「常に、傷病者とその家族にとってのベストは何かを考える」。けが人や急病人に適切な処置を施し、病院へ搬送する救急業務に20年以上携わり、数えきれないほどの都民の命を救ってきた。「同じ状況は一つとして存在しない」という救急の現場では、「毎日が勉強」と、向上心は衰えることがない。
高校時代は、都大会で決勝に進出するほどの強豪校でサッカーに打ち込んだ。「鍛えてきた身体を生かせる仕事がしたい」と消防官の道へ進み、入庁後数年はポンプ隊員や特別救助隊員として消防車に乗車し、現場で活動した。
当時、救助隊は「助けるだけ」、救急隊は「運ぶだけ」という分業の考えが現在より根強く、互いの仕事のことは意識しない時代だった。「救急の知識も身に付ければ、救える命が増えるかもしれない」。そう考え、平成9年に救急隊へ転身。そこから救急業務一筋だ。
転身当初は、現場で右往左往する毎日。勉強の日々が続いた。管内の病院の医師と定期的に話をし、傷病者別に運ぶべき病院を瞬時に判断できるようにしたり、医師の行う学術研究会に出席して病気やけがについて学んだりした。全ては少しでも多くの命を救うためだった。
試行錯誤の救急人生の中で、記憶に残る現場がある。秋川署勤務していた24年、20代の妊婦が自宅で破水。まず搬送を考えたが、女性の状態を冷静に見極め「間に合わない」と判断。その場で女児を出産させてから搬送し、母子の命を救った。その後、女性からは感謝の手紙が送られてきたといい、「うれしかった」と顔をほころばせる。
現在は後輩を指導する立場にもなったが、「まだまだ勉強することだらけ」と気を引き締める。「大変なことも多いけれど、やりがいのある仕事。後に続いてくれる人を育てたい」。やることはまだたくさんある。(根本和哉)
https://www.sankei.com/article/20211012-R7EZWJ3YVJJ7NMNJC6MOWSO6J4/