よど号 半世紀後の「謎の核心」 赤軍派「平壌へ行け」 どうして韓国に着陸 KCIA部長から「閣下の指示だ」(18日)西日本
●元韓国空軍管制官 蔡熙錫さん証言 事件後は苦難「犠牲者が出なかったのは誇り」
1970年3月31日午前7時半すぎ、富士山上空付近を飛行中の羽田発福岡行きの日本航空351便(よど号)が、赤軍派の9人にハイジャックされた。男たちの要求は「(北朝鮮の)平壌へ行け」。板付空港(現福岡空港)に給油のため立ち寄った同機は、平壌へ飛んだはずだった。ところが-。同機はなぜか、韓国の金浦空港に降り立つ。日本初のハイジャック事件から約半世紀。韓国空軍の元管制官、蔡熙錫(チェヒソク)さん(78)=当時(28)=ら当事者が、最大の謎の核心を語った。
■厳命
「これは閣下の指示だ。理由のいかんを問わず、よど号を金浦に着陸させろ」。事件当日午後0時半ごろ、よど号ハイジャックの情報を受けて金浦空港の管制施設に詰めていた蔡さんに、1本の電話が入った。
電話の声は、韓国中央情報部(KCIA、現国家情報院)のトップ、金桂元(キムゲウォン)部長だったと蔡さんは明かす。閣下とは当時の朴正熙(パクチョンヒ)大統領。KCIA部長が空軍管制官に直接の指示を下すだけでも異例。ましてや軍事政権下で絶対的な存在の大統領からという厳命に、蔡さんは身震いした。
同時刻、板付空港。人質122人を乗せたよど号には、抜き身の日本刀のような物を構えた男たちが立てこもっていた。平壌行きを阻止したい福岡県警との神経戦。わざと給油を遅らせたり、自衛隊機が故障したと偽り滑走路上に駐機させたりして時間を稼いだ。
午後1時すぎ、女性と子ども、高齢者ら23人が解放された。滑走路の戦闘機をどかして離陸を可能にすることが条件だった。午後2時前、よど号は包囲網を振り切るように離陸し、平壌を目指した。
操縦かんを握ったのは石田真二機長=故人、当時(47)。副操縦士は江崎悌一さん(82)=福岡県太宰府市出身、当時(32)=だった。江崎さんは、金浦空港の蔡さんとの交信で、重要な役割を果たす。
■演技
よど号は韓国と北朝鮮の軍事境界線付近を飛んでいた…
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