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2009年1月19日 (月)

☆東大安田講堂“落城”から40年 「若者は自分の正義しか見えない」(19日)

Banner_logo_051_2 東大本郷キャンパスの学部学生約40人の責任者「本郷学生隊長」として安田講堂に“籠城”(ろうじょう)した男性がいた。『安田講堂1968-1969』(中公新書)の著者、島泰三さん(62)。一連の闘争について「親世代ときちんと話せれば、違った結果だったかもしれない」と振り返った。「殺す気はないが殺してしまうことはある。死にたくはないが死んでしまうこともある」そんな覚悟で立てこもっていた。封鎖解除に先立つ昭和43年9月、日本大学で学生の投石を頭に受けた警視庁第5機動隊、西条秀雄巡査部長=当時(34)、殉職後2階級特進=が殉職していた。当時は国内だけでなく世界もざわついていた。同年1月に南ベトナムで「テト攻勢」が、5月にはパリで「5月革命」が起きた。「人類史の転換点だと思っていた」
 東大理学部の学生だったが、解剖学などの講義を医学部で受けていたことから同部のストに参加。仲間に頼まれ「隊長」となり、安田講堂では大講堂1階の防衛を担当した。最後は暗闇で機動隊に追い詰められ、仲間と腕を組み、仏でつくられた革命歌で1944(昭和19)年まで旧ソ連の国歌だった「インターナショナル」を歌った。「若い人たちは時々、命がけになってほしい。命がけにならないとできないこと、見えないことがある」 公務執行妨害など3つの罪で懲役2年の実刑判決を受けた。京都大で理学博士号を取得。現在はサルのアイアイの研究をしている。“籠城”によって変えられたことはあったのか。「やれることはやった。大学の教育は良くなっていないが、米国ベトナム戦争に日本が協力しないという機運につなげられた」そう評価する一方、40年たった今だからこそ分かることもある。「若者は自分の正義しか見えないが、年寄りは相手の正義も見える。そのことを知らなかった。数を頼みに、盛り上がっていることがすべてだと思っていた」 そして続けた。「親の世代ときちんと話せていれば、学生運動や労働運動を当然の権利とした、違った社会をつくることができたかもしれない」http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/213709/

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