒を選んだ。
 新山は飲めば飲むほどに饒舌になって行く。影虎は新山が勤める丹東交易の会社名の由来を引き出そうと話題の中心はそれに集中した。
 「御社の会社名からすると中国にあるのですか?」
 「地理的には中国ですが鴨緑江を挟んで共和国との国境にある町なんです」
 出ました共和国…北朝鮮人は自国のことをそう呼ぶ人が多い。と言うことは新山は北朝鮮人なのだろうか…
 「確か…朝中貿易の最大の物流拠点と言われていますよね」
 「明智さんは詳しいですね」
 「いやね…歴史によると、満州事変の時に日本軍が占領したというところだそうですよ…中学生のころ勉強した記憶がありましてね…」
 気分が乗ってきたのか新山は老酒を煽るように飲んでいる。
 「学校と言えば私は開城市生まれなんですよ」
 「本当ですか。あの有名な開城工業地ですか?だったら本名はなんというんですか?」
 この人物が本当の工作員なら名前までは言わないだろうと影虎。ところが新山はベラベラ喋っている。
 「私は共和国の尹日好(ユン・イルホ)、四十一歳です」
 「え~っ、四十一歳ですか…それで日朝貿易の営業部長さんですよねえ…相当の英才教育を受けてきたんだ…国の宝のようなものですね。どこに留学されたとか…」
 「家族に恵まれましてね…父は軍人なんですよ。開城学生少年宮殿を出て金日成総合大学に行ったのですよ…そこで経済学を学んでこの道に入ってしまって…」
 生いたちまでさらけ出した新山。金日成総合大学出身で父親が軍人となれば国の重要ポストの人間かあるいは工作員の可能性が高いのだと影虎は思った。新山はろれつが回らなくなっている。
 「明智さん、私はアナタを非情に気に入りました。私たちの勉強会に入りませんか」
 なるほど自分を取り込んで土台人にするつもりだな丨影虎はそう読み取った。だったら取り込まれてみようか…そして自分のエージェントに取り込み、逆スパイとして利用すれば良いと決断した。
 「どんな勉強会なんですか?」
 「先日、早雲館でお会いしましたね。あの会場で毎月第三土曜日にチョウ(朝)ニチ(日)の代表が集まって経済問題と国際情勢などを語り合うのです」
 「その講師が法華津先生という方ですね」
 「良くご存じですね。あの方は金日成総合大学を主席で卒業しており、共和国では博士のような方ですから勉強になりますよ」
 「なるほど…お二人はエリートコースを歩んで来られたのですね。自分などは足下にも及びませんなあ…」
 話はさらに丹東交易の経営状態まで進んだ。中国からの食品などの日本への輸入関係の仕事が中心だったが、不純物混入などの騒動で数量が激減したことなどの悩みもうちあけられた。
 影虎が時計を見ると十一時を過ぎていた。
 「分かりました。入会については暫く時間をください。もう遅くなるのでまた次の機会にしましょうや…新山さんと話していると、楽しいもんだからあっと言う間に時間が過ぎてしまいますね」
 「私の方こそ、あなたのような日本人の先輩に会えるなんて幸せですよ」
 会計は新山が済ませた。
 「きょうはごちそうになります。新山さんはナイトクラブなんかは好きですか?」
 「いいですねえ…」
 そこで影虎は〝探り〟を入れ、新山の表情を見ることにした。
 「麻布にあるハニーナイト六本木を知っていますか?」
 新山の頬がピクリと動いた。
 「知っていますよ。あそこは週刊誌にも取り上げられているし有名ですからね」
 「では今度はそこにしましょう」
 こうして二人は再会を約束して別れた。
 工作員として〝仕掛ける〟なら、ある程度は尹日好の情報をとっておく必要があると影虎は判断した。
 「明日は不動産屋で聞いた新潟市東区小金台町×××に直接行って確認しよう」
 
 翌日は朝から千代田区麹町のライオンズマンション平河で金哲秀の車の確認と西蒲田の職場でナマンガニの所在確認をした後、時計を見たら午後一時を過ぎたばかりだ。
 「日帰りができる」そう思った影虎は新潟市の新山の前居住地を確認のため新潟行きを決め、東京駅に駆け込んだ。
 上越新幹線新潟行きの午後一時十三分の列車は出たばかりだった。次ぎは午後二時十二分の「とき327号」。新潟駅着は四時十六分。帰りは午後八時十九分に乗れば十時半までに東京に帰れる。
 影虎は出発まで約一時間あることから東京駅前の八重洲ブックセンターで新潟県の地図を買った。新潟県出身だが影虎の生地は上越市。新潟市とは距離が離れているから地理には詳しくない。
 新潟駅には予定通り午後四時十六分に付いた。越後湯沢駅近くで降り出した雪は本降りになっていた。
 新潟市東区小金台町はJR新潟駅の北東で新潟港の東側七、八㌔になるが管轄は東区役所。駅から二、三㌔地点だ。
 「区役所にはタクシーを使えば窓口が閉まる前には着けるが、この天候ではそんなにスピードは出せない。これでは現地を見ることはできない。問題は役所が個人情報を盾に拒否するかどうかだ…」
 しかし、それは取越し苦労だった。職員は快く応じてくれた。但し、コピーは許されずパソコンの画面での確認だった。
 新山は北朝鮮生まれの名前は尹日好、四十一歳。確かに新潟市東区小金台町には二年前まで新婚の日本人妻と二人で居住しており、同町で日本国籍を得た帰化人だった。
 「これで尹日好の人定はとれたな…」
 影虎は地図を見た。そして驚きの事実が判明した。尹日好の住んでいた小金台町は梁仙物産から直線にして約二㌔。あのアレクスのアジトがあったマンションから約四㌔…梁仙物産のある末広町を中心に半径二㌔に集中しているのだ。
 「まあいずれは梁仙物産の摘発で参考になる資料も出るだろうからそれに期待するか…」
 こう結論付けた影虎は腕時計を見た。午後六時を過ぎており、路面は真っ白に雪が積もっていた。
 「小金台まで行っていたのでは帰れないかも知れない」
 そう判断した影虎は東京に帰ることにした。新潟駅午後七時二十四分発の「とき348号」で東京駅に着いたのは午後九時二十分。
 「地下街のラーメン街でつけ麺でも食べて帰ろう」
 そう思いながら新幹線用の改札を出ようとした時、東海道新幹線の自動券売機の前で立ち話している二人の男が目についた。
 良く見るとなんと一人はあの元帥スタイル頭の男だった。やはりきょうもあの白と黒の格子柄の背広を着ている。もう一人の男は身長が百六十五㌢ぐらいでグレーの背広を着た小太りの男だ。
 「こんな時間に…金哲秀サイドの人間と関係している人物となればどうしても確認しておかなければならない」
 そう判断した影虎は、自動券売機に近づき、金を出して待った。二人は握手をして別れた。小太りの男が券売機で切符を買っているが行く先は分からない。が、明らかに大阪方面のボタンを押した。影虎もとりあえず静岡までの切符を買った。
 男は予想通り東海道新幹線ホームの十五番線へ。待っていたのは東京駅を午後十時に出る「ひかり539号」名古屋行きだった。乗った車両は四号車の自由席。影虎も同じ四号車に乗り、気付かれない程度の距離を置いた。
 列車が静岡駅に近くなると男は立ち上がった。
 「次の駅で降りる」
 そう判断した影虎。男が車両の後方のドアを利用しようとしているため前方のドアに向かい、開くのを待った。男が下りるのを確認してドアを出た。午後十一時二分だった。
 ところが列車を降りた男はそのホームに留まっている。「ばれたか?」と思ったが、良く見ると他の乗客も数人だが同じように立ち止まっている。ひかりが発車した。それでも動こうとしない男…七分が過ぎたころ構内放送があった。
 「次の浜松行きのこだま703号は午後十一時五分です。間もなく到着します」
 なるほどホームに留まっている理由が分かった。男は定刻についたこだま号に乗った。影虎も続いた。車内で回ってきた車掌から乗り越しの切符を購入した。「ひかり」にそのまま乗っていれば浜松だから、ひとつ手前の掛川までの乗車券と特急券だ。
 男は掛川駅で降りて北口に向かう。夜が遅いので人影がまばらだ。尾行するのに最も難しい時間だ。
 「タクシーに乗られたら一巻の終わりだ」
 こんな危機感を持っていると男は駅前の通りを真っ直ぐ北に向かって歩いている。案内を見るとその方向は掛川城。時計を見ると午後十一時二十二分だった。
 男は三百㍍は歩いただろうか、連雀西という交差点を左折して間もなく二階建てのアパートに入って行った。アパートは日の出荘と書いてある。既に多くの部屋の電気が消えている。間もなく二階の南端の部屋の明かりがついた。
 影虎は玄関から建物に入ると左側に共同郵便受けがあった。一階の部屋を確認すると手前が一〇一号室。南の端の部屋は一〇五号室となっている。
 「…ということは明かりがついた部屋は二〇五号室になるわけだ…」
 郵便受けの二〇五号室は島村とだけ書いてある。
 「明日の朝、今度は勤務する会社を割り出そう」
 腕時計を見た。午後十一時四十分になろうとしている。もう泊まれる旅館はないかも…。明日朝の見張りは午前七時からにする必要がある。あと七時間…。影虎はビジネスホテルを探すため駅方向に戻った。駅前の交番でビジネスホテルを聞くと駅の南口にあると言う。
 影虎がホテルのベッドで午前五時に目が覚めてしまった。昂奮したのではない。昨夜から食事をしていない空腹感で寝ていられなかっただけの話だ。
 「しかし、食事をする時間がない」
 そう判断した影虎は会計を済ませて昨夜のアパートに向かった。午前七時だと言うのにアパートは静まり帰っている。一時間ちかく過ぎた八時前、あの男がカバンを持って出てきた。今度はグレーの作業服を着ている。胸にマークが入っているが遠くからは判読できない。
 島村は連雀西交差点を左折して静岡方向に歩いている。県道37号線だ。二つ目の信号を左折しステーションビルの前にある四階建ての建物に入って行った。
 ビルに入った島村は自社の郵便受けから新聞を取り出してエレベーターに乗った。影虎は島村が開けた郵便受けを確認するとそこには「駿河興業」と書かれていた。
 男の名前は島村。勤務する会社は「駿河興業」。この会社を調べる必要がある。そう思った影虎は向かい側のステーションビルに入り、警備員に聞いた。
 「この建物の前のビルの三階にある会社で駿河興業は何をしている会社ですかね」
 地元の警備員らしく、なんの疑問を持たずに答えてくれた。
 「あれは御前崎にある浜岡原発関係の会社で本社は静岡市内にあるそうですよ」
 そして警備員は言い出した。
 「福島の原発問題があるでしょう。特に浜岡原発なんかは海岸淵にあるから危ないんですよ。だから自分も原発に反対をしているんです。きょうはその関係の取材ですか?」
 マスコミの取材と誤解しているようだ。
 「いえ、取材ではありませんので…ありがとうございました」
 警備員は不審な顔をしている。
 「長居は無用」と判断した影虎は、丁寧にお礼を述べて掛川市連雀のアパートに戻り、アパート名を確認して不動産屋を捜した。アパートの周囲の人に聞いても分からなかった。しかたがないので駅前の交番に駆け込んだ影虎。警察手帳を示してこう切り出した。
 「駅前の通りを掛川城に向かい、連雀西の交差点の近くにある日の出荘の大家か不動産屋を分かりますかね」
 「うちの管轄ですが…ちょっと待って下さい」
 識別章を見ると階級は警部補のようだ。この交番の「箱長」だろうと影虎は思った。警部補は黒表紙の巡回連絡簿を持って来て言った。
 「そのアパートから県道37号線を本署の方向に行くと一番大きな交差点があります。本署の前になりますがその交差点の近くに松尾という不動産屋があります。そこが大家になっているようです」
 「あのアパートの二階の二〇五号室に住んでいる者の名前なんかは簿冊(巡回連絡簿)には書いてありますかね…」
 「二〇五号室ですね…え~と、分かりますよ。島村浩太朗と言って北朝鮮人で帰化する前の名前がリ・ナムチョルです。スモモの花の李に南に哲学の哲です。何かありましたか…」
 「いや、ちょっと気になったことがあって…」
 「警視庁の方のようなのでここだけの話ですが…うちの公安にも聞かれたので、我々も気にはしていたのです」
 「浜岡原発関係の仕事をしているようですね」
 「ええ。北朝鮮人が原発に勤めているので公安は一応マークしているようです」
 「どんな仕事をしているんでしょうか」
 「クレーンの保守点検をしている会社のようですが、孫受けと言われています」
 これで新潟から静岡まで来た成果があった。「これで奴らを追いつめるネタがもうひとつ増えた」と影虎。そして次なる作戦を決めた。
 それは「毎月、見延で開かれる謎の勉強会」の実態の解明。「金哲秀の勉強会になぜ?クラブホステスのユゥミンがいるのか」を知ると同時に、手段として北朝鮮の工作員、尹日好をエージェント(協力者)として取り込めれば一石二鳥なのだ。
 新山こと尹日好とは既にハニーナイト六本木に行く約束をしている。経営母体は北朝鮮総連系と言われ、まさに敵陣に飛び込むことになる。そのための下準備としてホステスであるユゥミンの現状を把握しておく必要があった。
 そして翌日、影虎は警視庁警察官のPナンバーを言い、照会センターにセンチュリーの世田谷465 と ×5丨4×の所有者照会をした結果、世田谷区成城五丁目のライオンズマンション在住の李銀姫(イ・ウンヘ)四十二歳と分かった。
 李銀姫とはあの韓国のヴォーカリスト。数年前に来日し日本語でも歌えるとあって最近は日本と韓国を行き来していることは影虎も知っていた。しかし、あのロングヘアーのセクシーな顔とは全く違う。何故?すぐに嘘と分かる偽名を使わなければならないのか。その背景には…何かがある。
 聞き込みをした結果、マンション内はもちろん、周辺の住民にも独身で「米倉涼子似の美人」として評判になっている。
 管理人によると一週間に二、三日は帰って来ない日もあり、詳しい職業を知る人は少ない。
 同マンションは分譲で、四LDKと広くて彼女が引っ越してきた二〇〇〇年の秋ごろには築五年という中古でも八千万円の根が付いており、一人暮らしの女性が簡単に買える値段ではなく、〝旦那〟のような人物もいる様子もなかった。
 李銀姫の生活場所は確認できた。次ぎに店への潜入張り込み当時、同伴していた男が韓国人のように思われたことから、とりあえず大使館関係者の写真を調べるため警視庁を訪れた。
 影虎は当初、中国や韓国、北朝鮮など東アジアを担当する公安部の外事二課にあるだろうと思ったが、公安総務の同期で係長の一松悟が耳打ちしてくれた。
 「写真があるかないかを含めて秘中の秘。但し警備のある部署が要人警護の関係もあり、ある程度は持っている」
 警護などを担当する係に影虎はまったく知る人物はいない。
 「松っちゃんよ、あの係はまったく縁がないんだよ」
 「分かった。一緒に行くか」
 こうして影虎は、担当する係長を訪れて韓国の大使館か要人で所持している写真を見ることができた。全てが映像化されており、国別にしかも大使館員、その他の要人と別れている。とりあえず「韓国大使館員」をクリックした。
 スナップ写真もあれば身分証明様の写真もある。アルファベット順になっており、名前も分からないためAから順に画面を出していった。なかなか出てこない。とうとうHまで進んだ。
 「あったこれだ」
 四角っぽい顔で白髪交じりのあの男だ。肩書きは「大韓民国国家情報院 情報官 白敬一」となっている。パク・ギョンイルと読むらしい。
 ジョンソンによるとこの人物は、韓国に米国のオスプレイ配置の実現に向けた準備のための特使だという。
 丨軍事機密組織の中枢にいる人物とナイトクラブの女性…その女性は韓国で最もポピュラーな芸能人を名乗っている。だが全くの別人…その裏には何かが隠されている。(つづく)

« 防諜その4 | トップページ | 防諜その2 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/514231/59030307

この記事へのトラックバック一覧です: 防諜その3:

« 防諜その4 | トップページ | 防諜その2 »

2016年6月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
フォト

最近のコメント

最近のトラックバック