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2009年6月28日 (日)

日本赤軍元最高幹部 重信房子被告 「世界変えるといい気に」(28日)

日本赤軍のリーダーだった重信房子被告(63)が産経新聞の取材に「世界を変えるといい気になっていた」などと述べた。新聞メディアのインタビューに答えたのは異例。昭和49年にオランダ・ハーグの仏大使館が占拠されたハーグ事件など3事件で殺人未遂罪などに問われ、東京高裁で懲役20年の判決を受けた重信被告。東京拘置所に身を置き、がんの手術も受けたという。テロリストの女王と呼ばれた被告が語る全共闘、武装闘争、人生観-。

■行動に自責の念     「現実を変革する運動は楽しく、創造性があった。現状を変えたいという思いで、家出少女もキャンパスに集い、いろんな人が話し合える環境があった」 6月中旬に面会した重信被告は終始にこやかで、昭和40年代半ばに盛り上がった全共闘運動をそう振り返った。運動が数年で勢いを失ったことには、「世界を変えるといい気になっていた。多くの人に迷惑をかけていることに気づいていなかった。大義のためなら何をしても良いという感覚に陥っていた」。重信被告は40年に明治大学二部に入学し、学生運動に参加。44年に結成された赤軍派に加わる。「日本だけでは革命を起こせない」と海外に活路を求め、重信被告はレバノンへと出国、日本赤軍を創設した。空港内の銃乱射事件やハイジャックなどを引き起こした。過激な行動には自責の念にかられているようだ。「運動が行き詰まったとき、武装闘争に走った。世界で学生運動が盛り上がっていたが、故郷に戻り、運動を続けたところもあった。私たちも故郷に戻って運動を続けていれば、変わった結果になったかもしれない」

 ■思想は変わらず    国内に残った赤軍派は最高幹部が相次いで逮捕された。国内残党組の一部は別グループと合流し、連合赤軍を結成。昭和47年にあさま山荘で籠城(ろうじょう)戦を繰り広げ、同志殺しも発覚。多くの人が学生運動から離れる要因になった。 「運動を離れた人を恨む気持ちはありません。彼らが運動をやめたのは『世の中を変えられない』と思うようになったから。そういう人を受け入れられる基盤を作れなかった」 日本赤軍のメンバーも世界各地で逮捕され、極秘帰国していた重信被告も平成12年、大阪府内で逮捕された。「支援団体が発行する冊子に原稿を書くなど忙しいが、世の中を変えたいという思いは変わりません」 革命を目指す思想に変化はないが、還暦を過ぎた。「体調は悪い。戦場では何度も捨てては拾った命。銃弾に当たってよいと思っても当たらないこともあるし、逆のこともある。人にはそれぞれ定められた命があると思っている」(河居貴司)

                   ◇

【用語解説】日本赤軍   共産主義者同盟赤軍派(赤軍派)幹部だった重信房子被告らが革命拠点を海外に作る構想を掲げレバノンに出国、昭和46年に結成した。47年のテルアビブ・ロッド空港乱射事件で約100人を殺傷。日航機ハイジャック事件など世界各地でテロ事件を起こした。平成13年に重信被告は解散を表明した。Banner_logo_051_2 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/271441/

 

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