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2011年3月13日 (日)

3階ビルの屋上にブイが…1万人不明の町(13日)

たどり着いた港町は更地と化していた――。驚異的な高さの津波に襲われた宮城県南三陸町。

 人口約1万7300人のうち、避難した約7500人をのぞく約1万人が「安否不明」になっていると12日、県が説明した。東日本巨大地震はいったいどれだけの人々をのみこんだのか。

 警察署と病院、町役場の一部を残してほぼ全壊した南三陸町に12日、記者が入った。同町志津川の中心部に通じる国道398号は約2・5キロ手前で規制され、車両の通行が制限された。

 規制の先に、おぞましい光景が広がっていた。家屋はほぼすべて倒壊し、津波で押し流されてめちゃくちゃに絡まっていた。辺りには収穫期を迎えたワカメが散らばり、建物に漁船が突き刺さっていた。同県気仙沼市の会社員、小野寺雄基さん(23)は「あっという間にのみ込まれていった。地獄のようだった」と話した。津波は内陸に7キロまで押し寄せたという。

 沿岸にある警察署の3階部分まで押しよせ、ほかの3階建てのビルの屋上にはブイが絡まっている。海岸から約500メートル離れたスーパーマーケットは跡形もなくなっていた。高台で津波を見ていた小野寺さんは、「10メートル以上はあった」と証言する。

 1960年のチリ地震津波を経験した同町の女性(70)は「今回の津波の方が、天と地ほどの差で強く、思い出も何もかも奪った。外の景色はみたくない」と涙ぐんだ。(小野健太郎、平山一有)

 午後1時、南三陸町戸倉地区。国道45号にうずたかく積もった車や木材、冷蔵庫などの家財が行く手を阻む。国道沿いの折立川を逆流した津波に押し流されたがれきの山だ。車での移動をあきらめ、谷間を通る道約2・5キロを徒歩で進んだ。

 「また津波が来るぞ」「走れ」。後方からのどなり声に、すれ違う人たちが小走りになる。余震が続く町から脱出したり、家族の安否などを確認したりした人たちは、口々に「家も、何もかもなくなった」と言った。幼児のいる家族連れや両脇を抱えられたお年寄りの姿もある。

 白煙が上がるがれきからは、時折、赤い炎が見える。河口に近づくにつれ、道路のアスファルトはめくれ上がり、道路脇の木々は根元からちぎったように折れていた。津波の威力に背筋が凍る。

 途中、町内にある自宅に向かう会社員の佐藤哲さん(32)と父、声次さん(59)に出会った。避難している妻の里美さん(31)と3人の子どもの無事を確認しにいくというので同行した。

 周辺の自治体を含め、固定電話はもちろん、携帯電話も通じない。哲さんは地震発生時、仕事のため、同町から北に約20キロ離れた気仙沼市にいた。直前に声次さんと偶然出会うまで、家族の安否を確認できず、絶望のふちにいた。「自宅のある地区は壊滅という話を聞いて、涙しか出なかった」

 歩き始めて約1時間、視界が急に開けた。「戦時の焼け野原みたいだ」。哲さんが目を丸くする。町役場のある志津川地区とをつなぐ橋は落ち、集落の民家は根こそぎ消えていた。

 長男と次男が通う小学校と体育館の一部がかろうじて残る以外は、見渡す限りの更地。小学校の教員を見つけ、妻ら4人は高台にある町立戸倉中学校に避難していることが分かった。今は穏やかに見える海を横目に、自然と足が速まった。

 同中は1階は浸水していた。正面玄関のすぐ脇には、車が壁に立てかけたように止まっている。2階にあるコンピューター室。哲さんは引き戸を開けると、毛布にくるまった里美さんと末っ子の真樹ちゃん(6)を見つけ、駆け寄った。

 「良かった」。哲さんがまな娘の頭をそっとなでる。里美さんの腕に抱かれた真樹ちゃんの目から、大粒の涙がこぼれた。

 

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