« 粉ミルク箱に覚醒剤7キロ 密輸で中国人を逮捕(18日) | トップページ | 青信号を自動で延長 高齢者事故対策の切り札「歩行者用感応式信号機」 東京都内で導入(19日) »

2011年2月19日 (土)

前警視総監・米村敏朗 フォールズ博士を偲ぶ(19日)

Crm1007170303001n11

昨年末の一夕、元警視庁捜査1課長の光眞(みつざね)章氏と酒肴(しゅこう)を共にした時のことである。何のきっかけか、氏はカバンから切手のシートを取り出し、見ると「日本警察指紋制度100周年」と書かれ、見慣れぬ人物の肖像画や指紋をデザインした切手が合計10枚組み合わされている。聞けば、氏はこれを1千シート自主製作したとのこと。切手が個人で作れるというのも初耳だったが、ついつい「何でまた?」と、後から考えると35年以上も警察に奉職した者としていかにも能天気な(と思われたであろう)前警視総監の質問に対し、気をよくしたのか悪くしたのか、杯を持つ手もせわしげに、氏は俄然(がぜん)わが国指紋制度の淵源(えんげん)について語り始めた。以下は、その時の話が中心である。

 わが国警察における指紋制度は、警視庁において、明治44(1911)年4月1日に刑事課を新設し、課内に捜査、鑑識及び庶務係を設け、同時に指紋取扱規程を制定し、鑑識係において「指紋に関する事務」を担当することとなったのが最初である。したがって本年4月1日は、日本の警察指紋制度発足100周年にあたる。

 光眞氏は昨年10月、同じく元警視庁捜査1課長の久保正行氏と二人三脚イギリスに渡り、イングランド中部スタッフォードシャー地方の町ニューキャッスル・アンダー・ライムの郊外にある教会墓地を訪れ、ある人物の墓に献花した。その人物とは、スコットランド人のヘンリー・フォールズ博士(先の肖像画の人物、1843~1930年)である。

 博士は明治7(1874)年に医療宣教師として来日し、以後12年余に及ぶ日本滞在中、居留地であった築地に病院を開設し、多くの患者の治療にあたると共に、日本人に目の悪い人が多いのに気付き、盲人教育に力を注いだ。その一方で博士は指紋の研究に没頭したが、きっかけは当時、大森貝塚で発掘研究していた米国人モースと交流があり、発掘された土器に印象された指紋を発見し、また日本人が古くから指、掌を文書や証文に押捺(おうなつ)する習慣があるのに気付き、これに関心を持ったことだ。研究の末、博士は明治13(1880)年、イギリスの科学雑誌「ネイチャー」に指紋の科学的研究に関する論文を日本から発表したが、これが指紋による個人識別、後に一般化していく指紋鑑識の多くの側面を提案した最初の論文といわれる。かかる経緯の下、指紋制度100周年を前に光眞、久保の両氏はフォールズ博士の墓参を思い立ったわけであるが、あいにく教会には人はおらず、両氏は広い墓地の中、元捜査1課長のメンツにかけて探し出した由。

 「終生不変、万人不同」の指紋。警視庁で四十数年にわたって指紋鑑識に携わってきた金子秀雄氏は、凶悪な殺人事件など重要犯罪で指紋が一致した時、自らの心臓の鼓動が聞こえるという。こうした職人に支えられた日本警察の指紋鑑識技術は、指の先端部の指紋でも照合可能なほど世界最高レベルの技術をもっている。ところで裁判員裁判とは、裁判員ができるだけ自分の目と耳で直接確かめることを求める裁判である。指紋に限らず捜査の科学化ほどこれに寄与するものはあるまい。今日あらためてフォールズ博士を偲(しの)ぶゆえんである。(よねむら としろう)

Msn_s1

 

« 粉ミルク箱に覚醒剤7キロ 密輸で中国人を逮捕(18日) | トップページ | 青信号を自動で延長 高齢者事故対策の切り札「歩行者用感応式信号機」 東京都内で導入(19日) »

一般犯罪(暴行、傷害、監禁、特別法、公妨など犯罪全般)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/514231/50909706

この記事へのトラックバック一覧です: 前警視総監・米村敏朗 フォールズ博士を偲ぶ(19日):

« 粉ミルク箱に覚醒剤7キロ 密輸で中国人を逮捕(18日) | トップページ | 青信号を自動で延長 高齢者事故対策の切り札「歩行者用感応式信号機」 東京都内で導入(19日) »