象徴像、模索の30年=全国2巡、人々に寄り添い-天皇陛下(25日)時事
国立ハンセン病療養所「菊池恵楓園」を訪れ、入所者に声を掛けられる天皇、皇后両陛下=2013年10月、熊本県合志市
激戦地での深い黙とう。膝をつき被災者と対話-。象徴天皇制を定めた現行憲法下で初めて即位した天皇陛下は、象徴の望ましい在り方を模索しながら、国民と共に歩まれてきた。退位まで2カ月余り。全身全霊で公務を全うし、皇太子さまにバトンを渡す。
◇戦争の風化懸念
「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています」。陛下は2018年12月、85歳の誕生日を前に、記者会見で自身の半生を回顧しこう述べた。太平洋戦争末期、静岡・沼津、栃木・日光と疎開先を転々とし、11歳の夏に奥日光で終戦を迎えた。1945年11月に帰京し、一面の焼け野原となった首都の姿に衝撃を受けた。
戦争の風化を懸念する言葉を繰り返し述べ、戦後の節目には皇后さまと国内外の激戦地に足を運んで戦没者を慰霊。苦難の歴史を歩んだ沖縄は通算11回訪れ、多くの琉歌も詠んだ。18年12月の会見では「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」と声を震わせた。
◇床に膝つき対話
91年の長崎県の雲仙・普賢岳噴火、93年の北海道南西沖地震、95年の阪神大震災、11年の東日本大震災-。平成時代、日本は数多くの災害に見舞われた。天皇、皇后両陛下はその都度、被災地に入り、膝をついて被災者と向き合った。
91年に両陛下を迎えた鐘ケ江管一・元島原市長は「まさか床にお座りになるとは夢にも考えなかった」と話す。年を追うごとに、困難に直面した人々に寄り添う「平成の皇室」を象徴する姿と受け止められるようになった。
東日本大震災後には7週連続で被災者を見舞い、18年も西日本豪雨や北海道地震の被災地に足を運んだ陛下。「数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます」と平成を振り返った。
続く
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019022500180&g=soc
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