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2011年4月19日 (火)

「もっと見つけてあげることが…」20キロ圏内、防護服で捜索(19日)

 手つかずのがれきの山、見えぬ敵、わが子と重なる幼き遺体…。福島第1原発から20キロ圏内の福島県南相馬市で今月7日から1週間、行方不明者の捜索を行った警視庁の機動隊員が18日、産経新聞の取材に応じた。防護服を着た未体験の活動を終え去来するのは恐怖や安堵(あんど)ではなく、「もっと(遺体を)見つけてあげることができたんじゃないか」との葛藤だった。

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記事本文の続き 「お前も来い」。第1機動隊の吉田誠警部補(37)は上司から原発20キロ圏内の捜索の下命を受けた。機動隊員である以上、厳しい現場への出動の覚悟はできていた。だが家庭では妻(35)と3人の子供を抱える父親でもある。不安がないわけではなかった。

 出発前、小4の長男(9)に「しばらく出張に行く。お母さんの言うことを聞いて何かあったら自分がしっかりするんだぞ」と弟と妹の世話を頼んだ。「福島に行く」とだけ告げた妻は任務内容を知っていたようだが、出発の日、普段通りに見送った。「その気配りがうれしかった」

 現地に着くと白い防護服を身につけ線量計が渡された。「ここまでしなければいけないのか…」というのが実感だった。小隊長として約15人の隊員を率いた。中には20歳前後の着任したての隊員もいた。「装備は安全だ心配するな」。隊員のケアにも気を使った。

 位牌(いはい)、アルバム、ランドセル…。がれきから多くのものが見つかった。「アルバムは笑顔の写真が多い。『この写真の人はここから発見されませんように』『無事でいてほしい』と願いながら捜索に当たった」

 1週間の捜索で十数体の遺体を発見した。中には田んぼの中で野ざらしのまま倒れ、顔が泥で汚れた子供の遺体もあった。「自分の子供と重なった。きれいにして一刻も早く親元に戻してあげたい」。毛布でくるみ、そっと手を合わせた。

 帰宅すると末っ子の長女(5)が飛びついてきた。疲れが吹き飛んだ。「全力で捜索したが、まだできたんじゃないかとの思いが残る。また戻って捜索し、少しでも多く、早く遺族の元に返してあげたい」との思いに駆られている。(荒井敬介)

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