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2014年1月29日 (水)

小説 防諜「テロリストを捕捉せよ」その1

   プロローグ
     1
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 「やあミスタータイガーお帰りなさい」
 日本語とはイントネーションが違う言葉で迎えられた影虎。ここは東京・西麻布二丁目のセントラルビル地下一階にあるバー「レッドローズ」。開店時間前とあって店内にはこのバーのマスターでアメリカ人のデビット・ジョンソンひとりだけだった。
 すらりとした一八七㌢はある長身。茶髪で僅かにウエーブのかかった髪。ギョロリとした目に顎が細くて堀が深いバランスのとれた顔は、あのアメリカ映画「ハンター」や「荒野の七人」に主演したスティーブ・マックイーンに似ている。
 木製のドアを開けて入ると黒を基調とした店内に琴の名曲のBGM「六段の調べ」が流れている。十人が座れるカウンターに四人がけのテーブル席が五席あった。
 六本木通りを挟んで南側にはギリシャ大使館やルーマニア大使館、ウクライナ大使館など在日大使館が多く、アメリカやイギリスなど欧米の大使館員も含めて世界各国の大使館員の〝隠れ家〟的な存在になっている。
 ただ違っているのはデビット・ジョンソンはCIA(アメリカ中央情報局)の秘密諜報員であることだ。顧客はそんな事は全く知らない。影虎は警視庁警部・明智勇、五十三歳。二人は影虎が「ゼロ」に在籍した時からの知り合いである。
 「ゼロ」とは「チヨダ」の分身。「チヨダ」は警察庁警備局警備企画課の裏組織として存在した。国内で共産党などの見張りや政府転覆を謀る組織の監視、情報を収集する公安警察だ。
 責任者は人事記録にも載らない「裏理事官」としてキャリアの警視正が配置されている。日本国内にいる様々な職業の協力者の管理のほか警視庁公安部をはじめ全国の都道府県警察にいる作業班(刑事)の指揮官でもある。
 その「チヨダ」は神奈川県警管内で日本共産党幹部宅盗聴事件が発覚して社会問題になり廃止になった。それ以降は「ゼロ」と改名され現在も裏活動を続けている。
 影虎とジョンソンは二〇〇一年九月十一日のアメリカ同時多発テロ事件で知り合ったカウンターパートだ。
 テロ事件の一か月前にアルカイダの人物数人が成田空港からアメリカに向かったという情報により、日本国内での足取り捜査のため来日したジョンソンに、警視庁公安部の影虎が警察庁の要請で捜査に協力した。
 アメリカは同時多発テロ事件以来、テロ対策の最重要課題としているのがアルカイダ対策。アルカイダは日本をはじめフランスやイギリスなど世界各国にメンバーを配置し、その国の組織などと連携したテロ組織の拡大を図っているとして、日米の捜査当局が警戒を強めている。
 ジョンソンはアジア担当で日本語が流暢なことから、影虎とは息が合った。同時テロ事件の翌年には日本駐在の秘密情報員となって来日。以来、影虎とは情報交換を密にしている。
 レッドローズはアメリカはデトロイトのゼネラルモーター関係者が経営していると言われているが定かではない。ジョンソンは〝隠れ〟マスターで一か月も二か月も行方不明になる時がある。
 ジョンソンは影虎の虎の文字をとってミスター・タイガーと呼び、影虎はジョンと呼ぶ間柄だ。
 「暫くでした。儲かってまっか…」
 この挨拶は二人の間では「仕事は順調に進んでいるか」という意味が込められた〝共通語〟だ。
 「暇していた時だけにジョンの電話に水を得た魚みたいだよ」
 「ミズヲエタウオってなんだ?」
 「仕事ができるので生き生きとしているということだ」
 ジョンソンは両手を広げて首を傾げ、戯けのポーズをとった。
 「オーノー…日本語は難しいな」
 そして続けた。
 「きょうはタイガーにご褒美をあげようと思って呼んだのだ」
 ジョンソンはカウンターの後ろにあるカバンから資料を出して影虎に説明を始めた。
 「我がCIAが今年一月にボストンでアレクスという男を逮捕した。フランス国籍だがアルカイダのメンバーだった。青い目の男と呼ばれていた」
 ジョンソンはそう言って一枚の写真を影虎に渡した。それは二人の男のポーズ写真だ。撮影場所はアメリカ国内の港のように見えた。
 ジョンソンは、髪は茶色でギョロッとした目と茶色の太い眉が接近、堀の深い顔立ちの男を指さして話し始めた。確かに青っぽい目をしている。
 「この男が逮捕したアレクスだ。彼は新潟というところが発行した外国人登録証を持っていたんだ。そして日本製の携帯電話を持っており、頻繁に連絡していた相手の番号がある。所有者の名前が分からないが080・139×・×5××と090・875×・6×××だ。情報として提供する」
 頷く影虎にジョンソンはさらに続けた。
 「中でもアレクスと090・875×・6×××との通話内容はTNT火薬だ」
 「えっ」
 影虎は驚いた。これは重要な情報になると思った。
 「分かった、サンキュウだ。その番号を調べたら報告しようか?」
 「我が国に関係ある情報なら必要だが、君たちの国の関係なら報告は要らない。自分の国は自分で守ることだ」
 今度は影虎がジョンソンに確認した。
 「ちょと助けてほしいんだ」
 「ヘルプだと!」
 「そうだ。イスラム過激派のラジム・ユセフが本国に引き揚げて別の男が代わりに配置されたという情報があるが、その情報入っているか?」
 「それはジャマン・ナマンガニという男だろう。ナマンガニとユセフが交替しただけでなく増員されたという情報もあるぞ」
 ジョンソンは拭いていたワイングラスを置いて、後ろの棚に置いてあったバッグの中から今度はタブレットを取り出して画面の写真を示しながら言った。
 「ジャマン・ナマンガニ。この男だ。三十八歳。アルジェリア系フランス人と聞いている。身長は小柄で百七十㌢ぐらいだ」
 タブレットの写真の男は、東洋系というよりはヨーロッパ系が入っている人相だった。眼が窪んで鋭く、黒くて太い眉。黒いあごひげがある。
 「この男は両腕にタトーを入れているのですぐ分かるはずだ。我々は日本国内にはアルカイダの工作員が十一人いると見ているが把握しているか?」
 「東京、大阪、茨城、新潟、福岡など十人のポジションは概ね把握しているが連中の動きが激しい」
 「我々も正確に把握していないが、アルカイダの動きが慌ただしくなっているから注意することだ」
 「日本でか?」
 「ノー、東京だけでない。ワシントン、ニューヨークやロンドンでもだ。東京にニシカマタというところはあるか」
 「大田区にあるが…」
 「そこにタカベセイサクショというところがある。何かのマシーンを作っている会社だ。しかもそれはプレシャス(精巧)なものだ。警戒するならそこだ」
 「ありがとう。大変参考になった」
 「聞きたいことがある。ギブアンドテイクだろう」
 そしてジョンソンは北朝鮮の金哲秀(キム・チョルス)の名前をあげた。
 「今何しているか知りたい。最近彼はメルアドを変えたのか情報が入手できなくなった」
 「金哲秀は二年前に大阪総連にいたが今は、北区王子にある東京総連合会の幹部だ。一部情報では工作員の束ね役という話も出ている」
 「タバネヤクってなんだ。千代田区にある在日北朝鮮総連合会と違うのか?」
 「失礼、キャプテンだ。ビルの売却問題の時に名前を変えて引っ越した」
 「オーケイ、サンキュウ」
 「なぜ?そんなことを聞く?特別の情報を持っているのか?」
 「我が国は日本の普天間以上に、対中国と北朝鮮の作戦上で重視しているのがサウスコリア(韓国)へのオスプレイの配置だ」
 ジョンソンの説明によると韓国も済州島の海軍基地のあるビレッジ・カンジョン(江汀村)へのオスプレイ配置を希望しており、米・日・韓の合同軍事演習の要にする方針だという。
 韓国内では計画段階で基地建設に大きな反対運動が起きたことから、韓国政府はオスプレイの配置の実現に向けて在日韓国大使館に国防部の特使を派遣、日本国内におけるオスプレイの反対運動への対処方法などの情報を収集していることを明らかにした。
 そしてこんな情報も漏らした。
 「金哲秀はわが国が極東対策のため配置したオスプレイの情報を入手しようとしている。オスプレイは君たちの国にとってもノースコリア(北朝鮮)やチャイナ(中国)に対する軍事抑止力として大事な戦力のはずだ…」
 さらに続けた。
 「ここが大事だ。ノースコリアはミサイルで攻撃するポーズをとっているが、ミサイル攻撃のような外的な攻撃ではなく、その国の内部に潜み、内部を攪乱する戦略をとるように変化しているのだ」
 「そうすると国内での対策を変える必要があるな…」
 「そうだ。既にサウスコリア(韓国)では国家情報院が国会議員を逮捕している。ノースコリアの工作員の言いなりになって地下組織を結成していたんだ」
 ジョンソンの独演会になってしまつた。
 「その議員は秘密集会まで開いていたという。ノースコリアは韓国の石油施設、火薬工場、通信施設の爆破計画までしていた。これからはアルカイダと合わせて注目していかなければならない」
 さすがCIAである。影虎は心配になった。
 「金哲秀は日本国内にいる北朝鮮の土台人およそ五千人のキャプテンとなればその情報は放置できないな」
 「ドダイニンとはなんだね」
 「ファンデーションだよ。この呼び方は韓国の工作機関が使うもので、北朝鮮の諜報・情報部機関が日本に潜入する際、対日工作活動の土台、ファンデーションとなる人間だよ。この土台人は特別永住者、つまり在日朝鮮人の場合もあれば、その二世。あるいは日本人と結婚するなどして帰化した人物もいるんだ。拉致事件ではあの辛光洙(シンガンス)のように拉致した者になりすまして入国した不法入国者もいる。日本はスパイ天国だからな」
 「だから日本はアメリカのようなNSC(国家安全保障会議)の設立を考えているそうだな」
 「ようやくだ。間もなく政府が発表する」
 「イギリスではSIS(秘密情報部)、韓国でさえANSP(国家安全企画部)を持っている。ミスタータイガーのところは国家レベルの諜報機関を持たない。これで、ようやく世界のレベルに達するな」
 ここまで話した時、ジョンソンは、口に人差し指を当てて「黙れ」のポーズをとった。 
 ドアが開いて一人の女性が入ってきた。
 「おはようございます」
 まるで芸能界のような挨拶だった。
 「うちのフロアレディだ。ベトナム国籍だよ」
 「ホステスは何人いるのか」
 「日本人以外では彼女のほかにタイ、フイリピン、ベトナム、スリランカ人と全部で五人いるぜ!」
 「よく東南アジアばかりを揃えたものだ。アラブ人はいないのか」
 「いたら最高だが残念ながらいない。彼女たちは介護の資格をとるため来日している専門学校生だ。勿論、就学ビザだから心配するな」
 「分かった。ありがとう」
 椅子から立ち上がる影虎を見てジョンソンが言った。
 「ミスタータイガー、一杯飲んで行くか?」
 「ノーサンキュウだ。その時は改めて出直して来るよ。グッバイ…」
 ジョンソンは手を振りながら「グッドラック」の言葉を返した。
 
      2
 影虎とジョンソンがカウンターパートになったのは、互いに正義がまかり通る社会にすることだ。そのために二人は「悪は消え去るのみ」という信念を持っている。
 影虎の本名、明智は新潟県出身で早稲田大学を卒業している。卒業後、民間企業に就職したが理不尽な上司を殴り飛ばして退職。二十九歳で警視庁警察官を拝命してから二十四年になる。
 「正義」という名の塊のような明智の初任地は上野東署。その時の地域課長が国木田だった。
 国木田龍夫。東大法学部を卒業して警察庁に入庁したキャリア。警備・公安畑を中心に歩き、今や公安のエキスパートだ。
 明智は上野駅東口の交番に勤務していた時、同じ田舎出身として親しみがあったから、上野駅に降り立つお年寄りの手を取り案内するなど親切なお巡りさんだった。
 この仕事熱心さが認められ、留置管理を経て三年で生活安全課の刑事に抜擢された。持って生まれた信念は絶対に「悪を許さない」。
 当時、DV(夫婦間暴力)やストーカー事件が社会問題になっており、明智は、弱い立場の女性に対する性的な犯罪などには〝物の怪〟にとりつかれたように異常なまでの執念を燃やす。
 台東区内で一人暮らしの女性ばかりが強姦される事件が相次いでいた。明智は、非番のときの張り込みで、リクルートスーツを着た女性の後を追う不審な男を発見。
 追尾すると女性は台東区谷中のアパートに入った。男もこれに続いた。まもなく女性の悲鳴が聞こえた。逃げてくる男が明智と鉢合わせになった。
 明智は足払いをかけて路上にねじ伏せると腕をひねりあげ、左足で顔を地面に押さえつけ手錠をかけた。
 アスファルト地面に足で顔を押しつけたことで被疑者の顔に擦り傷ができてしまった。
 乱暴な逮捕と非番の日に手錠を持っていたことで署長から厳重注意を受けたが、男は強姦魔で、被害女性は二十人を超えており、その犯人の逮捕は大きな功績となり不問に付された。
 そして二か月後。明智が当直の日だった。女性が「助けて下さい…夫が家で暴れています」と署に駆け込んだ事犯で明智は、女性の自宅に向かい、暴れる夫を柔道で投げ飛ばして逮捕している。
 投げ飛ばされた男は腰の骨を折る重傷。明智の柔道二段、剣道三段の腕前が災いした逮捕行為が問題とされ、厳重注意の懲戒処分を受け世田谷区の山の手署に異動になった。
 パトカー勤務となった明智は、警察学校時代に習得した「見当たり捜査」技能をフルに生かした職務質問を徹底。百件以上も余罪のある泥棒を職質で捕まえるなどの好成績を上げ、一年間で総監賞を五本も受賞した。
 ところが持って生まれた気性は変わらなかった。
 暴走族全盛の時代である。パトロール中にジグザグ運転の数台の暴走族のバイクを発見した。警察を威嚇する行為に激高した明智はパトカーをオートバイにぶっつけけん銃を抜いて威嚇して制圧した。
 横暴な行為に警察官失格として東京都庁の防災課に飛ばされた。
 心にダメージを受けている時に定年間際の防災課長から紹介されたのが神奈川県出身の都庁職員、大谷康子、二十六歳だ。
 防災課長は国木田の友人。明智は「仕事に対する意欲は長所でもあるが短所でもあり二面性を持った人物」だと国木田から知らされていた。そして防災課長は明智をこう諭した。
 「君はもう三十歳を過ぎた。正義の味方の警察官としては素晴らしいが、これからは一歩、大人になって平静に物事に対処すべきなんだよ。悪は処罰されるのは当たり前だ。だが、それは法が裁いてくれる。君は常に平常心を保って、罪人ではなく罪を憎み、止むを得ず罪を犯した人の心を読みとり理解し、悪の心を諭してやるような余裕を持て」
 心にゆとりを持つためには生活にゆとりが必要だ。そのために家庭を持ったほうが良いと諭されて康子と結婚した。
 今は杉並区荻窪の自宅には四十八歳の康子と二人暮らしだ。長男も長女も結婚してそれぞれ別居して家庭を持っている。
 この暴れん坊・明智に渾名(あだな)を付けたのは国木田だった。国木田は戦国時代の武将、上杉謙信に心酔しているうちの一人だ。
 武田信玄と戦った川中島の戦いでは、待ち伏せ作戦や偽装作戦をとる武田軍に対し、少ない兵力で勝利した作戦を国木田は人生の教訓として警察官の道を選んだ。
 武田信玄に真っ向から挑んでいった上杉謙信の別名は長尾景虎。「人のふみ行くべき正しい道筋を重んじる」という人生観を持っていた信玄を国木田はたまらなく好きなのだ。
 これに対して正義感にやたらと凝り固まった青年刑事・明智の性格。鋭い攻撃力。他人との融合性の特技丨
 国木田はそんな明智に将来の期待を込めて「かげとら」と呼ぶようにした。長尾景虎の「景」に変わって「影」の字を付けたのである。「景」が「影」になった理由は、表舞台で活動するのには性格が個性的過ぎることから本人ではなく影武者の「影」という意味が込められている。ただ、この人物の大きな特徴は、興奮すると「どもる」のである。誰が付けたか別名は「どもりの虎」。どもりは感受性の強い人がなりやすいと言われており影虎の人柄である。

   自衛隊基地爆破事件
        3
 稲妻のような閃光と地響きを伴った爆発音が宵闇の静寂を破った。空気中の水分を全て吸い取るような白い粉塵が辺りを覆い街灯の光を遮断、一瞬だが暗闇に包まれた。
 爆風は静まり返った深夜とあって百㍍離れた民家の窓ガラスを叩き、付近の住民に東日本大震災の時を思い起こすに十分な衝撃を与えた。
 「航空機が爆発したのでは?」
 基地の当直主任をしていた藤井は本館を飛び出し格納庫の方向を確認した。なんの変化もなかった。確認するように今度は、身体をゆっくり回転させた。
 「あれだ!」
 藤井に続いて隊舎を飛び出した二等空曹が指さした方向を見た。視線の先は基地の正門。白い粉塵が舞っている。
 「藤井班長!行きますよ」
 数人の若い空曹はかけ声と同時に現場目がけて走り出した。一人は携帯で一一〇番通報しながら走っている。藤井もこれに続いた。何があったのか瞬時には理解できなかった。正門の警衛所からの連絡も入っていない。
 正門まではゆうに百㍍はある。途中まで来た時サイレンの音が聞こえてきた。その音量は次第に大きくなっていく。
 「交通事故にしては粉塵が多過ぎる…爆発しそうな物はないのだが…」
 藤井の頭は混乱した。白い粉塵も治まりつつあった。
 さらに近づくと警衛所の北側と東側の壁がほとんど崩れ落ち、南側のガラスは全て割れている。僅かに西側の壁と鉄の柱が残っているという無惨な姿だった。
 北東の近くにある六角形の赤煉瓦門柱の一部のタイルが落ちてコンクリートがむき出しになっている。
 次々に到着する消防車や警察のパトカーの赤色灯の照明に浮かびあがる無惨な光景を目の前にした藤井の足がすくんだ。
 この光景に藤井が感じたのは「爆弾テロかも?」と思う一方で「なんでこんな時間なのか?」と疑問を持った。
 この警衛所の建物は昭和五十年代に建てられたもので、クラシックタイプのコンクリートボードが壁材料に使われている。鉄骨コンクリートでないため壊れ方が激しいが、赤煉瓦の門柱の表面の格子柄のタイルを見ると爆発物の威力が想像できた。
 門柱に掲げた重さ六十㌔近くもある銅板の門標が地面に落ちている。緑青の出た銅板に「航空自衛隊松島基地」の金ピカ文字が輝き、歴史的な重厚さを感じさせるもので、基地を訪れる観光客の記念写真の背景に使われていた。
 警衛所の北東隅の建物の外にあった掃除道具などを入れるアルミ製の箱が体をなしていないほどぼろぼろになっている。
 藤井は腕時計を見た。午後七時を過ぎたばかりだ。僅かだが西の空に明るさが残り、新月が何事もなかったように下界を見つめていた。
 「道具箱付近が爆心地かな?」と藤井は直感的に思った。
 火が出でいないため消防車の放水がない。おかげで、砕けたコンクリートボードの粉塵が時折吹く海風にブリザードの様に地面を這う。火薬の匂いと合わさって容赦なく鼻や口から入り込んでくる。
 基地内には隊員たちが集まり、不安げに眺めている。基地の前を通る道路は交通規制されているものの、野次馬が集まりだし、警察官が整理に追われていた。
 この日の警衛は警務隊員で空尉の小坂登喜雄。午後六時から一人体勢になっている。藤井は小坂を捜した。発生時の状況を聞くためである。しかし、どこにもその姿は見えない。
 基地内待機班の警務隊員も到着。敬礼を受けながら藤井が指示した。
 「凄い爆発のようだが、小坂空尉がいないんだよ。探してくれないか」
 小坂一等空尉は現場の直近にいた者として警察の聴取の前に事情を聞かなければならない人物である。状況を聞いた後で幹部に報告する予定だ。指示を受けた隊員の一部は損傷の激しい警衛室に入った
 松島基地のトップは第4航空団司令兼松島基地司令で空将補の野見山孝一。就任したのは一年前だった。
 航空自衛隊の階級は空将の下に空将補、一等空佐から三等空佐、一等空尉から三等空尉、曹長がいて下に一等空曹から三等空曹、准尉、士官などと続く。藤井辰夫はその中の二等空佐できょうの当直の班長だった。
 松島基地は東松島市に所在し、ブルーインパルスで全国的に知られているが他に救難隊や気象隊も同居する。保有する航空機もブルーインパルス用のT丨4から戦闘機のF丨2、救難機のUH丨60Jなど多種にのぼる。
 藤井が小坂の顔を見たのはこの日の夕方。当直任務に着くという報告を受けた。そんな思いをしていたその時、ただならぬ声が警衛室内から聞こえてきた。
 「藤井班長!ここです。建物の中にいました」
 声の主は門柱付近にいた警務隊員だ。異様な叫びに警察、消防隊も一斉に注目した。
 藤井が駆けつけると室内は崩れ落ちたコンクリートの破片やガラス、机や椅子が散乱している。
 壁近くの床は、瓦礫から浸みだしたような水液で真っ赤なに染まっている。コンクリート片の隙間からグリーンの布が僅かに見える。制服だ。
 藤井が近づくと生臭い匂いが鼻を突いた。まぎれもなく人間の血の臭いだ。藤井は布を覆っている瓦礫を丁寧にひとつずつ取り払った。覆っている瓦礫の数が少なくなるにつれて布は次第に丸みをおび、人の形になっていく。
 赤く染めていたのは人の血…おびただしい量である。藤井の瓦礫を取り除く手は真っ赤に染まった。藤井は心の中で祈った。
 「そうであって欲しくない」
 瓦礫の量が無くなると同時に絶望感に変わった。それはまぎれもない制服を着た人だった。
 「おいっ小坂!」
 藤井は大声をあげながら、身体を覆ったさらに細かな粉塵を払い、うつ伏せになっている身体の右肩を上に横向きにして顔を確認しようとした。胸にあるワッペンが見えた。「AP」と金文字で刺繍された基地警務隊のワッペンだった。
 「しっかりしろっ!小坂」
 それは絶叫に近かった。無駄と分かっていても自然に出てしまうのだ。小坂を取り囲む他の警務隊員も同じだった。
 「小坂!何があったんだ !」
 隊員のすすり泣く声…
 小坂は白地の腕章が付いた腕と右足の骨が粉々に砕けている。後頭部が潰れ、頭の髪は血糊でべったり。顔もグチャグチャで人相すら分からない。
 「小坂!辛かっただろうなあ…」
 藤井と警務隊員は遺体の前に跪き、両手を合わせ冥福を祈った。あまりにも無惨な姿に藤井は涙が止まらなかった。嗚咽が止まらない隊員もいた。藤井の左肩がたたかれた。
 「基地の方ですね。ここは立ち入っては困ります。外に出て下さい。何にも触れないで下さい」
 かなり威圧的だった。
 「東署の者ですが、事情を聞きたいので司令車まで来て下さい」
 「わかりました。私は基地を管理する警務隊の責任者です。その前にこの状況を幹部に報告させて下さい」
 「電話でしたらうちの車の中にありますが…」
 「いや、携帯がありますので結構です」
 藤井は緊急連絡用の電話番号を押した。野見山は四回のコールで出た。
 「今夜の当直の藤井です。夜分に済みませんが…」
 ここまで言った時、野見山の怒鳴り声が藤井の鼓膜を突いた。
 「臨時ニュースで知ったよ。なぜもっと早く連絡できないんだ。現場はどうなっている」
 「正門の守衛室と門柱の損傷が激しく、鋼鉄製の門扉は形をなしていません。なにかが爆発したためと思われます。警衛の小坂空尉が遺体で見つかりました」
 「機体には異常がないんだな」
 ないという報告を聞いた野見山の声が落ちついてきた。
 「隊員の死より機体が大事なのか」と藤井は憤りを感じた。
 「私はこれから警察の聴取を受けますので…」
 藤井は携帯を折りたたみながら、警務隊員には駐機場、格納庫を中心に基地内の見回りの強化を指示。警察車両のワゴン車に向かった。先ほどの私服刑事がスライド式ドアを開けて待っていた。
      4
 基地を管轄する松島東署に宮城県警本部警備部長の石井久が到着したのは発生から一時間近くが経った午後八時前。刑事部長の坂田憲男、捜査一課長の谷津茂助も前後して着いた。
 三人は署長室で署長の千野亮子から報告を聞いた。千野の報告する声が震えている。千野は東大法学部卒で一九九六年(平成八年)警察庁入庁組のキャリア。
 警視庁万世橋署の刑事課長を振り出しに東京湾岸署の副署長、内閣府に出向し男女共同参画局ではDV(夫婦間暴力)法の誕生に活躍し、宮城県警では初めての女性警察署長に迎えられた。半年前の春の人事異動で就任したもので、県警本部長の大久保純三が刑事局の審議官をしていた時の捜査一課の理事官だった。
 「ご苦労様です。今のところ第一報ですが、松島基地正門付近が爆破されました。この爆破で正門の警務隊員がひとり死亡しました」
 石井が質問した。
 「当時、現場には何人の隊員がいたんだ?」
 「はい。当直体勢に入っており、いたのは警務隊員一人でした」
 刑事部長の坂田は定年まで残り四年。退職前にこんな大きな山に当たるとは思ってもいなかったようだ。
 千野が二人を現場に案内することになった。用意した所轄のワゴン車に三人が乗り込み、谷津は車載電話付きの一課長車で後ろに続いた。
 車内で坂田が警備の石井に問いかけるように話した。
 「殺しで帳場(捜査本部)立ち上げるしかないかなぁ」
 石井は坂田より二歳年上である。
 「馬鹿言うなよ。敵は爆弾使ってるんだろう。しかも対象が自衛隊だぞ。こっちがやるしかないだろう」
 間を置いて石井。
 「そうかも知れんが…殺しから入るのが順当なような気がするな…」
 坂田は、捜査本部の主体を刑事部にするか警備部にするかの判断材料にするため石井の反応を見たのである。石井は現在の公安情勢の説明を始めた。
 「九条を改正して自衛隊を軍隊と名乗る案に反対している集団が多いんだ。しかも日本革命同盟から法律家の集まりや原水爆に反対する団体など左翼系の連中。さらにネット検索すれば分かるが一匹狼的な思想家までいる」
 石井の説明が続く。夜中の道は空いておりサイレンの吹鳴をやめて赤灯だけで走行。現場まで十五分とかからなかった。
 車を降りた刑事部長の坂田が捜査一課長の谷津に声をかけた。
 「谷津君、どうだろう。この山は警備に任せようと思っているのだが…」
 谷津は県南の蔵王の麓の農家に生まれた三男坊。農業高校卒のたたき上げで捜査一課長まで上り詰めた職人である。
 子供のころから異常なまでに正義感が強く、警察官の道を選んだ。拝命以来、刑事一筋に通してきた〝刑事(デカ)〟野郎だが頑固さは筋金入りだ。
 「刑事は職人。血反吐がでるまで地べたを這いまわるのが捜査だ」という〝徒弟制度時代〟に鍛えられた刑事である。それだけに組織捜査や科学捜査の時代と言われる現代に戸惑いを感じている。
 機動捜査隊員の時代から〝探偵〟が大好きで、仙南地域で発生した連続放火事件の時は、一週間近くもゴミ箱に隠れたり、農産物の窃盗事件では農作業員に変装して張り込みを続けて犯人を逮捕するなどの武勇伝がある。
 東北訛りは県警一と言われ、身長は一六〇㌢台で警察官の中では小柄だが、その分、声が大きい。
 「ずかん(時間)からすっとこれテロでねえべ。殺すだあな。警備部ったって奴らは捜査じゃなく警備実施のほうだろう。鉄カブトかぶって盾持って突っ立っていればいいんだよ。うぢでやるしかなかんべさ」
 谷津は一度言い出したら他の意見は聞き入れない。
 「本部長がなんと言うかだよ」
 年下の坂田はこう答えるのが精一杯だった。この言葉を聞いた谷津の顔色が変わった。
 「おやずの意見なんか聞いてられっかよ。それじゃほす(犯人)はあがりっこねえべ」
 興奮すると谷津の訛りがひどくなる。その癖を幹部たちは見抜いている。三人は千野の案内で現場に到着したが離れた位置での視察となった。
 爆発物が置かれた場所は建物の壁の壊れ具合から壁際と推定された。
 現場には警備部公安課の課長、星川竜一が既に到着していた。谷津は関係者から事情聴取を済ませていた地元刑事課の主任の柴田良平に聞いた。柴田は四十八歳。この夏に警部補に昇任したばかりなのだ。
 「もぐ(目撃者)はありそうが?」
 柴田は谷津があの有名な捜査一課長であることを知っていた。自分の憧れの刑事である。
 「いや、ありません。防犯カメラに期待するしかないですね」
 「馬鹿野郎!かんす(監視)カメラでほすが挙がるなら苦労はしねぇよ。おめえらはマヌアル通りすか、すごと(仕事)できねぇのか…地取りだ地取り…髪の毛一本もみのがすんじゃねえぞ…」
 柴田は谷津の怒声に肝を潰した。それにしてもマヌアルとは何だろうか…
 第一回の捜査会議が開かれたのは発生から四時間が過ぎていた。午後十一時から五階の道場で行われる。柴田は千野に谷津課長の言う「マヌアル」の意味を聞いた。千野は笑っている。
 「あんた…地元でしょう?分からないのですか?マニュアルですよ」
 「なあんだ…訛っているだけか…」
 本部鑑識班は現場で作業中だが公安課長の星川の一声で早く始めることになった。星川は宮城県警の同期のなかで最初に警視に上り詰めたエリート。しかし、谷津より十歳も若かった。
 この時間をもって捜査本部が立ち上げられた。業界用語で言う捜査本部の「戒名」は「航空自衛隊松島基地爆破事件捜査本部」。
 特別捜査本部のため総指揮官は県警本部長だが警備部と刑事部の合同捜査本部となりそうだった。「捜査会議を開け」と言った星川に谷津がかみついた。
 「なぬ!会議だと…かんすち(鑑識)はまだ現場にいるんだぞ…なぬを慌ててるんだ」
 「それはあとで報告を聞けばいいだけでしょう。それよりも早く方向性を示さないと…」
 対立が始まった。「これは殺人事件なんだ。なんで公安が仕切るんだ」と谷津は不満を感じている。
 本部員は地元の松島東署員十八人に加えて県警本部から警備部公安課、刑事部から捜査一課、組織犯罪対策部から組織犯罪対策課、生活安全部の総務課、機動捜査隊員など二十人の応援を得て計三十八人体勢となった。東日本大震災の遺体捜索はまだ続いており、どうしても警察官のやり繰りができない。谷津が言った。
 「馬のあす(足)だって四本あるって言うのに…四十人にもみたねえなんて捜査できっこねえだろうが。すかも、寄せ集めの集団だ」
 谷津のこの言葉を「現場の声」と受け取った坂田が千野に同意を求めるよう言った。
 「いくら合同捜査でもこの頭数でこの山は無理だろう」
 「本部長の考えはこうなんですよ。東日本大震災の問題もあり、必要ならば他県警に応援派遣を求めればよいと…」
 「応援捜査員か…震災の時は大成功だったからな…」
 捜査会議が始まった。星川が最初にこう切り出した。
 「諸般の情勢から判断するに自衛隊の国防軍化に反対する極左による犯行の可能性が高い。爆弾を所持するような危険集団の情報収集に全力を挙げてほしい…」
 この言葉を聞いた谷津は黙っていなかった。
 「ずかん(時間)と場所からしてもこれはこずん(個人)隊員を狙ったずけん(事件)だ。ずえいたい員(自衛隊員)でも通行人でもええがら、不審者のもぐ(目撃者)やがい者(被害者)の身辺捜査など基礎捜査を重視すべきだ」
 星川が警備部長の石井を見ながら言った。
 「一人の個人隊員を狙うなら、わざわざ爆弾を使わなくてもいいと思うんですが…やはり、背景に組織があると見たほうが…」
 石井がこれに答えた。
 「個人でわざわざ苦労して爆弾を作るとは思えない。君のその線で行けばいい」
 刑事部長の坂田は黙り込んでいる。現場を取り仕切る者二人で、しかも意見が違うようでは、捜査員を混乱させる丨と判断した坂田は敢えて何も言わなかった。
 初動から捜査の方向はテロ事件に向いているのに谷津は強い懸念を持った。
 議論を控えた谷津は話題を変えた。
 「どうだ。もぐ(目撃)はあるのが?」
 柴田が遠慮がちに答えた。
 「不審者の目撃も含めて爆発の瞬間を見た者はいません。今、防犯カメラを調べています」
 「何度言ったらわがるんだ!そんな物にばかり頼るんじやねえってさっき言ったろうが…足で稼げよ!」
 「頼るなと言っても今はそれしかないのです」
 反論する柴田に谷津の顔が引きつった。爆発寸前の時のあの訛りがきつくなっている。星川が千野の顔の表情を見ながらこの場を治めようと話題を変えた。
 「柴田主任、君の推定では爆発物は何なんだと思う?」
 柴田が答える。
 「現場では火薬の匂いがしましたので、それではないかと…」
 星川が頷きながら
 「時限式とも見られるよなあ…そうすると相当の知識ある集団の犯行か…」
 どうしても組織的な犯罪と見ている星川。この会話に谷津が割って入った。
 「物(ぶつ)がでなくちゃわがんねえべさ…だがら言ったべ…かんすち(鑑識)もおわんねえで会議ひらぐからこうなるんだよ」
 険悪な雰囲気を察した千野がさらに話題を変えた。
 「とりあえず(捜査の)見立てをするのに防犯カメラの映像をしっかり分析することですね」
 柴田が千野の方を向いて話し出した。
 「まだ、機捜隊員が少し見ただけですが、発生の前後の三十分間に外出していた隊員が部隊に帰る数人と一台のオートバイ以外に不審人物が写っていないと言ってますが、あくまでもチラ見ですから…今、現地で基地の警務隊員立ち会いのもとでさらに確認しています」
 警備部長の石井が星川のほうを見て口を開いた。
 「防犯カメラに他の人物が映っていないとなると…自爆でもないかぎり時限式なのかな?」
 「そうだとすれば、同じ左翼でも絞られますよね」
 捜査員の誰からということなく声があがった。
 「圧力釜爆弾じゃないですかねえ…」
 谷津が怒った。
 「おい!そご!想像でものを言うんじゃねぇよ。まごつくだけじゃねえがよ!想像は公安に任せておけ!」
 警務課の警察官が入って来て、千野に耳打ちしている。
 「さきほど本部長から電話がありまして、この事件は諸般の情勢を考慮すると警備部主体なのだが、幅広く網をかけたいということで刑事部との合同捜査本部とするようです」
 谷津はその言葉を無視して言った。
 「ほがに何もねえのが!ずかん(時間)がもったいねえ。やめっぺ(終わろう)…髪の毛一本でもええがら物とモグ(目撃)をなんとすてもさがす出せ!いいなっ」
 谷津の一声で会議は打ち切られた。 つづく

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