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2008年5月10日 (土)

小説 警視庁・薬物特命捜査官(1)

 不審船

「巡視船かわせから十管区本部、鹿児島(保安部)」
 「十管本部ですどうぞ」
 「鹿児島ですどうぞ」
 「ただいまから、ふたまる(20)ミリ機関砲による威嚇射撃を開始します。どうぞ」
 「十管本部了解。まるふた(2)時さぶろく(36)分ひとはち(18)秒」
 「鹿児島、全部了解。どうぞ」
 東京・霞が関の警察庁最上階の二十階にある不審船警備対策本部に、警視庁警部で薬物特命捜査官の鬼頭長一郎が到着したちょうどその時、海上保安庁巡視船「かわせ」と第十管区海上保安本部、鹿児島海上保安部との無線交信が、緊張感を高めていた。
 警備局対策本部の中央大型スクリーンには、海上保安庁から提供を受けたオペレーション風景が映し出されていた。対象映像は水しぶきをあげながら逃げまどう緑色の船影。画面が激しく上下に揺れ動き、緊張感をあおった。
 

スピーカーからは、九州南西海の海域で実施されている生の音声とは思えない鮮明な無線交信がながれ、「ここが警察庁?」と、ノンキャリアの鬼頭は、初めて入る警備対策室に我が目を疑った。
 サミット警備やかつてはワールドカップサッカー大会など、日本警察が威信をかけた警備実施の際に利用される部屋だ。入り口を入ると50平方メートルほどの狭い室内に、大画面のスクリーンと相対面するように、ひな壇式に三重になったコの字型で三、四十人程が座れるデスクがある。
 デスクにはひとりひとりが見られる小さなテレビが組み込まれ、大型スクリーンでは警察専用画面。デスク組み込みテレビでは一般のテレビ映像画面も見ることができるなど、様々な角度から映像が分析できるようになっている。
 特に新潟県中越地震のような大規模災害では、現場から中継される警察専用映像が見られるほか、全国各地の国道など主要道路に設置されたカメラから送信される映像を見ながら交通状況を把握。迂回路などを指示する交通管制室にも早変わりできる。
 その中央では警察庁警備課長が、鹿児島県警や九州管区警察局などへの連絡に追われていた。指揮官席には、宗像恵二警備局長が座る。
 「日本海沿岸に警備待機命令を出した方が良いな」
 「分かりました。とりあえず広島、鳥取、島根、石川を中心に発令します」
 警備課長は既に指揮用の赤電話を取り上げていた。
 奄美大島から北西に230㌔付近の日本EEZ内の九州南西海域で、海上自衛隊が午前一時十分に、不審船を発見してから、十二時間半近くが経過していた。
 防衛庁から連絡を受けた海上保安庁は、庁内に海上保安庁警備救難部長を室長とする「九州南西海域不審船対策室」を設置すると同時に、第十管区海上保安本部から巡視船艇と航空機の出動を要請。さらに特殊警備隊にも出動命令が発動された。
 これらの第一報は防衛庁から内閣情報室と警察庁にも伝えられ、警察庁は翌日早朝、警備局長を長とする警備対策室を庁舎二十階に設置した。政府サイドも内閣情報調査室や危機管理監らが総理官邸に招集され、緊急治安対策会議が開かれた。
 南西海域は、北朝鮮工作船の活動の場で、これまでにも数回の情報が寄せられ、その都度、海保巡視船に出動命令が出されている海域だ。
 今回がそれまでと違っていたのは、米国情報機関からの衛星による不審船の行動監視が報告されたため、不審船確保の厳命が下されていた。
 十八階のデスク席で「警備対策室立ち上げ」の連絡を受けた警察庁薬物対策課長の重森信房は、第一報と同時に「覚せい剤の瀬取り(海洋上での取引)」を直感していた。
 薬物対策課長を既に二年も勤めている重森は、第三次覚せい剤乱用期を迎えた緊急事態に対処するには政・官・民挙げての対応が必要として、総理大臣の一声で立ち上げられた政府の薬物対策会議のメンバーでもある。
 そんな重森が「北朝鮮の薬物に関係がある工作船だ」と直感的に判断したのは、海上保安庁の映像を見た瞬間だった。
 三年前、東シナ海で不審船を何時間も追跡する事件があった。
 同事件では、海上自衛隊のP3Cが洋上で併走する二隻の漁船を発見。うち一隻の船体には日本の漁船名「第十二松新丸」と書かれていたものの、無線機アンテナが漁船の通常装備品とは極めてかけ離れていたことや、船尾に日本漁船では見られない開閉式の扉が見えることなどから、不審船とみて監視を強めていた。重森は、内閣情報室に出向していた時の事件だ。
 その後、併走していた日本名「第八東海丸」の漁船が、不審船に近づき、やがて二隻の船は洋上で接舷。何かの受渡し行為が確認された。
 「不審船の発見、洋上警戒・警備」の指令を受けていた海上保安庁の巡視船が,第十二松新丸に立入検査のため近づくと逃走を図ったため追跡を開始したが、漁船とは思えないスピードで逃走を繰り返した。数時間にわたる追跡劇も、海保の巡視船が追いつくことができず、松新丸は西シナ海に姿を消した。
 このため海保では,もう一隻の「第八東海丸」に接舷して調べた結果、同船は暴力団がチャーターした漁船であることが判明した。
 その後、高知県沖で発見された大量の覚せい剤が押収され、北朝鮮工作船と日本漁船の覚せい剤の洋上取引である「瀬取り」の存在が初めて確認された事件だった。
 今回の海保が映し出している不審船が、実はあのときの漁船「第十二松新丸」にそっくりだったことから、重森は「北朝鮮工作船による覚せい剤取引」と判断していた。
 重森は、不審船をだ捕できた場合に備えて、日本一の薬物捜査官とほれ込み、全幅の信頼を寄せている警視庁の鬼頭を、最初から参加させておくべきと判断。警視庁生活安全部長の永堀政男に連絡。永堀から連絡を受けた生安部理事官・風間俊夫が鬼頭を呼び出した。
 警視庁生活安全部薬物特命捜査官・鬼頭長一郎の階級は警部。五十六歳。昭和四十三年、二十四歳で警視庁巡査を拝命。池袋などの繁華街を持つ城西警察駅前交番を振出しに、日比谷警察外勤係を経験し、三十六歳で日本一の繁華街・新宿区歌舞伎町を管轄する淀橋西警察署の保安係の刑事に抜てきされた。
 当時、歌舞伎町を舞台に、薬物が絡んだ組織売春事件捜査では、警視総監賞を受賞した。そんな時、新人で淀橋西署に見習で来ていた京大卒のキャリア組の重森と知り合った。
 総監賞の功績もあり、鬼頭は本庁生活安全部保安課に配置され、麻薬捜査の道に入った。そして二十年。「事件」を恨むが、事件を起こした人を恨むことは決して、ない。鬼頭は、被疑者が犯罪を決心するまでのプロセスを重視した取調べに重きを置いた。
 「人にはそれぞれ、天から与えられた人生があり、人生観も違う。〝人生〟という劇場で、犯罪という舞台に飛び降りるか否かの決断は紙一重だ。そのたった一回の決断が運命を大きく左右する」
 「罪を憎んで人を憎まず」の哲学はここからきている。
 「誠心誠意」をモットーに、犯人と対峙(たいじ)する調べ室では〝温情調べ官〟として知られ、別名は「落としの長さん」。東京高検の佐々木俊太郎公判部長は、鬼頭をこう評価する。
 「刑事部の調べ官で〝落としの何とかさん〟は、東西に結構いるが、生活安全部の調べ官ではめったにいるものではない。その点で鬼頭君は、大阪府警のべーやん(別所)と並ぶな」
 大阪府警のべーやんは、調べ官というよりは職人刑事である。
「あっ、あれは薬物を持っているな?と職務質問すると、百発百中らしいね。もう薬物捜査では警察官というよりは神様だよ。勘なんだよな」と佐々木検事正。
 保安課はやがて組織再編で薬物対策課になり、薬対課から独立し特命捜査官室が誕生。鬼頭は専門職として抜てきされた。鬼頭も本部係長、署の課長、本部管理官、理事官、署長などの階級を順調に上れば今ごろは署長のポストで勇退の声も聞こえていたはずだった。
 昭和四十年代、「生涯一捕手」を目指したプロ野球の野村克也の人生観に共鳴、「生涯一捜査官」にのめり込んだ。おかげで出世の道は絶たれたものの、警視庁では鬼頭の右に出る薬物捜査官はいない。重森は、そんな鬼頭を好きになっていた。 
 午後二時三十六分の十管本部の無線連絡と同時に、かわせは、二〇ミリ機関砲を発射した。連続・速射される弾丸は、紺ぺきの海面を一本の〝光の線〟となって、不審船の周辺に着弾する。
 それでも、不審船は停船することなく、波しぶきを上げながら逃げる。
 約十分後の午後二時四十七分、不審船がおかしな行動に出た。乗組員が国旗らしいものを振っているのだ。
 「あれは何の合図だね?」
 警察庁の対策室も、官邸も、海上保安庁の不審船対策室にいるそれぞれ日本の治安機関の幹部の脳裏には、一瞬、「投降」の二文字が浮かんだ。しかし、不審船は、降伏するどころか、さらにスピードを上げて逃げ出した。
 「十管からかわせ」
 「かわせです。どうぞ」
 「命令。まるよん(〇四時)ひとさん(十三分)。船体射撃を実施せよ。以上十管」
 「かわせ、了解」
 四時十三分、不審船の船体に向け再び一本の光の線が放たれた。前回威嚇から二時間近くが経過。周囲は、ほの暗く光の線は輝きを増していた。一方、不審船の船体は太陽光線を失うと同時に緑色から〝黒い影〟に変色。光線は黒い船体の船首部分に命中、火花が散った。
 「この時間で、仮に停船させてだ捕したとして、鹿児島港に着くのは明後日以降になるだろう。鬼頭君は、いずれにせよ、明日以降に出発ということになるな」
 重森が鬼頭に話しかけた。が、その声も、無線交信や機関砲の轟き音でかき消された。不審船を鹿児島港にえい航したあと、船内の捜索の時点から鬼頭を参加させることは、警察庁長官の決定事項だった。
 警察庁から指令を受けていた広島県警、鳥取県警、島根県警などは機動隊の待機命令を緊急出動に切り替えた。さらに警察庁は警視庁、大阪府警、福岡県警に配置している「SAT(特殊急襲部隊)」三部隊に日本海沿岸への出動命令を下した。警察庁長官はサブマシンガンの携帯を命じた。
 「かわせ」に続いて巡視船「ゆうすげ」も威嚇射撃を実施した。
 五時二十四分、黒い船体から火の手が上がるのが確認された。不審船は停止した。対策室の全員が固唾(かたず)をのんだ。
 宗像警備局長は、投降後の北朝鮮工作船の兵士の警護に胸を痛めた。
 午後五時五十一分、不審船の火の手が見えなくなった。数分後に再び逃走を開始。その後は停止、逃走を繰り返した。
 六時五十二分には巡視船「ゆうすげ」が同船に接近を試みた。その時点で不審船の位置は、日本と中国のEEZの境界線を越えた。
 巡視船の「いず」と「あさま」が不審船に再度急接近、接舷を試みようとした瞬間、不審船の機関銃が火を噴いた。十時九分だった。
 弾丸は「あさま」の左舷で火花を散らした。
 「至急、至急、あさまから十管本部」
 「十管本部、どうぞ」
 「ただ今の攻撃で、負傷者三名。重傷者もいるが生命には別条ないもよう」
  「十管本部了解。なお、本庁からの連絡を伝える。受傷事故には十分留意した行動をとるよう長官の指示が出された」
 「かわせ、いず、あさまの各船、どうぞ」
 「かわせ了解」
 「いず了解」
 「あさま了解」
 「あさま」など各船からの無線の傍受が、若干、途切れた。
 瞬間、不審船がロケット弾のようなものを発射した。幸い、あさまの操舵(そうだ)室の真上を通過、被弾はなかった。
 「至急、至急、十管から各船。敵船が使用したのはロケット弾と見られる。ただ今の時間、本件では正当防衛の適用を決定した。さらに強行停船目的の攻撃を開始せよ」
 「国家の主権とは何だろう」と、常々疑問を持っていた鬼頭は歯ぎしりしてオペレーションを見ていた。
 「我が国の不審船に対する適用法令は漁業法違反(臨検拒否)ですからね。ロケットランチャーをぶちかまされて初めて正当防衛ですか?」
 鬼頭はつぶやくように言ったが、重森は気づかなかった。鬼頭は警備局長を気にした上での小声だった。
 正当防衛の四文字で、「かわせ」「あさま」「いず」は一斉に射撃を繰り返した。不審船は午後十時十三分、突然爆発して沈没、海の藻くずと消えた。
 鬼頭は初めて今回のオペレーションに立ち会えてよかったと思った。が、「消えた船体の回収は可能なのか」の心配が心を過ぎった。
 「おいっ!  あれは撃沈ではなく自爆だよな。しかし、これで覚せい剤は駄目になってしまったなぁ」
 宗像局長が叫ぶような声で全員に語りかけた。そして
 「よーしっ、出動した各県警機動隊とSATには申し訳ないが『517(解散)とせよ』だな。御苦労さんでした」
 「そうですよね。せっかく警視庁から鬼頭さんが来られて……」
 重森薬対課長が残念そうに、横に座る鬼頭を見た。
 「海の深さがどれぐらいか分からないが、覚せい剤がなくても何らかの資料は出るだろう。理事官、海保で水深の確認とってくれや」
 警備課長が部下の理事官に命じた。
 「水深は七、八〇㍍から百二〇㍍ぐらいだと見られます」
 理事官は海保に聞くまでもなく即答した。さらに続けた。
 「この季節は引上げは無理ですが、場所的にはサルベージは可能です。時間がかかりますが…」
 「そうか、海が荒れていては難しいのか……」
 「そうですね。春先に調査を開始して、それから引上げの準備に入り、実際は秋になるのではないかとみられます」
 警備課長と理事官のやりとりを聞いていた重森が口を開いた。
 「宗像局長お世話になりました。お陰様で助かりました。警視庁とも詰めますが、取りあえず鬼頭捜査官には帰ってもらいます」
 オペレーションは済んだ。今後の舞台は、撃沈した北朝鮮工作船の全容解明のため船体の引上げへと移る。
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コメント

 コメントありがとうございます。第2話以降、全国で大捜査網を展開します。乞う、ご期待。

緊迫した導入部、読ませていただきました。
掴みはばっちりですね。
来週も楽しみにしています!

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