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2011年7月11日 (月)

鳥取砂丘人骨ミステリー 明治に流行したコレラか(11日)

先月30日、鳥取市の鳥取砂丘で砂の中から風化の進んだ4体分とみられる人骨が発見された。「なぜ」「いつ」―。”砂丘ミステリー”にさまざまな臆測が広がり、人骨の年代など詳細な鑑定が待たれる。同市国府町糸谷の森医院の森納理事長(82)は、自らが編さんした書籍を手に「人骨は、明治時代のコレラ患者が埋葬されたものでは」と独自に推測している。

 森理事長は大正以前の疾病に関する統計記録がないことから、当時の新聞やさまざまな書籍をひもとき、『鳥取県の疾病史覚書―明治・大正時代―』を編さんし、2000年10月に発行している。

 日本にコレラが初めて発生したのは江戸時代末期。明治時代に流行は激烈を極め、特に1879(明治12)年と86(同19)年には、全国で死者が10万人以上にも達した。

 島根県(当事の鳥取県)でも79年の感染は猛威を振るい、森理事長によると「伝染病のため市街地に遺体を埋葬できず、またあまりの数に埋葬地が問題になった。(遺体を)袋川に流すという案もあったが、生活用水のため、砂丘が埋葬地の一つに選ばれた」と話す。

 同年のコレラの流行は鳥取市で激しく、島根県発行の資料に「約160日間に約3300人が感染し、約2150人が亡くなった」といった内容の記述があり、死体の多さに棺も間に合わず、「わらむしろ」に包んで埋葬したという。

 95(同28)年当時の新聞には「山陰に当時、火葬の風習があまりなく、隔離にもなじめなかった。医師が説得に当たっていた」との記述があり、感染した家族を隠し、密葬もされていたという。

 「報道で知ってもしやと思った」と森理事長。「どのような鑑定が発表されるのか興味深いが、コレラの流行は因伯の病院設立運動や鳥取県の再置運動に発展した」と話していた。

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http://www.nnn.co.jp/news/110709/20110709010.html

 

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