連載小説警視庁薬物特命捜査官(65回)
鬼頭に笑顔が戻った
刑務所を訪れた鬼頭は、穴守の言葉にひと安心した。穴守はさらに続けた。
「それより、刑事さんが話してくれたあの話しにな、涙がでたよ…」
わかっていながら鬼頭が聞いた。
「何の話しだったかね?」
「ほら、覚せい剤の恐怖の事件だよ。子供が親に隠れて覚せい剤を使っていてさ、些細なことから両親をメッタ刺しにした。で、父親が殺され、母親だけが生き残った話しだよ。子供が少年院を出たあとの母親との愛情あふれる生活を送るようになった話だよ」
「あれか…広島県での事件だろう?」
「少年が社会に復帰して初めて貰ったボーナスでさ、自分の刃(やいば)で手足が動けなくなった母親に『母さん、父さんの分も含めて親孝行するから倍の長生きしろよ』と、おんぶして温泉に連れて行った話しの部分…」
穴守は、さらに続けた。
「あの中でも少年が、初めておんぶした母親を『母はこんなにも軽いのか?』と思ったというくだりがあったよな…俺は、母をおんぶしたことがなかったので…特にジーンときたよ…」
その部分は鬼頭でさえ、涙なくして話せない部分だった。
「俺、あの話しを聞いてな。『覚せい剤ってこんな残酷な事件の原因になるのか』と思うと、嘘をつけなくなってさ…それに…」
ここまで一気に喋った穴守は、しばらく黙り込んだ。鬼頭は穴守の次の言葉を待った。穴守が喋り出した。
「それに…あの話しをしている刑事さんを見ていたら…なんか…兄貴のような気がしてさ…たまんなくなったんですよ…」
鬼頭には次の言葉が出なかった。出なかったというよりは言葉を失ったのだ。沈黙が続いた。30分という時間がどんどん過ぎていった。鬼頭は、思い切って言った。
「そう言えば、養子に行ったため母さんの顔も知らないとか言ってたよね…父さんは母さんの写真なんか持っていなかったのかね?母さんはその後、どんな人生を送ったか父さんから聞いたことはあるんかね?」
鬼頭の言葉はいつのまにか取調官になっていた。
「持っているわけないよ。当時は写真なんかあったんか?」
穴守は母さんのその後を、父さんから聞いていなかったのか答えなかった。鬼頭は、いよいよ確信の言葉を出した。
「それで…養子に行く前の姓はなんと言ったんだっけ?」
鬼頭は、あのときの調べのように「忘れた」と言って欲しかった。
「養子になる前の姓? 刑事さんに言っていなかったっけ…」
「聞いてないよ…別に、調書には関係ないから…」
穴守は、とうとう言ってしまった。
「親父からはマクダとか聞いたことがあるんだが…幕が降りるの幕に田んぼの田…そんなこと聞いて…なんかあるんか?」
鬼頭は看守から「時間です」の言葉を早く聞きたかった。「やっぱり…実の弟なのか…」。鳥肌が立った。部屋から一刻も早く出たかった。鬼頭はこれほど30分という時間を長く感じたことはなかった。
「いゃ、別にないんだけど…父さんはその後、なんで死んだんだっけ?」
鬼頭はそれとなく聞いた。
「俺は調書の続きかと思ったよ…えっ、父さんの死因か?それは脳溢血だよ」
鬼頭は全てを聞いてしまった。
「それで…」と穴守が再び話し出そうとしたところで看守が大きな声で言った。
「時間ですから、ここまでにして下さい」


最近のコメント