上皇ご夫妻に感謝の言葉あふれる、被災地・被爆地・沖縄 (1日)日経
地震や水害などの被災地への訪問や戦争犠牲者が眠る地への慰霊の旅――。上皇さまは30年余りに及ぶ在位中、上皇后さまとともに精力的に各地を訪ね、象徴天皇として国民の悲しみに寄り添われた。「どんなに救われたか」「本当にお疲れさまでした」。ご高齢になられてからも強い気持ちで国民と向き合い続けたお二人に、交流のあった人々からは感謝の言葉があふれた。
●東北被災地
「上皇ご夫妻がどん底から救ってくださった」。東日本大震災で被災した岩手県大槌町のホテルを再建した千代川茂さん(67)は今年3月、テラスに石碑を建てた。「平成の架け橋」と名付け、以前宿泊されたご夫妻への感謝と震災犠牲者の鎮魂の思いを託した。
ご夫妻は1997年秋、三陸海岸沿いに立つホテルを訪れ、岩場に咲くハマギクを観賞された。それから14年後の2011年3月、津波がホテルを襲った。社長だった兄の山崎龍太郎さん(当時63)を失い、多額の債務とがれきと化した建屋を前に、千代川さんは廃業も考えたという。
しかし、震災から半年後に宮内庁が公開した写真を見て前を向く決意をした。ご夫妻と皇居に咲く花が写っていた。亡くなった兄が献上したハマギクの種が時を経て真っ白な美しい花を咲かせていた。「花言葉は『逆境に立ち向かう』。兄のメッセージをご夫妻がつないでくださった」
13年に「三陸花ホテルはまぎく」と改名し営業を再開したホテルを、ご夫妻は16年に再び訪問された。「頑張りましたね」。上皇后さまの言葉に涙がこみ上げた。今年3月には三陸鉄道「リアス線」が開通し例年の倍の客でにぎわう。千代川さんは「町は変わり平成が過去になっても、ご夫妻が寄り添われた被災地の記憶をハマギクとともにつないでいく」と誓う。
東京電力福島第1原子力発電所事故で、福島県いわき市で避難生活を続ける田子島屋邦子さん(63)は18年、同市を訪れた上皇さまから「どういうところが一番苦労されましたか」と尋ねられた。
看護師として勤務していた特別養護老人ホームの入居者の避難や仮設住宅の見回り活動などを説明した。「ご多忙でお疲れのはずなのに、一つ一つのことに耳を傾けてくださり、心から励まされた」。故郷の大熊町に帰還する見通しは立っていないが、田子島屋さんは令和になっても前を向いて生きていくことがご夫妻との「約束」だと考えている。
続く
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44371170Q9A430C1CR8000/
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