小説 警視庁・薬物特命捜査官(2)
映画やドラマよりも過激なシーンが頭に残っているためか鬼頭の体は火照っていた。警備対策室を一歩出ると、音ひとつ漏れないような防音室になっていることから廊下は静まりかえる。
「今夜は寝られるかな」と思いながら二十階の警備対策室を出てエレベーターを待っていると、背後から重森の声が聞こえた。
「鬼頭さん。この時間ならまだ開いているところがあるんで飲みに行きませんか?」
重森は鬼頭より十三歳も年下だが階級は警視長。ノンキャリアの警察官が巡査から始まるのに対して国家公務員一級職から警察官になるキャリア組は二つの階級を飛び越し警部補からはじまる。
警察官は「警察官」という職業を誇りに思っている反面、意外にも身分を隠したがる人が多い。仕事上では「○○警部」とか「○○主任」などと階級や職位を呼称するが、一歩、街にでれば「さん」や「君」付けになる。
二階級上の階級にある重森だが仕事を離れると、人生経験では大先輩の鬼頭を「鬼頭さん」と呼んでいるのもそのためだ。
戦前の警察官は絶大なる権力を持ち「オイ、コラ警官」と呼ばれる時代だった。それが敗戦と同時に民主警察へと移行したものの、一部の反動分子からは「犬」や「番犬」と揶揄されてもいた。身分を隠すのもそうした歴史があるからと主張する人もいる。
警察庁を出た二人は、六本木交差点に向けタクシーを飛ばした。交差点の手前の路地を入ったところに「焼鳥屋」がある。焼鳥屋と言っても全国の銘酒が揃い、高級ワインや人気があり一八〇㍑一本で、うん万円はする焼酎が飲めることから女性客が多い。
場所柄、テレビ局の女子アナや芸能人も良く利用している。重森も東大の学生時代に友人から紹介されて以来の常連客だ。
鬼頭は大好きな日本酒「浦霞」を注文、重森は熊本の芋焼酎のロックを頼んだ。
「いやぁーご苦労さんでした」
どちらからともなく声が出た。二人がこうして杯を交わすのは約二年半ぶりだった。そう言えば重森が熊本県警の本部長に就任する時の鬼頭の「送別会」は、新橋の貿易センタービルにある会員制クラブだった。
「熊本では毎晩ですか、これは」
鬼頭が杯を引く行為をしながら聞いた。
「そう、単身赴任だったし、焼酎がうまいし。それに馬刺しな。特に馬のたてがみの部分。あれは絶品だったよ」
そして重森の自慢話しが続いた。重森は体は小柄だがバイタリティーの凄さは鬼頭も脱帽する。それでいて「血液型がO型とAB型の男同士は気が合う」とされるだけに、O型の鬼頭と重森は仲が良かった。
仕事に対しては二人は攻撃型だ。度々、激論に発展することがあるが、重森は完璧なまでにデータを中心に積み上げた理論を展開する鬼頭を尊敬している。
しかし鬼頭は、一歩外に出ると人が変わったような温厚な親爺に変身する。ドラマを見て涙を流す感情的な人間なのでもある。
「それにしても今回のオペレーションは凄かったね」
「三十年以上の大ベテランの鬼頭さんでも興奮したんですか?」
「あれは戦争だよ。陸であんな打ち合いをしたら凄いだろうな…」
鬼頭のこの言葉に重森は、果たして「SAT」で対応が可能なのかと思うと鳥肌が立った。久しぶりに飲んだ二人は、話しが弾んだ。
「ところでさ、お前が新人で歌舞伎の交番で合った時さ…」
鬼頭の言葉はいつの間にかベランメー調になり、重森を「お前」と呼んだ。重森も階級に関係のない人間同士の付き合いに満足していた。
「俺が張り込みを終えて交番に行った時さ、緊急手配の電話のあとの報告で春田チョー(巡査部長)さんともめてたよな。あれ見ていてな『三十歳も離れた若憎の時からこんな態度でさ、将来はどんな幹部になるんだろう』と心配したよ」
「全然、違うでしょう今は…」
「やっぱり人は、納まるところに納まると変わるもんだな」
たわいない話しが続いた。
鬼頭は、「踊る大捜査線ザ・ムービー」で、誘拐されて救助された副総監(神山繁)が湾岸署を出る姿を「和久さん」役の、いかりや長介が陰で敬礼をしながら無言で見送ったシーンを思い出した。副総監は和久さんに黙礼していた。
あの二人の関係は、キャリアとノンキャリアの信頼関係があった。鬼頭はあのワンシーンを見ただけで二人の関係の説明はいらないと思った。
映画を見た鬼頭は「俺と重森はあんな関係になれたら良いな」と思っていたのだった。
二人が店を出たのは午前一時を回っていた。
★駐在さんのお手柄★
川を渡る風が爽(さわ)やかだった。多摩川の土手はフキノトウをとる家族連れでにぎわう時期になった。多摩川署四丁目駐在所員になって何年になるだろうか。杉山吉雄警部補のパトロールは自転車が多い。
山梨県の小菅村を源にする多摩川。現存する自然に包まれながら悠々と流れ行く川は土曜・日曜ともなれば、都会のけん騒から逃れる人たちで賑わう。
なかでも、中流に位置する東京側の右岸はもとより、神奈川県の左岸にも各自治体が運営する運動場や緑地公園が混雑する。
杉山の管轄する調布市の河川敷にも市民野球場、市民公園が点在。堤防沿いには、かつては石原裕次郎や吉永小百合など往年のスターたちでにぎわった日活撮影所も現存し、競輪場もあることから、休日などは自動車の往来が激しく、自転車によるパトロールは功を奏している。
杉山は調布市が好きだ。もう定年まで二年。出世なんか考えない文学好きの警察官は生涯一駐在さんを希望した。
昭和六十二年だった。警視庁警務部教養課が「東京わが街」(自警文庫)という本を出版した。その時の多摩川署のページの書き出しを見た杉山は、当時の八丈島駐在所から多摩川署管内の駐在を希望した。
その本の調布の由来に、こんな文章が載っていた。
布づくりの里(調布)
調布という地名は、文字どおり古代税制の一つであった「調」としての「布」の産地という意味である。
古代の人々は水を求めて集落をつくり、特に多摩川流域の村々では、カラムシ(麻)がとれたので、この水を利用して発達した布づくりは、この地域の古くからの産業であった。「延喜(えんぎ)式」に武蔵国から朝廷へ多量の織物や柴草が貢納されている……
そして、八丈島には、平安の時代から伝承する黄八丈が生産されている。昭和十八年には国の伝統的工芸品に指定され、杉山が駐在さん当時の五十七年に、山下めゆさんが東京都の無形文化財にも指定された。
島に自生する草木を染料とした純粋な草木染めで、絹糸を「黄」「樺」「黒」に染め上げ、すべて手織りによって織り上げられる。いつ頃(ごろ)から織りはじめられたかは定かではないが、杉山は非常に興味を持っていた。
よくよく調べてみると、島の書物に室町時代から貢絹の記録があり「江戸時代には将軍家の御用品としても献上されていた」とあった。
共通点を持った八丈島と調布。「そうだ。調布に行こう」と決心し、長女も東京に就職が決まったこともひとつの理由だ。島出身の妻、美土里も賛成してくれた。杉山は定年後は八丈島に帰り、「日本の水と文化」を冊子にまとめようと思っている。そのためにも織物の研究は欠かせなかった。
「時代を見つめる」ことを大事にする杉山の警察官としての仕事は、現代社会の若者警察官の中にあっては貴重な存在だ。
「時代を見つめる」ことは、地域社会の文化との接触なくしてなしえない。地域社会に和合するためには、地域社会の人たちに解け合うことが大事だ。
地域社会、家庭・家族の崩壊が叫ばれる今、杉山は地域の安定と平和を求めて〝お巡りさん〟という仕事に生きがいを感じている。
それが今、島部の駐在所でさえモータリゼーションが進み、パトカーやオートバイが配置され、通信の世界もパソコンによるメールの手配などハイテク化は著しい。
管内パトロールは二十分もあれば一周できるし、住民の相談は電話で済ませられる。本署や駐在同士の連絡はメールという文字通信になり、心の温かさを感じさせない。
杉山が生まれて物心がついた当時、一世を風靡(ふうび)した映画がある。「警察日記」だ。昭和二十九年の話しである。会津磐梯山の麓(ふもと)の小さな町を舞台に、貧しくとも懸命に生きる人々の姿を描いた感動ドラマだ。森繁久彌が演じた警察官に、日本中が感動した。
以来、杉山は「警察官の原点」は交番・駐在所にあると思っている。
「機械が相手の仕事より、人情が自分には似合っている」と、人情の機微にあこがれて警察官になった。
自転車によるパトロールを欠かさないのもそのうちのひとつだ。
「自動車やオートバイで回っても、地域の人の顔が見えない。光景を見るだけのパトロールなんて意味がない。地域住民の真の心を掴(つか)むには、ゆっくりと声を掛けながらの巡回こそが大事だ」
そんな哲学があるから、地元では見慣れない人物には特に興味を引く。
ある夕方のことだった。杉山は、鶴川街道から京王閣競輪場前の多摩川土手を下ろうとしていた。二人連れの男が土手沿いを歩いてきた。杉山の姿を見ると、一人がもう一人の後ろを押すようにジュースの自動販売機の陰に隠れた。杉山は見逃さなかった。
「あのーっ、どちらに行かれますか」
声を掛けた瞬間、前にいた男が逃げ出した。杉山は、逃げようとした男に自転車の上から飛びかかった。自転車が土手を転がっていくのが見えた。杉山の右手を振り払おうとした男の手が顔に当たった。
必死で抵抗する男を組み伏したがもう一人の男の姿はなかった。こうして、男は公務執行妨害の現行犯で捕まった。所轄系無線でパトカーを呼び本署に連行された。杉山の左半身の火傷(やけど)の後の一部の皮が破れ出血した。
逮捕理由が公務執行妨害。署に引き揚げると地域課長が待っていた。
「コーボー(公務執行妨害)でしか捕れへんかった?」
「もっと知恵を使わんと……」
関西出身の漫才家、横山やすしに似ていることから 〝ヤッさん〟のあだ名を持つ本村安二郎地域課長の小言も同時に待っていた。歯に衣を着せぬストレートな言い方は、時には幹部にも向けられる。しかし、その言葉の背景には常に「純粋さ」所以(ゆえん)からの表現方であり「恨めない」「憎めない」人物なのである。
警察の世界では、公務執行妨害での逮捕を嫌う幹部が多い。六〇年安保や七〇年安保当時の公安警察が極左の逮捕によく利用した。
わざと体をぶっつけて、ちょっとでも抵抗しようものなら「はい、公務執行妨害」と乱発した時代だった。「何の頭も使わずに、努力もなく簡単に『逮捕』するのは権力の乱用にすぎない」と批判が多く、民主警察には馴染まないとして嫌われている所以だ。送検すると検事も嫌うと言われている。
男は、イラン人とは認めたものの、数万円入りの財布以外に身元を洗わすパスポートや外国人登録証明書は持っていなかった。
このため逮捕用件は公務執行妨害から、出入国管理及び難民認定法違反容疑に切り替えられた。同法による逮捕は、せいぜい、国外への強制退去となる。
どうしても納得のいかない杉山は、イラン人の行動が気になり、出血部分が痛むのを我慢して現場に向かった。
自転車で現場に着いた杉山は、逮捕時を再現した。
「ここで奴(やつ)らを発見して……と」
独り言をブツブツ言いながら歩き回った。最近は年のせいか独り言が多い。妻にも指摘されている。
「この自販機に隠れたから……と」
自動販売機は、河川敷の運動場などを訪れる人たちのため道路使用許可を取って設置されていた。
店の前というよりは道路端に設置されているため、電源は自販機専用の電柱が立てられている。
「何で、自動販売機の陰なんだろう」
杉山は、こんな言葉をじゅ文のごとく繰り返しながら自販機の周囲を回り出した。
裏側を覗(のぞ)いた杉山の目に黒い小銭入れの財布のような物が見えた。それは自販機のモーター部分に張り付けられていた。
「なんだこりゃぁー」
張り付けてあるのかと思って取ろうとしたら、磁石で吸い付けられていた。空けてみると、小さな透明のビニールのパケが出てきた。パケには少量の白い粉が入っていた。パケは二十袋あった。
「覚せい剤かもしれない」
直感した杉山は、携帯で署の当直に連絡した。自分は現場保存で残ることにした。
「それにしても、何でこの辺に覚せい剤所持のイラン人がいるのか?」
「物(ブツ)がちょうど二十袋ということは、売る前。すなわちこれから売りに出るところだったのだろうか」
こうしてイラン人の逮捕容疑は難民認定法から覚せい剤所持容疑に切り替えられた。
心の片隅に「もやもや」を残したまま数日が過ぎた。捜査は警視庁本部の捜査員と本署の保安係が担当している。
杉山は、ここのところの忙しさで日誌を付けるのを忘れていた。夕食前に書いてしまおうと思い、机から日誌を取り出した。
「あら、お父さん。そう言えばいつでしたかねぇ。ほらっ、どっかの倉庫か何かに不審なベンツが何台も止まっていたと言っていたでしょう」
「あれは何の関係もないのかしらね」
妻がお茶を持ってきて言い出した。妻には時々助けられる。駐在の女房とは常に二人三脚で歩んできた。駐在の妻は、「もうひとりの警察官」なのである。
続きは次週
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