【社会部発】
約190人が裁かれたオウム法廷は、4被告を残すだけとなった。中でも麻原彰晃死刑囚の側近だった井上被告の判決確定は、オウム裁判全体が終局にあることを象徴する。
井上被告を含む一連のオウム判決は、事件が教祖だった麻原死刑囚の指示・首謀で起こされたことを事実認定することで、刑事上の責任を総括していった。
しかし、法廷を取材した経験を持つ者として一連の裁判が、前代未聞の大量殺人がなぜ起きたかの真相に肉薄したかについては、若干の疑問が残っている。何人もの被告の1審を傍聴した宗教学者が「凶行は教祖と弟子の欲望、感情がドロドロに重なりあったところに生まれたという一面もあるはず。刑事手続きには表れない生々しいオウムの部分を知りたい」と話していた。
そんな中にあって、井上被告の法廷での様子や、接見した人から伝わる拘置所での様子は、教団のドロドロぶりや、1人の若者の心の葛藤(かつとう)、心の弱さが色濃く出たという点で異彩を放っていた。
「オウムの申し子」「修行の天才」と評価され、1千人を入信させたという逸話もある被告。1、2審では、教祖夫妻の痴話げんかなどを饒舌(じようぜつ)に暴露しながらも、遺族から「格好いいことばかり言って」と批判されると激しく狼狽(ろうばい)。「申し訳ない」と何度も涙を流した。1審で「無期」宣告された時には、死の緊張感から解き放たれたためか、激しく泣いた。
弁護人は最近の様子を、「16歳で入信、子供のままだった被告が、ようやく少し大人になってきたように感じる」と語る。他の教団元幹部らの死刑確定を聞くと、絶句し、言葉が出ない状態という。
井上被告が法廷や接見者らにさらした生々しい姿。酌み取れる部分があれば、カルトによる悲劇を繰り返さないための教訓にしなくてはいけない。
ただ、オウム裁判全体を見たときに、麻原死刑囚が何も事実を語ることなく裁判を終えてしまったことが返す返すも残念だ。(赤堀正卓、酒井潤)
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