« ☆妊婦さん、シートベルトはこう着けて…警察庁が教則改正 (12日) | トップページ | ☆NYで追悼式典 同時テロ7周年 (12日) »

2008年9月12日 (金)

【さらば革命的世代・産経連載】 機動隊員にも妻子がある 警察の方針転換 ☆スペシャルコラム(12日)

Banner_logo_051ヘルメットが割れた

 「正視に堪えない…」。昭和43年10月2日、東京都港区の青山葬儀所。当時、警視庁外事1課長だった元内閣安全保障室長の佐々淳行さん(77)は、喪章をつけたまま、うつむくしかなった。棺の近くには6歳と4歳になる2人の遺児が、事態を飲み込めずに無邪気な表情で座り、その横で31歳の未亡人が嗚咽(おえつ)していた。

 夫は、警視庁第5機動隊分隊長、西条秀雄巡査部長=当時(34)。前月4日未明、日本大学経済学部本館のバリケード封鎖解除に出動し、校舎4階付近から落とされた人頭ほどのコンクリートの塊が頭を直撃、頭蓋骨骨折で意識不明のまま25日後に死亡した。大学紛争による警察官の殉職は初めてだった。
 コンクリートの重さは約16キロ。かぶっていたヘルメットが二つに割れるほどの威力だったという。

 「あんなもの落とされたら死ぬに決まってるだろう」「機動隊員だって妻子がいるんだぞ」。怒りに震える参列者たち。2階級特進で警部となった西条さんの遺影を前に、警視庁幹部らは警備態勢を大転換する方針を固めた。「身内意識」の強い警察にとって、事件はそれほどの衝撃だった。

 当時の公安1課長、村上健警視正はその日の記者会見で憤りをあらわにした。「警視庁はこれまで学生側にも言い分があると思っていたが、もうこれからは手加減しない」

 同年11月から警備1課長に就任した佐々さんは「この一件で警察は態度変えた」と振り返りつつも、「それでも警察の役目は相手を生かして逮捕して裁判にかけることにある。死者を出さない警備をせねばならず、結果的にわれわれの側が大きな被害を受けることになった」と話す。

 その後も44年4月に岡山大で26歳の巡査が側頭部に投石を受けて死亡するなど、学生対機動隊の衝突は激化する一方だった。警察側の負傷者のなかには、失明した人や生涯残るほどの障害を身体に残した人もいた。当時の機動隊員たちにとって、「死」は身近な存在になっていた。

 

■催涙ガス
 「なぜ暴力学生を徹底的に取り締まらないのか」「手ぬるいのではないか」
 当時、警察には市民からのそうした意見が相次いだという。一方で、この時代の大学進学率はまだ十数%。キャンパスで暴れる彼らには、次代を担う「エリート」という側面もあった。

 ある警察OBは「当時はまだ彼らを『学生さん』と呼び、『奴らの将来を考えてやれ』と力説する幹部もいた。全員を一網打尽に逮捕してしまえば10年後、20年後の日本はどうなるのかという危惧もあった」。

 実際、デモ隊が機動隊を一時的に押し込む場面はあったものの、双方の力の差は歴然としていた。当初警察は、集まった学生たちを逮捕して拘束するのではなく、「その場から解散させること」に重きをおいていたという。衝突して混乱すれば、多数のけが人が出るという配慮からだった。

 だが、西条さんの殉職以降は、警察の強大な力で学生を押さえ込む作戦へと変わった。例えば、50人規模の集会さえ、事前に情報を収集して、その10倍以上の機動隊を投入、暴れるまもなく押さえ込む。違法行為があれば容赦なく現行犯逮捕する。

 それでも攻撃の手をゆるめない学生に対しては、催涙ガス弾の大量使用を許可した。中には「やりすぎではないか」という批判もあったが、佐々さんは当時、「近接戦で血をみるより、催涙ガスで涙をみる方がましだ」と、その使用を強く訴えたという。

 「本当は学生よりも警察の方が圧倒的に強い。殴り合ったら絶対におれたちが勝つ。温情といったらなんだけど、催涙ガスはむしろ、学生の命を守るためという意味もあった」

 ■天皇陛下のお言葉
 以降、機動隊と学生の「力関係」は大きく変わった。43年には学生の逮捕者約5000人に対し、機動隊の負傷者は約4000人だったが、翌44年には逮捕者が約9000人と倍近くに増えた半面、機動隊の負傷者は約2200人に半減したという。

 佐々さんが前線で指揮した同年1月の安田講堂の攻防戦でも催涙ガスは大量に使用された。事態の収拾からしばらくして、天皇陛下へのご説明に参内した当時の秦野章警視総監は、陛下から最初に「死者は出たか」とご質問を受けた。

 「学生、機動隊の双方に死者はございません」と答えると、陛下は「それは何よりであった」と述べられた。秦野総監はこの話を、「まるで兄弟げんかをたしなめるようなおっしゃり方だったよ」と佐々さんに伝えたという。

 佐々さんは言う。「われわれは陛下から最高のおほめをいただいた。それは部下たちにもしっかりと伝えた。やはり、われわれはプロなんです。隊員の命だけでなく、学生たちの命も預かっていることを忘れてはならないとあらためて思った。彼らにも親や兄弟、恋人がいるんですから…」

 ただ、そうした大人たちの思いとは裏腹に、大学紛争はその後、「内ゲバ」という殺し合いに発展し、あさま山荘事件を起こした連合赤軍は「総括」の名のもと、次々と仲間を殺害した。

 一方、西条さんの死をめぐる裁判では、日大生ら6被告が傷害致死などの罪に問われたが、「彼らが現場にいたとの証明がない」として全員の無罪が確定。真相はいまだ明らかになっていない。
(連載は週1回掲載します)
●皆さんの体験や意見をお聞かせください。

【Eメール】asu@sankei-net.co.jp

【FAX】06・6633・1940

【郵送】〒556-8661(住所不要)産経新聞大阪本社社会部「さらば革命的世代」(お便りには、ご自身の電話番号、年齢を明記してください)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/177680

« ☆妊婦さん、シートベルトはこう着けて…警察庁が教則改正 (12日) | トップページ | ☆NYで追悼式典 同時テロ7周年 (12日) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 【さらば革命的世代・産経連載】 機動隊員にも妻子がある 警察の方針転換 ☆スペシャルコラム(12日):

« ☆妊婦さん、シートベルトはこう着けて…警察庁が教則改正 (12日) | トップページ | ☆NYで追悼式典 同時テロ7周年 (12日) »