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2009年3月11日 (水)

☆涙ぐみながらの抱擁…田口さんの家族が金賢姫元工作員と面会 「お母さんは生きていますよ」 (11日)

Msn_s1_2  【釜山=住井亨介】北朝鮮による拉致被害者、田口八重子さん=拉致当時(22)=の兄、飯塚繁雄さん(70)と、田口さんの長男、飯塚耕一郎さん(32)は11日午前、田口さんから日本人化教育を受けた大韓航空機爆破Kor0903111106002s11 事件実行犯、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元北朝鮮工作員(47)と韓国・釜山市内で面会した。家族と金元工作員の面会は初めて。耕一郎さんと金元工作員は涙ぐみながら抱き合った。午前11時、面会会場で待っていた繁雄さんと耕一郎さんのところへ、黒色スーツ姿の金元工作員が姿を見せた。数メートル離れたところで互いに一礼。繁雄さんが手を差し出しながら近づき、「こんにちは、(今日は)ありがとうございます」とあいさつ。「これが耕一郎です」と紹介すると、金元工作員は耕一郎さんをしっかりと抱きしめて涙を流し、日本語で耕一郎さんに「お母さんは生きていますよ。写真で見ましたけれど、似ていますね。お兄さんも…」と語りかけた。そして、「私も早く会いたいと思っていました」とも。約5分間の「初対面」では、繁雄さんは、田口さんがファンだった歌手の沢田研二さんのCDアルバム「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」やお菓子、レースのハンカチーフなどを手渡し、金元工作員からも繁雄さんにお返しに記念品を手渡した。東京・池袋の飲食店に勤めていた田口さんは昭和53年6月に拉致され、56年から7月から58年3月にかけての約20カ月間、金元工作員と同居して日本人化教育に従事させられた。金元工作員は昨秋以降、韓国の月刊誌などを通じ、田口さんの家族との面会希望を明らかにし、飯塚さんらも面会の意向を持ち続けていたことから、日韓両政府が調整を進めていた。バグダッド発ソウル行の大韓航空機がミャンマー南方の洋上で爆発、115人が死亡した爆破事件は1987(昭和62)年11月29日に発生。「蜂谷真由美」名義の偽造日本旅券を持っていた金元工作員が実行犯としてバーレーン空港で身柄拘束された。金元工作員は、「金正日書記(当時)の指示があった」と供述。89年4月に死刑判決を受けたが、90年4月に韓国政府が特別赦免。「李恩恵という日本人女性から日本語教育を受けた」と証言し、日本の警察庁はこの女性が田口さんと断定した。金正日総書記は2002(平成14)年、日本人拉致を認めて謝罪したが、北朝鮮大韓航空機爆破事件を「韓国のでっち上げによる謀略」とし、「李恩恵なる日本人女性はいない」と否定し続けている。北朝鮮側は、田口さんは拉致被害者、原敕晁(ただあき)さん=同(43)=と結婚し、1986(昭和61)年7月に「死亡した」としているが、帰国した拉致被害者や金元工作員の説明と異なっている。http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090311/kor0903111106002-n2.htm

金賢姫元工作員と面会 「救出への突破口に」

2009.3.11 11:16

Kor0903111106002s161  田口八重子さんの兄で、家族会代表の飯塚繁雄さん(70)が公に名乗り出たのは、金正日総書記が日本人拉致を認めた2002(平成14)年9月だった。長男、耕一郎さん(32)も1年半後、沈黙を破った。「元気でいて。取り戻します」。あれから5年。拉致問題は膠着(こうちゃく)し、母、八重子さんへのあの言葉が、いまだに実現できないことが「くやしい」という。だからこそ、金賢姫元工作員との面会を救出への突破口にしたいと願った。耕一郎さんが、育ての親、繁雄さんから「お父さんの妹の子だ」と告げられたのは21歳のとき。そのときの気持ちを「混乱した」と振り返るが、耕一郎さんは、繁雄さんを今でも「私のオヤジ」と言い切る。「私を育ててくれた父が元気なうちに、苦悶(くもん)を取り除いてあげたいんです」年々、繁雄さんの表情に増えるしわ。耕一郎さんは自ら救出活動に取り組むことを決めた。2人は平成16年、外務省を通じて金元工作員に手紙を出したことがある。「母の記憶につながることを、一つでも二つでも知りたい」。そうしたためた。だが、手紙は金元工作員に届いたかどうかも分からず、返事がないまま時間は過ぎた。 昨秋、金元工作員側からアクションがあった。金元工作員が、韓国の人権団体の代表に出した書簡にこう書かれていた。 「彼女(田口さん)が残してきた幼い2人の子供に会いたいと涙ながらに語っていた姿を思いだします。成人になった息子の様子を日本のテレビで見ましたが、大きな目がお母さんに似ています。会ってお母さんの話をしてあげられない私の現実が残念です」韓国の前政権下で、自由に発言することもはばかられる状況に置かれた金元工作員。現政権はどうなのか、手探り状態でやっと発した精いっぱいのサインだった。その後、もう一歩踏み込んだ。「会いたい」。現政権は田口さんの家族との面会を認めた。2児の母となっていた金元工作員。田口さんも2児の母だった。田口さんが拉致された当時、耕一郎さんは1歳4カ月。母の姿、におい、やさしさ…。そうした記憶がない耕一郎さんはいまだに母を「八重子さん」と呼ぶ。繁雄さんは「耕一郎には母親像をもっと明確にもってもらいたい」と話す。「(面会で)母親像に近づけるかどうか、まだはっきりしない。でも、今ではなくても、1年後とかに近づくことができるかもしれない…」。面会を前に、こう話していた耕一郎さん。“原点”を取り戻すためのスタートに臨んだ。  (釜山 住井亨介)http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090311/kor0903111117003-n1.htm

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