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首都東京体感治安(21、22日 単位レベル)
令和7年の刑法犯が増加
【治安うんちく】
刑法犯認知件数が増加している。これまでは窃盗犯の増加が大きな要因だったが、今年はなんと詐欺犯を中心にした知能犯が増加。安全・安心に不安を与えている。
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警察庁によると、令和7年1月現在の刑法犯認知件数は5万6900件で、前年同期より1755件の増加。過去5年間で最多だった。検挙件数は2万1090件で、同65件の減少。この結果、検挙率は1.0ポイントアップして77.1㌫。
最も増加したのは知能犯で1048件も増えて4955件。中でも詐欺が1022件増の4586件。窃盗犯は426件増の3万8495件。非侵入盗の万引きが273件増の8747件が要因のひとつだ。
そして風俗犯は217件増の1370件。なんと要因は性的姿態撮影等処罰法が265件も増えて744件なのである。
さらに兇悪犯は57件増の564件で、ここでも不同意性交等が32件増の293件だった。
その他刑法犯も134件増の842件だが、唯一減少したのが粗暴犯で14件減の4444件。暴行などが減少している。
認知件数のランキングは東京の7542件、大阪の6415件、愛知の4162件、埼玉の3876件、神奈川の3643件などと続く。一番増加したのは群馬で、前年より345件増えて1510件、大阪も242件増えている。東京は46件だった。
検挙率のランキングは山形の137.2㌫、新潟の101.9㌫、富山の99.2㌫、青森の65.3㌫、長崎の64.7㌫など。
低かったのは埼玉の24.1㌫、大阪の23.3㌫、茨城の26.7㌫、愛知の30.1㌫、東京の32.0㌫などと続いている。
首都東京体感治安は「レベル2(ブルー)」とする。
【悪質商法はうそつき】(警察庁標語)
(う)まい話しを信用しない
(そ)うだんする
(つ)られて返事しない
(き)っぱり、断る
★詐欺電話つないだまま交番に相談したが…見抜けず「話し合うように」、結局130万円被害(21日)読売
https://www.yomiuri.co.jp/national/20250221-OYT1T50126/
★犯罪組織、宮城の少年に口止め 誘拐容疑で男捜査―ミャンマー詐欺(21日)時事
https://www.jiji.com/jc/article?k=2025022000987&g=soc
★点検商法で2億8600万円、不安あおる営業トーク「暗記ノート」…「僕たちもプロの職人なんで」(21日)読売
https://www.yomiuri.co.jp/national/20250221-OYT1T50038/
★「家出して闇バイト」鎌倉の高齢女性からカードや通帳詐取疑い 高校1年の少年を逮捕 「個室ビデオ店で寝泊まり」(20日)共同
★海外での「もうかる仕事」、マシンガンで武装した人が連行・スタンガンで暴行も…警察庁が注意喚起(20日)読売
★ミャンマー渡航の容疑者逮捕 特殊詐欺関与か 事情聞く方針(20日)NHK
★日本の高校生がいたミャンマー東部の詐欺拠点、外国人1万人か…スタンガン・暴力・注射で強要(20日)読売
★ミャンマーで特殊詐欺加担 外国人およそ1200人 タイが保護へ(19日)NHK
★ロマンス詐欺などでナイジェリア拠点詐欺グループ検挙 警察庁(19日)NHK
★電話詐欺「他に日本人8人作業」 タイで保護の男子高校生(18日)共同
★【速報】「警官かたる詐欺に加担」と保護の高校生(18日)共同
★ミャンマー詐欺拠点に「1万人以上」 タイ、日本含む関係国と協議(17日)時事
★架空請求で50代男性、3億2000万円被害…神奈川県の特殊詐欺で過去最悪の金額(17日)読売
★「他に10人弱の日本人」 ミャンマー詐欺拠点から少年保護―タイ(15日)時事
★タイ警察、ミャンマーで特殊詐欺に加担させられていた10代の日本人少年を保護(15日)NHK
★高校生を連れ去り詐欺に加担させたか 日本人の男拘束 タイ警察(14日)NHK
★SNSで「お得情報」うたい特殊詐欺の受取役を勧誘か 24歳を逮捕(13日)NHK
突入前、実家に電話の若い巡査に涙
あさま山荘取材の元カメラマン
2022/2/26 09:00
大渡 美咲
あさま山荘事件50年
あさま山荘事件の資料に目を通す小野義雄さん=2月22日(大渡美咲撮影)
昭和47年2月の過激派組織「連合赤軍」によるあさま山荘事件は、現場の状況を伝える記者やカメラマンにとっても過酷な現場だった。いつ事態が動くか分からず、自身も銃弾に襲われるかもしれないという緊張感の中、10日間にわたる雪深い山の中で取材は続いた。当時、カメラマンとして現場で取材にあたった元産経新聞記者の小野義雄さん(78)もその一人だ。
まるで戦地のよう
千葉県富津市で暴れる野猿の撮影をしていたところ、上司から無線機で連絡があったのは昭和47年2月19日午後のことだった。すぐに東京都内にある本社に戻り、電車で長野県軽井沢町に向かった。
当時は携帯電話やパソコンはなく、取材本部の民宿とは別に現場に近い取材拠点としてあさま山荘近くの別荘の軒下を借りた。カメラマンは24時間3交代制で、小野元記者は防弾チョッキを着て撮影に臨んだ。軽井沢は連続氷点下。テントで簡易の屋根を作り、一斗缶で火をたいて寒さをしのいだ。
「みなウイスキーのポケット瓶を飲んで体を温めていた。軽井沢からポケット瓶が消えたといわれた」と振り返る。
当時機動隊員が食べていたことで爆発的ヒットとなった「カップヌードル」は報道陣にとっても心強い「味方」だった。ただ、水がなく、雪を溶かして温めたお湯で作った。
いよいよ突入の28日、機動隊員の突入とは逆の建物の側でカメラを構え、そのときを待った。約7時間にわたる攻防の末、警視庁第9機動隊員が窓から旗を振った瞬間をカメラに収めた。
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