連載小説警視庁薬物特命捜査官(64回)
被疑者は実弟だった
鬼頭は病院内で一人でいるときはベッドでボケーッとしていることが多かった。ただ、一点をジーット見つめているのである。看護師たちも、そんな鬼頭を見て心配していた。
それから5日後だった。鬼頭に退院の勧告が出された。妻の絵美と幸子が迎えに来てくれた。鬼頭はその足で、城西署に挨拶した。出迎えてくれた野口署長をはじめ署員から「退院おめでとう」の花束が贈られた。
そして、足が震えていることもあり新橋庁舎にはタクシーで向かい、風間理事官ら全員に挨拶を済ませた。風間理事官は片を抱くなどオーバーなジェスチャーで迎えてくれた。
「本部の生安部長と薬対課長に伝えておいたが、挨拶は後でもいいですよと言っていた。電話できょうの時間を聞いたら、会議が入っているらしく『完全に復活してからじっくり話しを聞きたい』とさ。明日から自宅で療養するようにともね」
鬼頭は4、5日の暇が欲しいと言った。表向きは、足の震えのためだったが、事情聴取を終えた穴守に、どうしても確認したいことがあったからだ。
生い立ちは妻にも話していない。事情聴取でも、その生い立ちに詳細に触れるのが怖くて、おろそかになってしまっている。プロが見ればそんな不完全さは分かることだ。
しかし、一方では犯罪の部分は「これでもか」と言うほど厳しく仕上げたつもりだ。
東京地検から起訴されれば穴守は被告として東京拘置所で初公判を待つことになる。拘置所の面会は、被告に拒否されなければ誰でもが可能だ。
面会は、午前8時30分からと午後〇時30分の2回、受け付ける。被告人は一人だから、面会人が先にいれば翌日に行けば良い。「どうしても…」の場合は、手紙で被告人と予約することも可能だ。
鬼頭は「警察官」としてではなく、私人として穴守に会いたい。当然、役所には分かることになるだろう。その時の理由は…
そんなことを考えると、一日一日が胃の痛む思いだった。30年近くも連れ添った妻に、果たして隠し通せるだろうか?。鬼頭は決心した。その日の夜、マスコミ関係に勤める幸子が不在だったため、絵美に全て打ち明けた。
絵美が言った。
「貴方の人生ですよ。『実の弟かもしれない』というので、調べに手心を加えたのですか?『そんなことはない』という自信があるのでしたら、堂々と会って確認するのがなぜ悪いのですか?」
黙って考え込む鬼頭に、絵美はさらに続けた。
「貴方が言っていた言葉に『警察官は勧善懲悪でなければならない』というのがありました。私は、あの言葉に自分も警察官として感動していたのに…」
絵美は泣き声になった。鬼頭が頭で振り返ってみた。鬼頭は、次第に決意を固めつつあった。
絵美は、さらに続けた。
「自分の調べに自信がないなら、辞表を出してからでも確認すべきだわ…」
鬼頭はこの一言で決心した。退院して2日目の朝、鬼頭は東京拘置所に向かった。私人として面会するためだった。
穴守と弁護士の接見が午後に予定されていたため、午前中は空いていた。鬼頭が面会室に着いた時には既に、十数人が待っていた。
鬼頭は面会簿に、面会希望者名を「穴守敬二郎被告」と書いた。鬼頭自身は杉並区の住所と名前を書いたが職業は地方公務員とだけ記した。詳細な職業の質問があるだろうが、あえてそうしたかった。


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