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2016年1月30日 (土)

両陛下が日本人戦没者を慰霊、遺族の思い (30日)TBS

フィリピンを訪問中の天皇皇后両陛下は、初めて日本人戦没者を慰霊されました。太平洋戦争中、フィリピンでは、51万8000人と最も多くの日本兵らが犠牲になりました。遺族の皆さんはどんな思いでその様子を見ていたのでしょうか。
 天皇皇后両陛下は、マニラの南およそ70キロのカリラヤにある日本人戦没者の慰霊碑を訪問されました。慰霊碑に白菊を供え、深々と一礼された両陛下。その後、参列した遺族らに言葉をかけられました。
 「うれしくて、ありがたくて、ただただ胸がいっぱいで」
 こう語るのは、本間尚代さん(79)です。両陛下の慰霊に強い思いを寄せていました。本間さんの父・吉田正さん(当時38)は、終戦の年の6月、フィリピンの北部で戦死しました。
 「『寂しくなったら靖国神社に会いに来なさい』と」(本間尚代さん)
 4人の娘がいた正さん。終戦の1年前、長女の本間さんが7歳の時に招集されました。
 「父が(死を)覚悟したんだと子ども心にも(思いました)。だから私は別れるときに口をきけなかったのです。口をきいたら泣きだしそうなので、泣いたら父が後ろ(髪)を引かれると思って」(本間尚代さん)
 正さんは「特別挺身戦車肉迫攻撃隊」で特攻し、命を落としたといいます。
 「弾(爆弾)を抱いて敵戦車が通る道に穴を掘って潜んで、上を通るときに爆弾抱いたまま立ち上がる。お骨はもちろんありません」(本間尚代さん)
 本間さんが宝物にしているという父の形見。
 「新香はパヽイヤといふ噛みしめぬ」
 「マンゴーの花の香れる薄月夜」
 俳句は、父がフィリピンでの何気ない生活や風景をつづったものでした。父親の思い出を今も大切にしている本間さん。両陛下とともにお参りすることを強く望んでいました。
 「『私は一生懸命生きてきた』という報告が一番自慢です」(本間尚代さん)
 29日、皇后陛下に言葉をかけられた男性・真田立穂さん(76)です。5歳のとき、「水上の特攻隊」の一員だった父・頼さん(当時35)が、マニラ湾に浮かぶ激戦地コレヒドール島で戦死しました。
 「初めて(島に)行ったときに追悼文を読むようにと言われて、何か考えていけばいいやと思ってメモを書いて行ったのだけど、涙があふれて親父に話しかけられなかった」(真田立穂さん)
 これまでに10回近く島を訪れているという真田さん。今回の訪問をどう受け止めているのでしょうか?
 「カリラヤで献花していただくのはものすごくうれしいのですけど、もうちょっと早く行っていただいた方が良かったという気持ちはあります」(真田立穂さん)
 日本人戦没者240万人のうち51万8000人と最も多くの戦没者が出たフィリピン。終戦から70年以上たった29日、日本からおよそ3000キロ離れたカリラヤの森は、両陛下と遺族らによる鎮魂の祈りに包まれました。(29日17:52)http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2691390.html

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