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2010年3月20日 (土)

元警視庁係長、執念の復帰…地下鉄サリン15年(20日)

 オウム真理教による地下鉄サリン事件の現場の一つ、東京「霞ヶ関駅」で、猛毒のサリンが充満する車内に真っ先に飛び込んだ捜査員がいた。

 警視庁鑑識課の係長だった杉山克之さん(66)。それから15年――。生死の境をさまよった杉山さんは後遺症と闘いながら、「殉職者を出したくない」と、現役の警察官に講義を続けている。「地下鉄で多数の人が倒れている」。1995年3月20日午前8時すぎ、東京・桜田門の警視庁内で、無線の一報を受けた杉山さんはすぐ目の前の霞ヶ関駅に走り、防毒マスクもしないまま構内へと飛び込んだ。

 地下3階の日比谷線ホームに駆け降りると、電車の最後尾ドアの前に新聞紙と液体が広がっていた。「薬品だろうか」。においをかごうと顔を近づけ、新聞の日付を手帳にメモしようとした瞬間、ペンを握る手から力が抜けた。

 「しまった」と思い、車外に駆け出すと体に鋭い痛みが走った。息苦しく、瞳孔が縮む「縮瞳」という症状で周囲が暗くなり、階段の上の蛍光灯が、まるで空のように見えた。「あそこに行けば空気がある」と思った瞬間、前に崩れ落ちた。首を絞められ、金づちでたたかれるような痛みが全身を襲った。「中学、高校、大学に通う3人の子はどうなる」。「係長! 係長!」という叫び声がかすかに聞こえる中、「オレは死ねない」と何度も思った。

 病院で目が覚めた後も体が硬直し、数千人の死者が自分を「おいで、おいで」と手招きする悪夢にうなされた。6日後に退院してからも、風が運んでくる桜の花の香りで吐き気をもよおし、新聞で「オウム」「サリン」という文字を見るだけでトイレに駆け込んだ。

 それでも見舞いに来た同僚から、警視庁が事件2日後から始めた山梨県上九一色村(当時)の教団施設に対する一斉捜索で、部下がサリンを吸い込んで倒れたと聞き、現場への復帰を決意した。事件24日後には復帰し、6日後には教団の富士山総本部(静岡県富士宮市)の現場検証に参加した。「事件を解明する証拠をつかむ」という使命感が、恐怖心を消していた。

 春には花の甘い香りに気分が沈み、夏場も背筋が冷えるという後遺症に悩まされる中、自分と同じサリンで命を落とした12人(後に13人と認定)の無念を晴らそうと、2004年3月に退職するまで仕事一筋に生きた。そして退職後は、再就職先の仕事の傍ら、毎年、警察大学校の教壇に立って全国から集まる警察官を前に当時の体験を語り続けている。

 「殉職者を出さない」「危険な現場に入る前は可能な限りの情報収集を」。あの悪夢を繰り返してはならないという思いで口調はつい熱くなる。「壮絶な痛みを知る者として、亡くなった方と今も苦しむ被害者の分まで、自分の体験を伝えたい」杉山さんはそう思う。

3路線で13人が死亡◆地下鉄サリン事件では日比谷線、丸ノ内線、千代田線の3路線の車内にサリンがまかれ、乗客や駅員12人が死亡した(後に新たに1人が追加認定)。被害者の多くは縮瞳や頭痛、呼吸困難などサリンの中毒症状を訴え、意識障害などの後遺症が残った被害者もいる。後遺症に苦しむ警察官は少なくなく、東京消防庁でも、救護にあたった救急隊員ら計135人にサリン中毒などの被害が確認されている。(2010年3月20日17時24分  読売新聞)http://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=127&agent=11&partner=nifty&name=%C6%C9%C7%E4%BF%B7%CA%B9&lang=euc&prop=495&bypass=2&dispconfig=

 

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