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2008年5月 4日 (日)

「予兆」「前兆」が見逃されている。ついでに言えば「調べ官」に資格制度を

 愛知県豊田市生駒町の田んぼで下校中の高校1年生の清水愛美さん(15歳)が殺害された事件で、4日の新聞、テレビは、それぞれ過去に不審な情報があることを報じていた。NHKや読売新聞などは、次の様な報道をしている。

「今年3月まで愛美さんが通っていた同市立前林中学校などによると、先月28日午後7時半ごろ、遺体が見つかった水田から約2キロ離れた農道で、黒っぽいバイクに乗った男が、自転車に乗った高校2年の女子生徒に声をかけてつきまとい、手首をつかむなどして押し倒した…翌29日にも、この近くの書店にいた女子児童が、黒いジャージー姿の若い男に手をつかまれ、店内のトイレに連れ込まれたが、逃げて無事だった。近くの高校3年の女子生徒は「(付近は)夜は近所の人も怖がって通らないところ」と話していた… そして、日本テレビは6時の真相報道バンキシャで「清水さんは、前から怖がっていた」という。

 こうした惨い事件がおきる度に思うことだが、必ず事件には「前兆」「予兆」がある。

 平成19年に兵庫県加古川市発生した小学2年の女児が、学校から帰宅した自宅前で、男に殺害された事件でも、前年の9月にも近隣の女児たちが刃物で襲われる事件が発生したいた。

 犯罪の未然防止で全国の自治体の民間人らが立ち上がり「防犯パトロール」などを実施している。子供達だけでなく、犯罪弱者と言われるお年寄りをひったくりから守るため、地域住民が立ち上がったもので、今や、国民は犯罪抑止に必死になっているのである。

 ところが、こうした「予兆」「前兆」が見逃されていまいか。これだけ「情報化社会」が浸透しているのにもかかわらずである。その責任はどこにあるのか。一言で言えば「警察」しかない。警察が持っている情報を共有することが如何に大事かである。それをどう伝えるか…

 気になったことがひとつある。日本テレビの真相報道バンキシャのコメンテーターで元東京地検特捜部長の河上和雄氏のコメントだ。

 同番組では、1979年、1989年にかけて栃木・群馬で発生した少女殺人・行方不明事件の未解決事件の検証で、捜査員の不適切な発言を取り上げていた。刑事が、目撃者に「証言を取り下げるような圧力をかけた」という内容で、河上氏は「捜査員は都会と地域で格差があるのではないか? 今後は国家警察的な刑事の存在が必要では?}と言う趣旨の提案していた。

 調べ室の可視化など将来の事件捜査には逆風が吹き荒れている。加えて大量退職時代。刑事の職人意識の低下もあり、警視庁ではOBのベテラン捜査幹部を指導教官に指定し、若い刑事の指導にあたるなど早くも対策に乗り出した。

 この問題は、各警察本部の問題で、警察庁が指揮する問題でもないだろう。しかし、事件事態がグローバル化している時代の中で、河上氏の言う「捜査官の国家警察化」は注目する発言だ。

 つまり刑事(捜査員)を国家警察にするのではなく、警視庁の指導官制度を警察庁ができないのか?。特に、取調官は「講習を受けた刑事」を認定制度にして専門家の資格を与えるのである。一種の階級(資格)制度かな…

 立て籠もり事件などて「ネゴシェーター」が話題になった。これは、特殊な能力が必要だ。調べ官はそこまでする必要はないが、「事件を担当した班の主任か係長がすれば良い」だけではないだろう。

 ある程度の「資格」と「権限」を与えてはどうか。もう、現在の警察官の階級制度の見直しが求められている時代だから、なおさらである。

 情報の共有化と合わせて、最近、感じたことである。

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