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2014年1月29日 (水)

防諜その6

  流血の逮捕劇
    27
 国木田の指示を受けた房木が警察庁の「サイバー犯罪対策室」に着いたのは影虎が成田に向かった直後だった。
 宮城県警の大久保本部長から「新聞報道されてしまった」という報告と同時に「どうしても割り出せないことがあるので協力してほしい」と言う要望があり、それで房木を呼び出したのだった。浜岡原発爆破計画の捜査だ。
 房木は昨年秋に警察庁に設置されたサイバー犯罪対策室を利用することにした。同対策室は警察の技官と民間の技術者で構成され、民間企業や官庁へのサイバー攻撃など総合的なサイバー犯罪に対処するアメリカのNCFTA同様のセクションだ。
 対策室に着いた房木は、世紀塾のメールアドレス「seiki・hoketu××28丨××」で受信側のSMTPサーバーに接続した。
 通信ログは通信中にサーバーとやり取りした内容を記録するためにある。
 「浜岡」「原発」「爆発」の言葉がエシュロン同様に辞書になるのだ。この文字を含むメールの通信ログの取得から始めることにした。ログの保存は三か月から現在は一年に延長されている。
 受信側サーバーの通信記録を取るため、アカウントのプロバディの詳細の設定が必要なので「ログ」にチェックを入れエンターを押した。
 登録した「浜岡」「原発」「爆発」「爆破」という特定の文字列を含むシステムのみの出力だ。
 そこで房木はqmai・xmiのGlobal/LogFilterに特定文字列の表現を指定した。この表現にログ内のモジュールがマッチした場合のみ出力される仕組みになっているためだ。
 その結果、昨年中に三件の通信がピックアップされた。いずれも通信相手のアドレスは同じで、「enomatasaburo1974@nifty」だ。
 イノマタ サブロウが利用しているプロバイダーは、サイバー犯罪の総合対策委員会のメンバーだったことで協力が得られたこともあり抽出のスピードアップができた。
 最初の通信文は次のようになっている。昨年八月の通信だ。
 「浜岡原子力発電所」のタイトルが付いている。 
   敷地内には一号機から五号機まである。
 最も新しい五号機は炭素鋼と鉄筋コンクリート、それにステンレス鋼で覆われており頑丈過ぎる。一方「三号機」は原子炉内部は低合金鋼が使用されており、破壊しやすい。
 攻撃ポイント 炉の最低部にはサブレッション・チェンバー(圧力抑制室)があり、その上に低合金鋼で覆われている原子炉圧力容器が鎮座している。三階の最上部に使用済み燃料プール、その部屋の下に使用済み燃料ラックがある。ここが攻撃の的だ。
 中には使用済み燃料を搬送するためのクレーンがある。これを有効に活用すること。
 方法 黒色火薬のダイナマイトを五本束ねる。時限式のタイマーをセットしたダイナマイトを可動式クレーンを利用して燃料プールに設置すること。
                       実行班へ
 その数日後の二通話目からは会話式になっている。
 『浜岡などの原発の警備が厳しくなっている。次の使用済み燃料搬出日を早く入手せよ』
 『浜岡の件、了解しました』
 『実行犯の孫請けの人物は信用できるのか。少しでも不審を感じたら即、中止せよ。爆発物の安全管理を怠るな』
 そして最後の通信は十月十五日。
 『分かった。お前を信じる。爆破時期はお前に任せる』
 片方の通話しか拾えなかったのは辞書となる検索文字の入力によるものだ。房木は国木田にこう連絡した。
 「世紀塾の通信相手が分かりました。漢字は分かりませんが、イノマタサブロウという人物が関係者の中にいますか?」
 「えっ、分かったの。房木さんありがとう。事件関係者とみられる人物に猪俣三郎という日本名の男がいます。防衛大の飛翔弾事件の関係者とみられる男です」
 「ではイノマタ サブロウのアドレスのその先の通話相手を割り出しましょう」
 「それができれば完璧ですね」
 房木は世紀塾と同じ手続きで問い合わせた結果、これもまた見事にヒットした。
 『爆破の道具は受け取りました。こちらからは原発の計画表は郵送しました。我が社の担当は今年の秋までありません』
 これに対してイノマタ サブロウの応答は拾えなかった。
 「情報官分かりましたよ。相手はSuruga・namuchioru@nifty,comです。問題はスルガとは駿河湾のなのか企業名なのか…それにナムチョルは人の名前なのかは分かりません」
 房木はこう付け加えた。
 「これでネットで原発爆破を予告するうわさが流れているという情報は本当だったのですね」
 影虎の情報と繋がった。
 「スルガのナムチョル」は影虎が割り出した「駿河興業」で「ナムチョル」は李南哲だ。原発爆破は次のような構図になる。
 金哲秀の爆破司令丨猪俣三郎こと崔永男丨駿河興業の李南哲。
 「なぜこれをエシュロンでは拾えなかったのか?」
 国木田は疑問に思ったのだが、影虎のこんな会話を思い出した。
 「面白い話があるんですよ。昨年の八月だったかな、ダイナマイトとか爆破の文言が出てくる通信があったのですが、タイトルは浜岡原子力発電所なのでCIAに緊張が走ったが、良くみるとその前に『面白い小説が書けるぞ。例えば原発爆破事件だ。自信はあるか』だったので無視しています」
 この言葉が国木田の心の隅からどうしても消えなかった。そして今、房木の当時の情報と合わせてその謎が解けた。国木田が自信を持った瞬間だった。
 「よしこれで事件の構図ができた」

   □    □
 谷津の卓上電話が鳴った。午後一時を過ぎていた。群馬県桐生市に行っていた鴇田からだった。
 「課長、確認とれました。やはり当日、桐生市に行っていたのは月見里に間違いありません」
 繋がっていた糸がプツリと切れた。もう谷津の頭は最悪の状態にあった。
 「課長!電話が入っています」
 「今話してるんだから待て!」
 課長を呼ぶ声が谷津の頭の中でジャミングしている。「課長」「令状をとれ」「犯人じゃない」…いろんな人物の声が錯綜する。
 「課長っ!一条さんからの電話ですよ。至急と言っています」
 この呼び声でハッと我に返った谷津。鴇田にこう指示した。
 「捜査態勢の見直しになるな~それでな、すもん(指紋)の照合などの結果、うぢで金哲秀とか言う奴を逮捕することになった。ところが例の原口に裏口ぐちから逃げられてしまって困ってるんだ」
 力のない声が続く。
 「ほんで…ホス(犯人)あげなくちゃどうしようもねえんで月見里(朴基永)のほうの解明をそのままやってもらえてえんでがす」
 鴇田の電話を切った谷津。今度は一条からだと言う。爆破指示書と金哲秀の指紋が一致したことから一条は朝霞と防衛大事件の爆発物取締法違反で教唆、煽動、共謀した公共危険罪で逮捕状取得のため仙台地裁に行っていた。
 「課長、一条です。金哲秀の逮捕状がおりました。どうしましょうか」
 「今午後の一時前だがこの時間では成田空港にいぐのはとても間に合わない。とりあえず奴は静岡県警が柄とってから、うぢに連れてきて再逮捕の形になるべ…だがらあがってこいや」
 「原口忠明はどうなりましたか?」
 「店のおやずをぶっただいたら原口は北朝鮮国籍の辛星一にまづがいないと言っている。だがら北朝鮮に逃げられっと困るんで、あだるかあだらないかわがんないけど成田には管理官の小山君と鴨志田君と今井の三人を出してるんだ」
 「私はどうすれば…」
 「こっつに引き揚げてくれ。こっつで再逮捕すっから…」
 一条は興奮を抑えながら言った。公安的な事件の見方である。
 「課長ね、ハラグチ タダアキはグチをとると例の北朝鮮に拉致された原敕晁になるんですよ。そうすると辛星一はその時の犯人で日本が指名手配している辛光洙関係者になると思うのですが…」
 一条は事件の筋がみえるとしてひとつの見方を谷津長に報告したのだが、一つ一つの証拠積み上げだけという刑事手法の谷津にはどうでもいい。とにかく今は身柄を取ることだけが頭の中にあった。
 「わがった。もういい」
 一条は県警の公安が既に動いていると知らされていなかった。それが解明できれば、辛はなんで石巻市の中華料理店に来た目的が分かり、背景には何があるのか丨という謎が解けるばかりでなく、組織の実態が解明できる可能性が高くなると睨んでいたのだが…
 電話が切れた後で一条は「これは星川に報告しておくべきだった」と反省した。
   28
 千葉県警に手配してあった品川や35丨×3の金哲秀が乗ったアルファロメオが十二時十七分に成田空港出口でヒットした。NSCの要請で張り込んでいた千葉県警外事課の係長で警部の石川淳一ら十二人は直ちに配置に付いた。
 空港中央ビルの正面、入り口を入り左に折れると南ウイング。北京行きの搭乗口はこの南ウイング四階の一番はずれの第四サテライトの四十四番ゲート。
 中央ビル入り口に石川ら二人。南ウイングの第三サテライトから第四サテライトまでの廊下に警部補ら二人。第四サテライト一階から四階へのエレベーターは四機あり、二人づつ配置に付いた。十二人は背広に隠せる小型の携帯無線機を所持している。
 午後零時二十四分、Nヒットから七分後に中央ビル前の車寄せに濃紺のアルファロメオが滑り込んだ。後部の左ドアが開き、身長は百八十㌢を超える男が降りた。
 巡査部長が石川にささやいた。
 「係長、あの男でいいんですかねえ」
 「Nヒットのアルファロメオから降りた男で人相もプロレスラーに似ているというからあの男に間違いないだろう」
 顎がしゃくれて確かにあの有名なプロレスラーに似ている。運転席から降りた男が後部トランクから青いキャリーバッグを取り出して大男に渡した。特大のキャリーバッグだ。この光景を見ていた石川が右の親指を立てた。
 直近の第三サテライトの手前で見ていた私服が同様にして次の組に合図を送り、エレベーター前の八人にも「マルタイ」到着の合図が送られた。
 運転手はそのまま帰り、大男の金哲秀が悠然とサテライトを進む。行き止まりの第四サテライトの手前にあるエレベーターに乗った。待機していた刑事二人がさりげなく乗り込んだ。
 金が四階でエレベーターを降りた。
 「まだ出発まで時間があるのに早すぎる…出国手続きを済ませるつもりかな…」
 と思っていたら男はロビーの北側のヨーロピアンカフェに入った。ここは制限区域である。この時、石川らが全て四階に集結した。石川が無線で連絡し東京から来る影虎に現在のポジションを伝えるよう手配した。
 この段階で石川と空港署の警備課長ら四人がレストランの外や店内で見張ることになった。
 約十五分が経過した。今度はグレーのキュリーバッグを手にした四十歳代の男が一人で店内に入って来た。
 その男が金哲秀の席に座った。金哲秀に最も近い巡査部長が耳を澄ました。
 朝鮮語なのだろうか、巡査部長には何を言っているのか全く分からない。
 その男が到着して五、六分後に、三人の男を空港署の巡査が案内してきた。店の外で張り込んでいた外事課係長の石川警部に耳打ちした。
 「宮城県警捜査一課管理官の小山さんです」
 石川は挨拶後に店内の男を指さした。
 「ご苦労様です。我々も今、現任したばかりですが、あの男に間違いないですか」
 プロレスラーに似た大男の前に座っている男。それは原口忠明こと辛星一に間違いなかった。
 「間違いありませ…ああ良かった…なにしろ今朝から見失っていたものですから…」
 
 影虎が日暮里からスカイライナーで成田空港駅に着いたのは午後二時二十六分。フライトまで一時間弱だから搭乗手続きが始まっている時刻である。第二ターミナルビルの駅から地上に出て、南ウイングの建物内にある交番まで走った。
 「東京NSCの明智ですが…遅くなりました」
 息切れしている影虎に交番の奥にいた長さん(巡査部長)が飛び出してきた。
 「お待ちしておりました」
 「奴は到着しているという情報が入っていますか?」
 「一時間半ほど前に着いているようです。先ほど、二人で食事を終えたという情報が流れました」
 「えっ二人?」
 「情報によるともう一人は仙台から来た男だそうです」
 「合流したいのですが、現在地はどこですかね」
 「搭乗ゲートが四十四番なので第四サテライトです。急いで下さい。もう搭乗手続きに入っている時間です」
 長さんは空港警備隊の制服を着た若い巡査長に案内するよう指示した。対象者が既に出国審査を通過した場合にフリーで通過できる空港警備隊の制服が便利だ。
 
 カフェを出た後、二人の男は信州そば店で昼食を済ませ、出国手続きの後、登場ゲートに向かって歩き出した。石川ら四人が遠巻きにしながら追尾した。面割り(顔の確認)で東京から向かっている影虎がまだ着いていない。最終確認ができていないのだ。
 石川が腕時計を見た。午後二時五十一分。丁度その時、空港警備隊の制服の巡査に連れられて一人の男が近づいて来た。その姿を見た鴨志田が石川の背中を叩き「東京の明智さんだ」とささやいた。
 石川らに近づく影虎。荷物を預けてゲートに向かう金哲秀。到着したばかりの影虎に石川が言った。
 「あの男でいいですか?」
 影虎が息切れしている。
 「あれで間違いありません」
 影虎がそう答えた時だった。石川が指示した。
 「はいっ身柄の確保!」
 無線を傍受した四人がす~っと二人を取り囲む。石川が二人にこう告げた。
 「警察ですが…ちょっとお聞きしたいことがありますのでこちらにどうぞ」
 ゲートを入ったところに入国管理局が事情を聴取する際に使う部屋がある。入管とは打ち合わせ済みだ。部屋に案内された二人が怒りだした。
 「なんの容疑だ。オレらはこれから共和国に帰るんだ。無礼な!これは国際問題になるぞ」
 今度は鴨志田が原口に向かって言った。
 「我々はあなたを爆発物取締法違反などの容疑で逮捕します」
 鴨志田が手錠を取り出した。
 「はい、只間の時間は午後三時一分」
 この時だった金哲秀が大声で叫んだ。
 「なんだと!何の証拠があって捕まえるんだ!俺は関係ない」
 もう出発の時間になっている。航空会社のグランドスタッフがやって来た。
 「どうかしましたか?」
 出口に向かう金哲秀。スタッフの声を無視した影虎。
 「爆薬密輸入の漁船をチャーターした時の申し込み書の指紋とお前の指紋が一致しているんだ。このまま帰すわけにはいかないんだよ」
 これを聞いた金哲秀が暴れ出した。
 「無礼なこと言うな!令状もないのになんで俺を捕まえるんだ」
 こう叫ぶと同時に取り囲んだ刑事たちに蹴りを入れてきた。空振りすると二発目の蹴りが千葉県警の若い刑事の向う脛に当たった。とにかくレスラー並に大きく肉付きも多い…押さえようと制服の警察官二人が男の両足にタックルした。
 さらに背後から石川が羽交い締めにするため男の背中に飛びつこうとした時、払いのけようとした金哲秀の右肘が石川の顔面を捉えた。唇を切った石川…流血の修羅場となってしまった。
 この光景を見た影虎が金哲秀の正面に回り込んだ。金哲秀が左拳を上にファイデングの構えを見せたその時、「や、ややる気かあ」と叫びながら。影虎は金哲秀の懐に飛び込み、右の鉄拳が鳩尾を捉えた。
 うずくまる金哲秀…
 「て、てめえみたいな、く、く、屑やろうは俺はゆるせねえんだよ。日本をな、なめるんじゃねえ…」
 金哲秀の右腕を掴み、ひねりあげて関節技で地面にねじ伏せた。石川がハンカチで口元を押さえながら叫んだ。
 「早く、手錠を打て!公務執行妨害の現行犯逮捕だ」
 こうして金哲秀と原口忠明の二人に手錠がかけられた。既にセキュリティーチェック済ませた他の客の搭乗も終了。搭乗口のハッチを閉めるため二人を迎えに来た航空会社の女性グランドスタッフが遠巻きにして見ている。影虎が制服の空港署員とそのスタッフに言った。
 「先ほど預けたこの二人の荷物を機内から取り戻せ」
 スタッフは署員を伴って荷物を取りに向かった。
 二人の身柄が空港署に到着するとほぼ同時に、静岡県警の令状を持った捜査員の二人が到着した。影虎は国木田に第一報を入れた。
 「金哲秀の柄を押さえました。ただゲート内で連行しようとしたら暴れだして一人が顔にケガをしたため、野郎に一発見舞ってやりましたよ」
 「出たな」と国木田は笑っている。
 「静岡が間に合わなかったのでとりあえず公妨(公務執行妨害)で逮捕しました。直後に令状が来たので再逮捕しました」
 「了解。宮城でも令状がおりたと言うので柄を捜査本部に移送して向こうでの執行となりそうです」
 「総連のガサは警視庁でやるでしょう」
 「当然、そうなるだろう。宮城県警と警視庁と打ち合わせして時間を決めることにする」
 成田空港署での弁録(弁解録取書)には影虎も立ち会った。

    □      □
 管理官の小山が逮捕報告のため松島東署捜査本部の谷津課長に電話を架けた。
 「小山ですが課長いる?」
 電話に出たのは金哲秀の逮捕状を取って帰ってきたばかりの一条だった。
 「それがですね…いないんですよ…ついでで申し訳ありませんが金哲秀の令状おりましたので…」
 「いないってどういうこと?星川課長に代わって」
 電話に出た星川に小山が聞いた。普段はあまり言葉を交わさない二人だが谷津がいないのではしかたがなかった。
 「身柄は二人とも確保しました。これから連行しますが、留置をどこにしますか…」
 「金哲秀は仙台中央、辛はとりあえずこちらに連れて来て…」
 極めて機械的な会話だった。
 「ところで谷津課長はどうしたんですか?」
 「知らんよ」
 素っ気ない回答だ。星川は今回の事件を「組織、思想的な犯罪」を主張。谷津は「被害者個人を狙ったもの」と対立しており、その凝りが残っているのだと小山は思った。小山はもう一度、一条に変わるよう頼んだ。
 「谷津課長はどうしたんだよ」
 「昼過ぎから実行役の自衛隊員の身柄確保を要請していた各県警や派遣した捜査員から次々に『所在不明』の連絡が入り、その対応をしていました」
 「報告にでも行ったのかなあ」
 「いや…午後一時半過ぎだったと思うんですが…『俺、めす喰ってくるから…』と言って出て行ったきり帰ってこないんです」
 「この前、目眩がしたと言っていたが体調が悪いんと違うかなあ…分かった」
 小山は谷津課長の体調を案じながら電話を切った。午後四時を過ぎた時、刑事部長が現れた。
 「課長はどうした?」
 若いお茶汲みをしていた巡査が答えた。
 「それが…昼過ぎに出て行ったきり帰ってこないんです…」
 困った表情の坂田憲男…一条が坂田に近づいた。
 「部長、成田の小山管理官から二人の身柄確保の連絡がありました。留置先は星川課長が指示されていました」
 「そうか…確保したのか…」
 星川は坂田をチラッと見たものの、小山からの電話内容を報告をする様子すらなかった。
 坂田は身柄確保の報告を受けて署長室に下りて行った。
 「署長、成田で二人の柄を確保したらしいぞ。ところで谷津課長が席にいないのだが、知っているかね?」
 「いえ知りませんでした…どうしたんでしょうか…ただ、最近、ちょっとあの方、精彩を欠いているんですよね…身体が悪いんじゃないですかねえ」
 「どんなことなんだね」
 「先日、部屋にふらりと入って来て、松島基地の爆破事件は一連の事件と違うんじゃないかなあと言ってふさぎ込んでいましたし、部長から新聞報道の話を聞いた時なんかは電話機をたたき割ったんです。その後、目眩がして具合が悪いと言ってソファーにひっくりかえったと聞いています」
 「精神的に不安定になってるんじゃないのかな…」
 そんな話をして二人は別れた。
 午後七時を過ぎていた。捜査本部にいる坂田が食事をしようと思っていた時、谷津が青い顔をして本部にふらりと現れた。
 「どうした!谷津君…顔色が悪いぞ。なんだったら休めよ。原口も成田で柄を取ったし、金哲秀も逮捕してこっちに向かっている」
 「… … … … … … …」
 冴えない顔をしてへたへたとソファーに座り込んだ。何を聞いても黙ったままだ。
     □   □
 宮城県警からの連絡で警視庁公安部外事二課が北区王子の元在日朝鮮人総連合会、今は東京朝鮮商工総連合会、通称〝東京総連〟に家宅捜索に入ったのは午後六時を過ぎていた。
 外事二課員男女合わせて二十五人の捜索員は第九機動隊に守られて建物内に入って行った。九機は大空に高く羽ばたく若鷲の如く突き進むことから「疾風の九機」と言われ六〇年安保当時から一般市民にも有名な部隊だ。
 商工連合は四階建てのビル。一階は北朝鮮のPR関係の部屋で、同国の物産が売られており、日本人も自由に出入りが可能だ。
 二階は日本国内の総連関係のパチンコ業界を仕切る営業部が入っている。三階は北朝鮮との貿易関係会社の総元締めだと言う。四階に第三委員会なるものがあって通常は関係者以外、立ち入りができないフロアだ。噂では対日工作の特務機関だと言われているが定かではない。
 今回の逮捕者はその第三委員会の最高幹部。警視庁の四階の家宅捜索は総連が東京総連になって初めてのガサとなった。
 部屋は一フロアをフルに活用した大部屋になっており、ロッカーや耐火金庫がやたらと多い。廊下側は入り口を除き、全て壁になっている。しかも入り口のドアは鉄製だ。一階に詰めている日本人ガードマンが四階まで案内してくれた。中で監視カメラを見ていたのかエレベーターを降りると鉄製のドアが開けられた。
 公安部管理官の沖田警視が捜索令状を示して言った。
 「只今から爆発物取締法違反容疑でこの部屋を家宅捜索します。全員が立って壁際に移動して下さい」
 職員は捜索を阻止しようと〝人間バリケート〟で抵抗しようとした。後方に待機していた九機の隊員が駆けつけてもみ合いになったものの強制排除された。
 幹部は朝鮮語で事務員たちに家宅捜索について説明している。金哲秀の部屋は東側の窓際にあり、磨りガラスのドアと衝立で仕切られていた。壁には全身大の金正恩第一総書記の写真が飾られている。
 部屋には女性が案内。眼鏡をかけ縦のストライブの入ったダブルの背広を着た男が立ち会った。どうやら、このフロアの責任者のようだ。着手宣言の前に沖田が捜査員に指示を出した。
 「銀行の通帳と出入金の帳簿関係は見逃さないように…」
 捜索はロッカーや金庫の中は勿論、壁にかけてあった金正恩第一書記や金正日など元幹部の集合写真の額の裏まで徹底された。国税の査察なみの徹底だった。
 ひとつのロッカーには日本の陸・海・空の各自衛隊の基地の地図と保有する航空機と台数。中には基地の航空写真もあった。それに隊員数から装備機器、その性能までの資料が厚さ十㌢もあるファイル五冊にまとめられていた。
 さらに在日米軍の迎撃航空機やオスプレイなどの航空機数、詳細な兵器の種類とその特徴。日本国内の主な原子力発電所の正確な図面。首相から各大臣までの住所、使用している公用車の車両ナンバーまでがファイルされていた。
 中でも今回爆破計画が明らかになった浜岡原発に関する資料は図面だけでなく出入り業者名と担当者名から孫請け業者に至までの詳細な情報が別ファイルになっていた。
 今回の捜索では、浜岡原発の爆破計画の裏付け資料の押収が大きな柱にあげられており、これら資料の発見で事件立件に向けて大きな山場を迎えたことになった。
 このほか、爆破計画を指揮したとされる金哲秀の通信記録の入ったパソコンも押収の対象となっていた。しかし、データが全て削除されていたため警視庁サイバー犯罪対策室に出動を要請。復元作業に入った。
 押収資料の中には警視庁が摘発した潜水艦に関わる機密漏洩事件の資料も含まれていた。日米秘密保護法の「特別防衛秘密」に該当する情報まで漏れていたことも分かり、我が国の機密保持の脆弱さが露呈。捜索指揮官の沖田が愕然とした。
 特に軍事機密は国の存亡にも関わる問題。我が国でも二〇〇七(平成十九)年には法改正までして、罰則も強化している。
 「それなのに、どうしてこんな資料まで漏洩するのか?これでは日本の防諜はお粗末過ぎる」
 それだけでは治まらなかった。立会人に金庫のひとつを開けさせた女性捜査員が大声をあげた。
 「管理官!こんなに預金通帳がありますよ。しかも全部名前が違う…さらに、遺族年金受給者名簿まで…」
 「通帳は何通ぐらいあるんだ」
 「出納帳五冊と通帳は七十二通あります」
 「七十二通?」
 沖田と係長が駆けよった。名簿を手にした係長が言った。
 「これさあ、ほとんど名義人が違うよなあ…かなり古いものもある。振り込め詐欺用の口座と違うか?そしてこの名簿も振り込め詐欺のリストだったりして…」
 女性捜査員が首を傾げている。
 「中国とか韓国人が振り込め詐欺に関与していることは良く聞きますよね。北朝鮮もですかあ…」
 各預金通帳の出入金の流れと出納帳を見ていた沖田が意を決したように言った。
 「よしマネーロンダリングの意味でもこれを押収して徹底して調べる。地下銀行に繋がるかも知れない」
 見ていた立会人が朝鮮語でわめくと、壁際にいた職員が駆けよってきた。それを確認した立会人が日本語になった。
 「やめて下さい。これはあなた方には関係ないでしょう。これを持って行ったら国際問題になりますよ。共和国が許しません」
 沖田は九機隊員を呼んで男たちを壁際に押さえ込んだ。
 こうして商工連合の捜索が終了したのは午後十時をゆうに過ぎていた。
 同時に進められていた金哲秀使用パソコンのデータ復元作業は警視庁サイバー犯罪対策室によって成功し、爆破事件の指揮命令は金哲秀のパソコンから出されていたという証拠を発見した。
 この金哲秀のパソコンの復元によって浜岡原発爆破司令の流れとなる金哲秀丨猪俣三郎こと崔永男丨駿河興業の李南哲の一本の線が完璧に裏付けされたことになった。

       29
 ジョンソンの情報で爆破事件の首謀者を間一髪で逮捕できた影虎。どうも気になっていることがあった。それはあの丹東交易、新山治こと尹日好の品川のマンション前に止まっていた白いレクサスの品川500 な ××丨78だ。そのレクサスは千代田区麹町の金哲秀のマンションでも見た。
 影虎は東京陸運局に所有者照会した結果、東京品川区内のカーリース会社「オリックス品川」と分かった。カーリースは客が乗りたい車を選びリース会社がその車を購入して決められた金額と期間で貸し出すというもの。自身の分割購入と比べて保険料や税金が賃料に含まれるため安価と言われている。
 白いレクサスの品川500 な ××丨78を約三年間にわたり借りたのは趙自成(チョ・ジソン)で韓国人だと言う。三年前に韓国発行の国際運転免許証を持って来日。半年後に日本の運転免許証を取得したもので、リースの際の免許証のコピーが添付されていた。ところが一昨日、突然、解約したと言う。
 従業員の話によると、三年前に借りに来て七年間のリースで代金は月々九万九千八百五十円だった。影虎が聞いた。
 「その車は現在どこにありますか?」
 「裏の駐車場にあります。車内の清掃と整備点検はもう始まっているかも知れませんが…」
 車内清掃が行われれば遺留品等は全て失うことになる。
 「その清掃作業をストップさせて下さい」
 影虎の声はほとんど絶叫だった。従業員は怪訝な顔をしながら質問してきた。
 「何か問題はあったのでしょうか?」
 「そのまま。そのままの状態で私が借りたいのですが…」
 影虎は従業員に案内されて裏の駐車場へ急いだ。白いレクサスはドアが開けられ、まさに清掃が始まろうとしていた。
 「ちょっと待って下さい」
 影虎が必死にお願いする。
 「そんなことを言われても我々は時間で仕事をしていますから…」
 どうしても待って貰えない。理由も言わないのでは当然だろうと影虎は思った。「やむを得ない」と判断した影虎は従業員と作業員に警察手帳を示した。
 「警視庁公安部です。この車はわけがあって調べなければならないのです。捜索令状を取るつもりです。ですから、令状がおりるまで待っていただきたい」
 影虎の説明を聞いた従業員は納得。作業は中止された。
 影虎は捜索令状を得る手続きを国木田に要請するとともに、趙自成の所在を確認するため添付された免許証に記載されている住所地、渋谷区恵比寿南二丁目××番地に行くことにした。
 それは陸上自衛隊目黒駐屯地前にあった。マンション名は「エビスパークハイツ」二〇五号室だ。エントランスには守衛室があり、ガードマンが常駐していた。
 「私は二〇五号室の趙自成さんの友人ですが、きょうはいらっしゃいますかね」
 ガードマンは入居者名を確認することなく答えた。
 「趙自成さんは一昨日、突然、本国である韓国に帰ってしまいました」
 
 影虎の懸念が的中した。今、午後四時過ぎ…影虎はこの足で西麻布のセントラルビルの地下一階にあるレッドローズを訪れた。例によってジョンソンは開店準備に追われていた。
 「ミスタータイガー、本日はなんですか?」
 「先日はお陰様で成田から出国直前に逮捕できました。ありがとうございました」
 日本流に直立不動から四十五度に身体を折り曲げて礼を述べた。影虎の大げさな行為にジョンソンは笑っている。
 「オーノー…やめなさーい。それで本日はなんですか?」
 「韓国人の趙自成という人物を知っているかね?」
 「ついにそこまで行き着いたか…」
 ジョンソンはそう言って真剣な表情になった。
 「この情報はタイガーオンリーだからね」
 「いつもいつも申し訳ない」
 「彼は、韓国のAgency for National Security Planning、つまりANSP(大韓民国国家情報院)の工作員だよ。何度もわたしの組織と接触している。彼が日本に来たのは今回が初めてだと思うよ。何か問題あったのか?」
 影虎は、張り込み先での二度の目撃を含めてこれまでの経緯を説明した。
 「この前、言っただろう。ノースコリアが内部から攪乱する戦略をとるように変化したと…その時に韓国の国会議員がノースコリアの工作員の言いなりになって地下組織を結成したとして逮捕された。事件はその延長上にあるんだ」
 ジョンソンはさらに続けた。
 「サウスコリア、韓国と日本が尖閣問題で揺れている時に趙自成が日本に来た。ノースコリアの工作員が狙っている米・日・韓の軍事計画の入手を潰すためが目的だと聞いている」
 ジョンソンの説明に熱がこもる。
 「前に言ったが、国防部の特使が在日韓国大使館に派遣されていると…」
 「聞いている。白敬一(パク・ギョンイル)だろう。ユゥミンこと李銀姫(イ・ウンヒ)という女の色仕掛けに遭った」
 「良く調べてあるが、女は北朝鮮のハニートラップだよ。白敬一は彼女に完全に取り込まれてしまったんだよ」
 ハニートラップとは女性の諜報員で性的な関係を持って対象者を取り込むのだ。
 「その女は麻布のハニーナイト六本木のホステスと違うか?」
 ジョンソンが驚いた。
 「その通りだ」
 「そのクラブに潜入捜査したときユゥミンと白敬一の仲を知ったんだが、女の名前が確か…李銀姫と言って韓国のヴォーカル歌手と同姓同名と聞いていたんだ」
 「そう名乗っていたんだが実際は北朝鮮の工作員だ。世田谷のマンションの裏金は白敬一だよ。それで名前も韓国人の歌手をパクったんだ」
 「それと趙自成とはどう関係するんだ」
 「ミスタータイガー…代償は高いぞ」
 ジョンソンはそう言ってからさらに説明を始めた。
 「そのハニートラップの情報を集約して本国と連絡を取っていたのが朴基永と崔永男だ。本国からの連絡はラジオの短波放送を利用していたので我々も傍受した」
 そしてジョンソンから興味深い言葉が飛び出した。
 「我々は崔永男と朴基永の殺人事件は趙自成の犯行と見ている。本国に連絡する通信を傍受しているからだ」
 影虎は頭を一撃されたようなショックを受けた。
 そうなると、影虎はジョンソンの話を裏付けるためにはどうしてもレクサスを押収してカーナビのデータを解析して趙自成の国内での行動を調べる必要があると決意。差押え令状を待つことにした。
 カーナビは現在の走行場所だけでなく目的地に案内してくれる。その記録が残ることは余り知られていない。
 影虎がレッドローズでフロアレディたちと談笑して店を出たのが午後七時を過ぎていた。
 店を出る時、道の左右を確認した。これから影虎が向かおうとしている道の反対側に不審な男の動きを感じた。
 これまで影虎を尾行しているのか後ろをついて来るように感じたことは何度かあった。しかし、こうもあからさまに見張られたのは初めてだ。
 影虎が向かっているのは地下鉄日比谷線の六本木駅だ。西麻布と言っても繁華街というよりは長谷寺などの寺院が多く、人通りの少ない通りだ。長谷寺の西側の庭園を過ぎた寺院入り口付近に差しかかった時だった。後ろを付けて来た男がいきなり影虎を追い越した。
 身の危険を感じた影虎は、右足の脛に巻き付けているホルスターから伸縮する特殊警棒を抜いた。その時、男は右手にナイフ様の物を持って突進してきた。影虎が特殊警棒を一振りして長く伸ばし、ナイフを持った男の右手の甲に剣道の「小手」のように一撃した。バシッと言う鈍い音がして刃物がたたき落とされ、同時に男が膝を折って路上にうずくまった。
 普通は刃物をたたくのだが影虎は、それでは治まらない。相手にダメージを与えるため、敢えて手の甲を一撃した。
 影虎は制服時代を思い出した。「悪は必要ない。殺してもいい」丨うずくまる男の顔面目がけて、今度は右足で蹴りを入れた。グアッ。何とも言えない悲鳴とともに男は路上に仰向けに倒れた。
 影虎の蹴りが鼻を捉えたらしく顔面が血だらけだ。のたうち回る男。手で顔の血を払ったその時、あの独特の金の総入れ歯が不気味に光った。その男はまぎれもなく、「アラブの黒豹」ことイスム・ムハンマドだ。
 情報では茨城県の日立市の運送業に勤めていることになっている。日立市は日本で初めて原子炉が設置され、現在も日本原子力研究開発機構など原子力関係施設が所在していることから「要注意」人物の一人とされていた。
 その重要人物が、今、なぜ?この場で自分を狙うのか影虎は理解に苦しんだ。
 「お、おい、誰に、た、頼まれたんだよ」
 どもる影虎。何度か足で腹を蹴るが、その度に電気ショックが走ったようにピクリとするが無言である。
 「長居は無用」丨影虎は最後にイスムの右足の脛を警棒で叩き付け、歩けないようにして六本木の駅に向かおうとした。時間にして数十秒という速攻だったが、誰が通報したのかパトカーが二台到着した。
 「君!待ちなさい」
 制服の警察官が影虎の後ろを追いかけて来て腕を掴んだ。もう一人の警察官も駆けつけて影虎は両腕を捕まれた。
 「相手はケガをしている。何を使ったんだ!君を傷害容疑で現行犯逮捕する」
 階級章を見ると警部補と巡査長のようだ。影虎の身体に胸から下に触りながら身体捜検を始めた。凶器を捜している。影虎がドスの効いた声で言った。
 「良く見ろよ。あいつの横にナイフが落ちていたろう。ナイフで俺が襲われたんだ。捕まえるなら殺人未遂であいつを捕まえろ」
 右足のズボンの裏に何かを発見した。
 「動くな!」
 取り出したのが特殊警棒。
 「はい、軽犯罪法違反容疑であなたを逮捕します」
 警棒の所持そのものは違反でないが、一般人が持ち歩くと軽犯罪法第一条に違反する。「正当な理由なくして…他人の生命を害しまたは身体に重大な害を与えるのに使用する…」物の携帯を禁じているのだ。
 「馬鹿野郎」と怒鳴りたかったが、説明しようとしても制服は昂奮しているのと集まった野次馬の前で警察手帳は出したくなかった。
 パトカーの後部座席で二人の制服に両腕を取られた影虎。麻布警察署に入と、警部補がリモコン(警察無線端末)席にいた当直主任に聞いた。
 「奥(奥の調べ室)空いている?」
 「関係者は一人か?」
 影虎に近づく主任。影虎を見た瞬間、驚きの声をあげた。
 「虎さんじゃないですか。どうして…」
 連行する警察官を見て
 「おいお前ら手を離しなさい。この人を誰だと思ってるんだ…」
 「おう、永ちゃんじゃないか。ここにいるのか…」
 「ご無沙汰しています」
 二人の制服が影虎から離れた。永ちゃんこと永田大介。永田の永をとり「えいちゃん」と呼ばれている。影虎の二年後輩だ。連行した二人の制服が固まっている。影虎が二人を見ながら言った。
 「いやあ、悪かったな…一般人もいたし…それで(手帳)出せなかったんだ。あいつはアルカイダの工作員なので公安と連絡をとって扱えよ」
 アルカイダと聞いて署内は静まりかえった。こうして影虎は調べ室で永田に言った。
 「わけあって仕事の中味は言えないが、今回はマスコミへの発表を控えてほしい」
 こうして影虎は警察官ではなく、一般人扱いとして被害届けの調書が取られた。別れ際に永田が心配そうに言った。
 「虎さんの命が狙われているような気がするんだけど…あんな大物が動くとなるとかなりやばいんじゃないですか…」
 「心配してくれてありがとう。じゃあな」

     □   □
 「日本の情報機関の意地にかけても趙自成の国内での足取りを解明してやる」
 そう誓った影虎。品川のカーリース「オリックス品川」から令状により手に入れたレクサスのカーナビデータの解析を山梨県警の捜査本部に依頼することになった。
 影虎は鴇田に連絡した。
 「山梨の捜査本部には行っていないのかね」
 「今、来ていますよ。どうしたんですよ虎さん。いいタイミングですね…」
 「なんで来ているんだよ」
 鴇田は、松島基地の爆破事件に関わっていたと見ていた月見里こと朴基永が殺害されたうえ、最近になって事件当日は群馬県桐生市にいたことが明らかになったことの捜査で来ている旨を説明した。
 「丁度いいや。どうも引っかかることがあってな。調べてもらいたいことがあるんだよ」
 「なんですか?」
 「実はある韓国人の日本における行動を調べているんだ。その韓国人が白のレクサスに乗っていることが分かり、そのレクサスを手に入れたんだよ。レクサスに乗っていた韓国人が北朝鮮関係者と接触していたという可能性が出てきたので調べてもらいたいのだよ」
 「虎さんはその韓国人と接触したのは朴基永と見ているわけですか?それでそのレクサスを調べろというわけですね」
 「そう。カーナビのデータの解析だ。朴基永が殺された日の走行経路と時間を知りたい。そうすれば殺人事件の謎が解けるかもしれないんだ。桐生市に言ったとされる日もついでに調べればいいんじゃないのか?」
 影虎は韓国の工作員の趙自成の名を敢えて隠した。こうして山梨県警の月見里さん殺害事件捜査本部でレクサスのカーナビを事件前後の動きについて解析することになった。

      30
 総連四階の第三委員会から押収した銀行の出納帳を分析していた警視庁外事課は、朝鮮足立信用組合から毎月十日に十億円という単位で新宿区西大久保の「揚州銭庄東京支店」に送金されていることを突き止めた。
 外事課係長の高村警部が出納帳を手に沢山課長席に来た。
 「課長!これ見て下さい。先月は十九億円、先々月は十四億円、その前が十八億円と毎月十億単位でこの銀行に送金されています」
 「この揚州銭庄は北朝鮮の銀行かね」
 「いや、これは中国の地下銀行組織なんです」
 「なに!地下銀行?」
 「ええ、三年前だったか中国の揚州市警察が摘発した地下銀行なので覚えています」
 そして高村がこの組織の仕組みを話し始めた。
 「摘発の時に中国公安当局からICPOを通じてマネーロンダリング関連で照会がありました。日本で送金したい者が新宿区にある揚州銭庄に送金を依頼する。揚州銭庄は中国本国の陳雲(チンウン)という海外特急送金会社にEメールで依頼金額のみを送る。陳雲がプール資金から依頼金額を受取人に渡すと言うのが仕組みです」
 「陳雲に北朝鮮の受取人が行けば良いということだな」
 「はい。一般銀行はパスポートなどによる本人確認が必要ですが、これだと確認は必要なく、しかも一般銀行より早く送金でき手数料も安いとあって不法滞在者やヤミ組織が利用しているようです。しかもこれは日本だげでなく東南アジアや欧州にも存在しています」
 「裏には国連の制裁問題があるわけだ…」
 「その通りです。日本も朝鮮大進船舶の貨物船・万景峰号の寄港は二〇〇六年のミサイル発射以降認めていないので地下銀行利用者が多くなったんだと思われます」
 「中国でも制裁があって中国国内から北朝鮮への送金は止められたままだろう。中国から北朝鮮への振り込みもできないのと違うか?」
 「裏の世界があるそうで北京から国際列車で北朝鮮に入る時は新義州で北朝鮮の軍人による入国審査があり携帯電話などは持ち込めないそうですが、軍人が財布を出して賄(まいない)を要求するというから相当の抜け道があるそうです」
 脅威の金額に沢山が疑問を持った。
 「ところで毎月十数億円という大金はいったいどこから集めた金なんだろうか?その辺の捜査は進めているのかね」
 「この部分は刑事部の財務捜査官に協力を要請してお金の出所を調べています」
 「よし分かった。日本国内で得た犯罪収益金を地下銀行で送金するとはけしからん。銀行法違反で揚州銭庄にガサかけよう」
  □    □
 内閣府五階のNSCの国木田の部屋に影虎と警視庁捜査二課の財務捜査官の新田が訪れていた。新田が総連から押収した通帳の分析の途中経過を報告するためだ。新田はA4のペーパの綴りを国木田らに渡して説明を始めた。
 「これは私が作った資料ですが、罫線で囲まれた左枠が総連の口座から中国の銀行と言っても地下銀行ですが揚州銭庄に送金している金額です」
 国木田が目で追うと確かに先月は十九億円、先々月十四億円、その前の月が十八億円とほぼ毎月十億円単位の金が送金されている。
 「一番右枠が総連の入金欄です。その入金欄の個人名と一部法人名が含まれますが、押収した預金通帳七十二通の内訳です」
 「えっ!こんなに押収したの?」と影虎が驚いた。
 「中央の枠は金額が八億円前後でほぼ一定した入金になっていますが、その送金先を調べたらほとんどは総連が経営しているパチンコ店からの上納金であることが分かりました」
 新田がさらに続けた。
 「右枠が実は大変なのでまだ半分程度して解明できていません。七十二通の通帳のうち個人名が六十四通。法人名義が八通あります」
 新田はお茶を口に含んでから続けた。きょうは外の気温が三十度を超える暑さでしきりと喉が渇く。
 「この個人個人は全て名義人が違っています」
 表には書いていないが新田が別の資料を見て読み上げた。
 「名義人は東京十四人、福岡十一人、熊本八人、秋田五人、青森四人、宮城二人など九都県で合計六十四通が借金などのトラブルからヤミ金に脅し取られた口座でした。古い話では二〇〇三年前後に確か警視庁と広島県警が摘発した山口組の五菱会が絡んだヤミ金被害者の口座が大部分です」
 影虎が質問した。
 「そんな古い口座が生きているのかね。あの時、全部の口座を凍結したはずだぞ」
 「凍結漏れがあったようですね。それに口座売買の口座屋に渡ったのもかなりあったようです。もちろん振り込め詐欺の口座と分かったので最近になって凍結されたものもあります」
 国木田が影虎を見て説明した。
 「虎さんな、口座を借金変わりに提供、あるいは脅し取られた連中の中には黙って届けないのもいたんだよ。今の振り込め詐欺と同じようにだ…あの時は『肝臓でも売って金つくれ』などと脅迫が凄かった。口座を売れば現金が入ったことから口座屋に相当流れたと言われているんだ」
 「なるほど」と頷く影虎を見て新田は続けた。
 「実は最近半年しか確認できませんでしたが、この入金額と振り込め詐欺の被害届けの数字でだいたい期日と金額が一致するものをひとつひとつチェックしたんです」
 さらに新田し続けた。
 「ピタリと一致したのは東京や埼玉、神奈川、滋賀県など一都四県に及びました。全部がお年寄りで、最も被害額が大きかったのが千四百七十五万三千四百六十五円で、あとは五百四十五万二千六百十四円など四、五百万円台が十一人いました」
 国木田が疑問を持った。
 「なんで、何円台と端数がつくんだね」
 「これは初めてなんですが、敢えて命名すれば『根こそぎ詐欺』とでも言いましょうか…とにかく口座にある預金、利子を含めた全額を引き出してしまうという極めて悪質なんです」
 「そんなことができるの?」
 「はい、被害者は遺族年金受給者がほとんどなんですが、電話で遺族年金機構を名乗り、決まり文句は『あなたはお子さん持ちとは知らずに金額を少なく支給していました』と言って『不足分の確認をしたいのですが、携帯を持ってATMの前に行って下さい』と誘うんです」
 影虎が質問した。
 「それじゃあの還付金詐欺と手口が同じだが、子供持ちとそうでないのをどうして見分けているんですかね」
 「彼らは遺族年金受給者の名簿を持っていました」
 国木田も影虎も最も知りたいのが手口である。新田は続けた。
 「受給者が妻だけと子供がいる場合とでは年間の受け取り額が数十万円も違ってくるところに目をつけているんです。元々子供の支給があるのにも関わらず、『少ない』と言われると疑問を持つ人が少ないようです。手口はATMで最初に口座の現在の残高を出させる。そして『それがあなたの認証番号になりますので、その金額の通り数字を入力して下さい。最後に左下のボタンを押して下さい』と言うんです。ボタンを押すと入力した全額がそっくり相手の口座に入金になるという手口なんです」
 影虎の眉がつりあがった。
 「か、か、還付金詐欺の場合は相手が金額を指定するから、い、いくらかは残るわな…し、しかしだよ、これだと利子まで根こそぎ持っていかれるからたまったもんじやないぜ…」
 国木田も相当怒っている。
 「ゆるせねえ奴らだよ」
 興奮を収めた影虎が口を開いた。
 「振り込め詐欺だけでも管内では今年半期で認知件数が三千五百件、被害額は九十億円にのぼるんでしょう。今回明らかになったのは氷山の一角…とすれば…」
 しばし沈黙の後、新田が続けた。
 「これは、とりあえず金額と期日が一致しているだけをまとめたものです。さらに組対部では別働隊を組んで実態解明に乗り出しているはずですから…」
 「いや本当に頭が下がりますよ。でも全部やることはないんだからせめて、うん千万円の被害者を二、三人でも確認がとれれば送致はできるわけですから…」
 国木田のねぎらいの言葉の後さらに新田。
 「そうですね。ざっと分かっただけでも半年で七十一億円近くが連中の口座に入ったことになるわけですから…」
 「情報官!」
 影虎が険しい表情で言った。
 「これで分かりましたよ、北の奴らの三矢計画なるものは日本国内の治安ばかりでなく経済も混乱させる目的だったのではないかと…」
 「なるほど」と頷く国木田。
 「引き続き頑張ります」
 報告を終えた新田が帰って行った。
 
     31
 影虎がレクサスのカーナビの解析を山梨県警捜査本部の鴇田に依頼してから三日が過ぎていた。
 直接、捜査本部にやって来た影虎に鴇田が解析結果を説明した。
 影虎が渡されたのは地図のコーピーで、その中の道路を黄色の蛍光ペンでなすっている。月見里が殺された二日前の走行だと言う。
 それは東京渋谷区の陸上自衛隊目黒駐屯地近くから始まり、首都高速から中央自動車道へ。大月、甲府を過ぎて韮崎で下り、右折して国道52号へ。52号の富士川街道を南下。富士川町を通り抜け見延町役場を左に見てさらに南下。
 右側に見延カントリークラブがありこの交差点を「上沢」方面に入る。それが県道37号線。右側に早川第一発電所があり通過。早川町役場を過ぎて五、六百㍍ほど行くと道路は二股に別れる。左に折れて妙法寺を過ぎて二つのトンネルをくぐると遺体発見現場の雨畑ダムに着く。
 「黄色蛍光ペンが緑色のペンに変わり、戻るようになすられているがこれは?」
 影虎が首を傾げると鴇田が言った。
 「緑色は帰りに利用したコース。なすってある通り富士川沿いに静岡県内に入って行くんです」
 影虎は「うんうん」と言いながら緑の線を追った。県道190号を走り、富士川の左岸を東進すると県道10号に突き当たり、芝川町を通過、富士川を渡る冨原橋、そして逢来橋を渡って富士川から東名高速で都内へ。中央道でN市に帰っている。鴇田は二枚目の紙を渡して続けた。
 「次ぎにこれは遺体発見の前日、俺たちが現地入りした前日、死亡推定の日になるんですが、今度は同じコースで雨畑ダムに行った後、同じ道順を戻っているのです。但し、この時は行く時に妙法寺境内で一時間ぐらい休憩しているんですよ」
 「ほう面白いじゃないか…」
 「それで我々はレクサスの車内を調べた結果、毛髪と一部血痕らしいシミを発見しました。現在、科捜研で月見里のと比較しているところです」
 「この静岡経由での帰宅だが、これ静岡県警に連絡してくれた?」
 「どうしてですか?」
 「これ、良くみると逢来橋を通っているよな。これが防衛大の飛翔弾事件の被疑者と思われる猪俣が死体で発見された場所なんだよ」
「え~あれは蓬莱橋でしょう。それだと富士川でなく大井川でしょう?」
 「その橋は逢うという時に草冠が付くんだ。そして「ほうらい橋」と読む。現場は同じ読み方だが逢うという字を書くんだよ」
 「だから推測するに最初は二つの現場を同時に下見したことになる。逢来橋の事件は翌年の三月だから、その時に幾つかの遺棄場所を決めていたのだろう…」
 「仮に趙自成がやっていれば車内には、もうひとつの物があるはずだ。それを静岡県警と神奈川県警の捜査本部に連絡してほしい」
 「それと…あの松島基地の爆破事件の日、レクサスは群馬県の桐生にいることが記録にありました。桐生市では白い車はL字のマークがあって最後の数字が8だったということとも一致します」
 「と言うことは趙自成のレクサスを朴基永が使い朴基永のオートバイを趙自成が使っていた可能性が出てきたか…」
 鴇田はさらにひとつの疑問をぶっつけてきた。
 「虎さんね。問題はですよ、レクサスは韓国の人物が借りていたのでしょう。しかし月見里は北朝鮮の工作員の朴基永ですよ。こんな人間関係考えられますか」
 影虎はさすが捜査一課的発想だと思った。もう隠してもしょうがない。鴇田ならいいだろうと影虎。
 「君たちはズバリ証拠を中心に犯人に迫っていくのだろうが、俺たちは可能性のある組織をあらかじめ選んでそこから絞り込んで行く。今回は北の工作を南の工作員が暴いて阻止するミッションだったら、当然二人は接触するだろう…」
 と言って影虎はさらに
 「月見里はどんな行動パターンを取っていたのか分からないが、例えば客を案内する時、料亭を使うとか行きつけの店などは割っていないのかね」
 「割っていますよ。勤め先は甲府市内なんですが、駅裏の繁華街に良く行く四川料理店があって、そこのビルや駅ビルの防犯カメラに友人と歩いている映像があるんです。一回や二回ではないんです」
 「その写真はあるかね」
 「ビデオを押収しているので映像で確認できますが…」
 こうして影虎はその映像を見ることになった。ビルの映像の三番目に見た男の顔に影虎は鳥肌が立った。
 それはまぎれもなくあのカーリース社で保管してあった運転免許証の顔そのものだった。
 「鴇ちゃんさ、これだよ。ビンゴだ。ばっちりだよ。この男が韓国の工作員の趙自成と言うのだよ」
 「えっ!」と驚いた鴇田。
 「なんで分かるんですか?」
 「奴の乗っていたレクサスはリースなんだよ。契約の時に呈示した運転免許証の写真があるんだ」
 こうして北朝鮮の朴基永と韓国の趙自成が繋がった。
 「問題は車内にある血液のようなシミと毛髪の鑑定がどうかだ」
 「そうですね。せめて彼の乗っていたオートバイがないと…」 
 科捜研の結果が出たのは二日後だった。
 「車内から発見された毛髪は四人分でその中の数本がDNA鑑定の結果、月見里と一致。さらに車内から指紋が検出され、血痕の様なシミも月見里の血液とDNAが一致しました」
 さらに三日後。カーナビに記録されていた妙法寺境内でオートバイの捜索をしていた捜査員が、草むらの中からヌンチャクを発見した。雨で流されたのか血痕はなかったがヌンチャクの近くに髪の毛が数本あった。このDNAが月見里と一致したのだ。
 この報告を聞いた山梨県警南部署捜査本部は、韓国人の趙自成(四八)を死体遺棄容疑で逮捕状を取った。
 一方、富士宮署捜査本部は猪俣三郎の資料を神奈川県警から取りよせて鑑定した結果、数本の毛髪がDNA鑑定で一致した。科警研の水質鑑定の結果、ボタンが発見された場所のわき水と猪俣の胃の残留水が同一と判明、犯行現場が特定された。
 趙自成の車内から猪俣三郎こと崔永男の毛髪が出たという報告を得た防衛大爆破事件の神奈川県警捜査本部と朝霞駐屯地事件の埼玉県警の合同捜査本部は猪俣の写真を持って足取りを追っていた。
 朝霞事件当日の午前七時二十分に埼玉県の狭山市で猪俣の携帯090・325×・7×××の通信記録があることから狭山市内の旅館、ホテル、タクシー会社に対する一斉聞き込みだ。
 聞き込みを初めて五日後、埼玉県警の捜査員が重要な証言を得た。そこは狭山市内の入間川沿いにある和風旅館「椿館」だった。写真を見た女将が言った。
 「ええ、この方でしたら覚えています。確か去年の十月下旬だったと思います…だってこの人はお巡りさんでしょう」
 警察官と聞いて驚いた刑事。
 「どうして警察官だと思ったのですか?」
 「あの方は部屋で食事をした後、風呂に入りに行ったんです。その間に私が布団を敷きに部屋に行ったんですよ。その時、お巡りさんがかぶる帽子が壁にかけてありましたの…ところが風呂からあがって来たあの方は慌てて帽子を隠そうとしていましたよ」
 自衛官の帽子と見間違ったのだろう。
 「荷物でキャリーバックは持っていましたか?」
 「持っていましたよ。濃紺色だったと思います」
 間違いないと判断した刑事。
 「宿帳ありますよね。見せていただきますか?」
 こうして本人が書いた宿帳を見た。住所は神奈川県の横須賀市で名前が大内健太となっている。しかし、予約の時に聞いてある連絡番号を見ると携帯の090・325×・7×××だった。
 猪俣とは別名を使っていたことから捜査本部は、宿帳と不動産会社から部屋を借りる際に書いた契約書の筆跡鑑定を行った結果、「神奈川県」と「横須賀市」の文字が同一人であることが確認された。報告を聞いた神奈川県警の桑田捜査一課長が埼玉県警の井上捜査一課長に聞いた。
 「午前七時二十分に狭山市内にいて現場まで間に合うのかね」
 「狭山駅発八時三十四分の西武新宿線に乗ると駐屯地のある朝霞には一時間前の九時十八分に着きますから十分間に合います」
 「それでは、その時間帯の朝霞駅及び周辺の防犯カメラをチェックして映像があれば逮捕状を取って被疑者死亡で送るしかないな…」

 一方、趙自成の足取りを追っていた山梨県警南部署捜査本部の捜査員が影虎の情報をもとに出国の有無を確認したところ、あの金哲秀が逃走を図った同じ日に成田国際空港午前九時二十五分発の大韓航空KE706便で出国していることが確認された。
 この報告を刑事部長から山梨県警本部長室で聞いた田沢俊一は、こう漏らした。田沢は昭和五十六年入庁組のキャリア。警察庁で警備企画課の課長補佐から山梨県警本部長に抜擢された警備警察のエキスパートだ。
 「韓国か…」
 報告をした刑事部長が田沢の呟きを聞いて
 「本部長、韓国とは犯罪人引き渡しに関する条約がありましたね。交渉していただけませんか…」
 「うん、あの平成十四(二〇〇二)年に効力が発生したやつだろう…しかしな…あの靖国神社の放火犯の身柄引き渡しを要求した際には、ソウル高裁が認めないなど司法は政治によって左右される国なんだよ…それに今は冷え切っているしな…」
 二人の沈黙がつづいた。田沢が沈黙を破った。
 「放火犯でさえ引き渡しを拒否するんだから…ましてや今回は韓国情報院の工作員だとすればなおさらだな。だから余り期待してもらっては困るが警察庁と相談してみるよ」
 埼玉県警と神奈川県警が趙自成の足取りを割った日の翌日だった。国木田が影虎に連絡してきた。
 「虎さん…先日言った午後九時の通話記録があった090・5678・××××の相手の携帯所有者の名前が白敬一という人物だった。参考のため伝えておくよ」
 白敬一と聞いた影虎は応答する言葉を失った。ジョンソンから聞いた韓国の国防部の特使の名前である。しかし、影虎は「そうですか…」と言って携帯を切った。
 情報源を秘匿するためだ。諜報部門では特にエージェントの扱いは秘匿されなければならない。影虎にとってハニートラップに取り込まれた白敬一とそのラインを潰す趙自成の関係を知るだけで良いのだ。
 それより影虎が気にしていたことがあった。事件が解決した際に鴇田が影虎に呟いた言葉だ。
 「仮に我々が追っていたオートバイを韓国の工作員の趙自成が使っていたとしたら…松島の事件との関係も浮上する…でも肝心のオートバイがないかぎり立件は無理か…」
     32
 山梨県警と神奈川県警の両殺人事件、同県警管内の防衛大飛翔弾事件、それに埼玉県警管内の朝霞駐屯地爆破事件は実行犯の被疑者死亡とは言え、事件を指揮した主犯を含め爆弾製造の男を逮捕している。
 しかし、宮城県警の松島基地爆破事件は暗礁に乗り上げてしまった。心が晴れない警察庁の指揮官、高石は宮城県警松島東署の谷津課長に連絡。不明になった五人の自衛隊員の最終足取りを聞いた。
 「な~も証拠がねえし当然令状も取れない。おまげに逃げられちゃっては、どうにもならんべさ…」
 「分かっています。今後のこともありますので五人の足取りの報告書を警察庁の私宛に送っておいて下さい」
 「わがった…出国したかどうが確認すてっから、のぢに報告書出すから…」
 そして四日後に、不明自衛官の最終足取りが警察庁に報告された。それは次のような内容だった。いずれも事件当日のことである。
 三沢基地 南条美佐雄 空士長 出国 羽田発十三時五十五分 CA182便
 横須賀基地 坂上利男 海士長とその家族 出国 羽田発九時二十五分 NH1255便
 浜松基地 富田巌 二等空士 出国 羽田発 九時二十五分 NH1255便
 岩国基地 沖田敏 海士長 出国 中部国際空港発 九時二十分 NH5743便
 沖縄基地 与那嶺文彦 一等海士と妻 出国 那覇空港発 十三時二十分 NH5738便
 警察庁への報告が終わった後、谷津は捜査本部員全員を集め、同じ報告書を配り、こう言った。
 「今、手元に配ったのはそれぞれの基地でずっこう犯(実行犯)とされた人物のあす取り(足取り)だ。いずれも北京経由で北朝鮮にけえって(帰って)しまった。北朝鮮とは犯罪人を引きわだす条約なんてねえので、これでおすまいとなってしまった」
 谷津の話は止まらない。
 「それと…うぢ(うち)のかんす(監視)カメラにうずって(写って)いたおどごは割り出すことがでぎながった…それに…なんと言っても…害者のすんぺん(身辺)捜査は…もっとすっかりとすておぐべぎだった…これも俺のすっぱい(失敗)ださ…」
 下を向いた谷津…さらに声の力がなくなっていく。
 「…マスコミに情報とられたことがうぢの完敗だということだ…すまんことをした…俺…せぎにん(責任)とっから…」
 深々と頭を下げる谷津丨四十年間の警察官人生のうち三十年はデカ稼業。今回の事件は百九十九件目の殺人事件だった。坂田も石井も千野もそして捜査員も…千野は唇を噛んでわなわなと震えている。
 千野が言った。頬から涙がこぼれている。
 「こんなのいやっ!」
 千野の声が講堂にこだました。
 「谷津課長!負けてはいません。だって……だって…主犯を逮捕したのはうちでしょう…爆弾製造工場だって…立件したではないですか…負けたのではなく勝ったんですよ…さきぼど…警視庁から連絡があって、日本で初めて振り込め詐欺の北朝鮮グループを摘発したということですよ…だから…負けたのでありません…絶対に…勝ったのですよ。そう思いましょうよ。ねえ…みんな!」
 谷津はうつむいて言葉をなくしている。坂田も石井も千野も星川も初めて経験した事件だった。

   □  □
 久しぶりに自宅に帰った影虎は翌日、康子と朝食をとっていると携帯が鳴った。画面を見ると警視庁の代表番号だ。公安部長の瀧沢敏夫からだった。
 「虎ちゃん、きょう来てくれるかな」
 「来いということでしょう(笑い)。伺いますよ」
 こう冗談を飛ばして公安部長室に着いたのは午前十時を少し過ぎていた。瀧沢は部長会で不在だったが十五分ほどして帰ってきた。
 「やあ~やあ~虎ちゃん。来てくれてありがとう」
 影虎とともにソファに座る瀧沢が話し出した。
 「先日、君が痛めつけたイスム・ムハンマド。これがまた凄い奴だったよ…ありがとう」
 影虎は瀧沢の話の内容が今ひとつ理解できなかった。
 「奴さんは君に叩きのめされて虎ノ門病院に一か月ぐらい入院していたんだよ」
 「あれはやりすぎでした」
 「いゃいんだ。所轄は君に対する殺未(殺人未遂)でやってるようだが、それは任せて我々は病院に張り込んだ。そうしたら二人の男が病室に何度も出入りしているので、そいつを付けたんだよ」
 「もしかして茨城県だとか…」
 「う~ん違う。なんと蔵前にあるビルの中に拠点のような部屋があった」
 影虎は「蔵前のビル」と聞いて尹日好を尾行したあのビルかもと思い出した。
 「蔵前駅の西側にある八階建てのビルですか」
 「そう。二人はその五階の部屋に出入りしている。君が麻布に『アルカイダだから本部と協力しろ』と言ったと言うので、我々は新たな拠点ではと思い、ガサ(家宅捜索)かけたんだよ」
 「容疑はあったんですか?」
 「容疑?刃物を持って君を襲ったというただそれだけでだ」
 「よく(捜索令状)降りましたね」
 「まあな。そうしたらとんでもない物がで出来たんだ」
 瀧沢はそう言って机の上にあるファイルからA4の紙、数枚を取りだして影虎の前に置いた。
 「この図面は次の東京オリンピックに向けて国立競技場の改修構想の図面だよ」
 確かに影虎が新聞で見た、あの開閉式競技場の設計図と完成予想図のカラー写真まで付いている。
 「これは!」
 影虎は絶句した。
 「そう、東京建築士会が作成した図面だよ。それに…」
 と言って瀧沢が示した次の図面は羽田空港から都心までの地図だった。その地図に線が引かれていた。
 「これは、JR東日本が都に提出した新たな路線図だよ」
 「利用者増も予想されることから空港と都心を結ぶ路線ですね」
 「そう」
 瀧沢はさらに別の図面を示して言った。
 「これは日本テニス協会がオリンピックに向けて有明テニスの森公園の改修計画図のようだ」
 「まだ計画の段階ではないですか…どうしてこんな物がリアルに入手できるんですかねえ」
 「アルカイダ組織はとんでもないルートを持ってるんじゃないのかと我々は見ているんだ」
 瀧沢は聞いてきた。
 「教えてほしいんだが、ムハンマドとは何処で接点があるのかね」
 「奴は茨城県の日立市で運送業をしているころ、二十年ぐらい前になりますが、筑波大学の助教授が殺害される『悪魔の詩』事件があったでしょう。あの事件で自分が担当した人物の一人ですよ」
 「悪魔の詩」事件とは、殺害された筑波大助教授の翻訳本で、イランの最高指導者のホメイニが「悪魔の詩は反イスラム的」だとして発行に関わった人物に死刑宣告を行ったことなどイラン国の内情を暴露したものだ。捜査線上にバングラデシュの大学生などが浮上したが結局は事件解決には至っていない。
 この時、CIAは「イスラム革命防衛隊」の犯行説をとっており、日本国内では「チヨダ」が極秘に動いていた。影虎もそのメンバーとしてイスム・ムハンマドの行動確認を担当した。五か月という長期間に及ぶもので連日、尾行、張り込みの繰り返しだった。
 瀧沢は思い出したようだ。
 「あれか…そう言えばチヨダに任せたような気がするなあ…」
 「それより部長、なんでこの時期にムハンマドが自分を襲ってきたか分からんのですが…なんか言ってますか?」
 「うちは直接事情聞いていないので分からないが、君のことで麻布の警備課長が報告で来た時に、『自分が追われている』と思ったと言っているそうだ」
 「それか…確かに、あのビルに北朝鮮の尹日好を追いかけて何度か行っていたんですよ」
 「えっ、君はこの件で追いかけていたんじゃないのか?」
 「それだったら報告しておきます」
 「まあ、偶然とは言え、結果が良ければ良しとしないと…」
 そして瀧沢が続けた。
 「せっかくここまできたんだから、アルカイダへの漏洩ルートを解明するまで極秘で動こうと思っている。そのつもりでいてほしい。君のことは総監にも報告をしてある」

 振り込め詐欺北朝鮮グループを初の摘発 
 そして縦に四段見出しで二本
  日本の暴力団も関与
  被害総額は百億円超か 警視庁
 警視庁は遺族年金機構の名を騙り、全国のお年寄りからお金を騙し取っていた東京朝鮮商工総連合会(前在日朝鮮人総連合会)の職員の男と日本広域暴力団・住吉会系山本組組員六人の計七人を逮捕。東京朝鮮商工総連合会と山本組事務所など八カ所を家宅捜索した。被害者は東京をはじめ茨城、神奈川、静岡、岐阜など一都八県に及び、被害総額は百億円以上になると見られ、裏付け捜査を進めている。
 逮捕されたのは総連関係者で東京都港区高輪台在住の尹日好容疑者(四一)。山本組組長で世田谷区在住の山本健一郎(五四)、同組組員の伊東純夫(四七)容疑者ら七人。
 調べによると尹日好容疑者らは新宿区大久保に事務所を借りて今月の八日、静岡県静岡市清水区の無職、女性(七一)に「遺族年金機構だが支払いに不足金があるので確認したい」と持ちかけ、ATMから預金の全額五百六十四万八千二百二十五円を振り込ませた疑い。
 預金の残高の数字を出させて、「その番号があなたを特定する番号だ」と言って同じ数字を入力させるため、預金の全額が相手口座に振り込まれてしまうという新たな手口。預金の全てを持って行くことから捜査員の間では「根こそぎ詐欺」と呼ばれている。
 
 その原稿を受ける形で新宿の揚州銭庄東京支店の摘発記事が掲載されている。毎朝新聞と東京日々は一面扱いとなっているが他の新聞も社会面見開きなど破格の扱いだった。
 「尹日好が捕まってしまったか…これで水の泡と消えた人間関係…恋人に裏切られた思いがするなあ」
 そう思いながらも北朝鮮とアルカイダの接点が見えただけでもひとつの収穫だったと納得する影虎であった。
 これまで「全体的に事件捜査の失敗」と思っている影虎だったが、この記事は読めば読むほどに涙が出そうになってくる。
 「うん、やった!良くやった!」
 思わず大声を出してしまった影虎に康子が驚いて駆けつけた。
 「どうしたの…」
 「うん…なんでもない。仕事の話だ」
 「もう起きたら、八時半よ」
 こんな最中に総連の資金調達部門を警視庁が見事に摘発してくれた。嬉しくなった影虎はつい国木田の携帯を呼んでしまった。
 「情報官!新聞見ました。警視庁がやってくれましたよ」
 「そうだな。昨夜、刑事部長から報告を聞いて涙が出て眠れなかったよ」
 「振り込め詐欺に北朝鮮が絡んでいただけでもショックですよ。それに情報官、記事の中に尹日好とありましたね、あれが…」
 「分かっている。虎さんが割り出した奴だろう。もうひとつの顔が丹東交易の社員だった。それで取り込もうとしたわけか…」
 「それが警視庁に持っていかれたわけですよ…」
 「それは残念なことをしたね」
 「ほぼ落ちていただけに…残念で…」
 影虎が唇を噛むのを見た国木田が言った。
 「あっ、それからついでで悪いんだが、例の高飛びされた韓国の工作員の趙自成は済州島に行ったという情報が瀬川さんから寄せられた。その先は分からないらしい。いずれにせよ赤手配なので国外にでれば逮捕できる」
 そしてこう続けた。
 「赤手配は政府の方針だ。工作員にとって赤手配は厳しいものだと思うよ…」
 赤手配とは国際手配のひとつである「国際逮捕手配書」。犯罪人の引き渡し条約に関係なく事件を起こした国に強制送還されるもので、このほかには国際情報をとるための青手配や黄手配など七項目ある。
 「韓国は協力しないのですか?」
 「昨日朝、官房長官が在日韓国大使を呼んで伝えたらしいが、難しいかもしれないと言っていた。なにしろ、あの国の諜報員は殺しの権限も与えられているらしい。そうなると政府間交渉でも無理だな」 
 そして最後にこう伝えた。
 「虎さんな…例の浜岡原発の爆破計画だが…総連のガサで出た資料の中には業者用の作業工程表があった。工程表には担当者名が書かれており、その名は李南哲。それで警視庁公安が掛川市の奴の部屋を捜索したらダイナマイト五本を使った時限装置付き爆弾を発見した」
 「北とアルカイダとの繋がりは?」
 「いや、それは外事と組対でやっているので時間がかかる。とりあえず爆破計画の部分だけをきょうの夜、発表する」
 影虎は、国木田のこの話を聞いて「捜査の成功」を確信した。

 浜岡原発爆破計画も明らかに
 自衛隊基地爆破事件の世紀塾関係者を再逮捕へ
 時限装置付き爆弾も押収
 警視庁は二十七日、浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)の爆破を計画していたとして防衛大飛翔弾事件と自衛隊朝霞駐屯地爆破事件で逮捕した世紀塾の塾長、金哲秀容疑者(六二)ら二人を再逮捕。御前崎市内の同原発内にあるクレーンなどの保守管理業、駿河興業と同社の社員宅を家宅捜索した結果、時限装置付きのダイナマイト爆弾を発見。押収した。
 浜岡原発爆破計画で警視庁は、宮城県警とともに爆破に使用する予定だった飛翔弾を押収しており、我が国で暗躍している北朝鮮工作員の全容を解明したいとしている。

 同時に各紙は関連として次のような原稿を掲載している。
 
 自衛隊爆破事件は被疑者死亡で送検
 朝霞駐屯地と防衛大卒業式当日のそれぞれの爆破事件の埼玉県警捜査本部と神奈川県警捜査本部は神奈川県横須賀市に住んでいた猪俣三郎こと北朝鮮人の職業不詳、崔永男容疑者(三九)を実行犯と断定。既に殺害されていることから被疑者死亡で送検することにした。
 崔永男容疑者は防衛大事件で飛翔弾発射の部屋の借り主であること。同部屋から当人の指紋が検出されたこと。朝霞駐屯地の爆破事件では爆発と同時刻に崔容疑者が所持している携帯で起爆装置に電話を架けていること。
 さらに事件前日には埼玉県狭山市内の旅館に宿泊した際に犯行時に着用していたと見られる自衛官の制帽を所持。事件の約一時間前に西武新宿線朝霞駅の防犯カメラに制帽を持った姿が写っていたことなどが決め手となった。

 爆弾製造工場発見、北朝鮮による振り込め団の摘発、そして浜岡原発爆破計画の摘発と爆弾事件の被疑者の送検…
 この結果、宮城県の松島航空自衛隊基地爆破事件のみが未解決で捜査本部が縮小されることになった。(つづく)

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